第8章:夜の城と異邦の影
王城の空気は、森とも街とも違っていた。
魔法の結界が淡く張られ、静けさが石造りの壁に染み込んでいる。
夜の帳が降りかけた頃、広すぎるほど広い回廊を歩くたびに、足音が自分の存在を確かめるように響く。
壁の燭台には魔法の炎が灯され、橙の光が揺れながら影を作っていた。
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ルナとレイアが通されたのは、南塔の応接室だった。
天井には花の彫刻が施され、窓の外には王都の街並みが夜灯りに照らされて広がっている。
家々の窓には灯がともり、まるで星空を映したような光景が静かに揺れていた。
「まあ、また変わった子を拾ってきましたねぇ……姫様もお好きですわ」
そう言ったのは、侍女長のマルレーンだった。
長い黒髪とネコの耳を持ち、完璧に整った立ち居振る舞いが少し怖いほどの女性だ。
「好きで拾ってるわけじゃないの。落ちてきたのよ、空から!」
「なるほど、では今度は“空からの贈り物”ですか。……しっかり保護いたします」
笑っているが、目がまったく笑っていない。
レイアはその目をまっすぐに見返し、「記録対象」と判断しているようだった。
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案内されたのは、城の一角にある客人用の私室。
広々とした石造りの空間。窓からは光が差し込み、調度品はすべて上等なものが揃っていた。
「ここがあなたの部屋。どう? 気に入った?」
「部屋のサイズ、調度、衛生環境、合格です」
「そうじゃなくて、ほら……“住みたい”とか、“落ち着く”とか、そういうのないの?」
「ありません。私は寝る必要がありませんので」
「……ふぅん」
ルナは小さく肩をすくめて笑ったが、どこか寂しそうにも見えた。
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部屋を出ると、夜の廊下で数人の侍女とすれ違った。
壁に取り付けられた燭台が、魔法の炎で柔らかく辺りを照らしていた。
「……あれ、人間じゃない?」
「でも耳も尻尾もないし……もしかして魔族……?」
「なにか、あの目……気味悪くない……?」
小声の噂が背中に突き刺さる。
ルナが振り返ってピシャリと言った。
「言いたいことがあるなら、私に言いなさい!」
侍女たちは顔を伏せて小さく礼をし、足早に去っていく。
「……ごめんね。まだみんな、こういうの慣れてないのよ」
「問題ありません。非攻撃性を確認済み」
「そういう問題じゃないのよ、レイア……」
ルナは深いため息をついた。
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その後、レイアは一人で城内を巡回し、淡々とスキャンを続けていた。
壁に刻まれた古代の紋様、天井の魔導管、通路の結界の歪み。
そして――西の塔の下層、ひときわ強い“拒絶の魔力”を感じ取る。
(侵入を拒む意志。設計と魔力構造に不整合あり)
レイアはその場を離れながら、記録を保存した。
まだ、それが何を意味するのかは分からない。
だが、この城には“何かがある”。それだけは確かだった。
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「あ゛あ゛……」
ルナは自室で、書類の山と格闘していた。
机の上には王城の公文書や、翌日の予定表が散らばっている。
すっかり夜は更けていた。
公務の途中でふてくされたように椅子に深くもたれ、額に手を当てて小さくうなだれていたそのとき――
コン、コン。
静かにドアがノックされた。
「どうぞ」
現れたのは、無表情な銀髪の少女――レイアだった。
「おかえり。どうだった? 城の中、気に入った?」
ルナが声をかけると、レイアはほんの少しだけ目を瞬かせた。
「情報取得完了。構造的には高度。魔力の利用効率には改善余地あり」
「ほんと、何でも分析するのね……でも、ここはあなたの“家”じゃないの。評価するんじゃなくて、落ち着いてほしいのよ」
ルナは言葉を選ぶように、ゆっくりと続けた。
「ここが、あなたの“居場所”よ。誰がなんと言おうと、私はそう思ってる」
一拍の間があって、レイアが応えた。
「了解。……この場所を“居場所”として認識しました」
「よろしい!」
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それからしばらくして。
回廊の窓辺でふたりは並んで立っていた。
夜の静けさが、石畳をゆるやかに冷やしている。
壁の燭台が揺れる炎を投げかけ、ふたりの影を淡く重ねていた。
「ねえ、あなたって……眠るの?」
「疑似睡眠機能はあります。が、任務中は非推奨です」
「じゃあ今日は、姫命令。“しっかり休め”」
ルナがにこりと笑うと、レイアは少しだけ間を置いて、静かに答えた。
「……了解。姫命令、記録しました」
それはただの命令でも、ただの記録でもない。
――胸の奥で、名もなき感覚がそっと息をついた。
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その夜。
レイアは自室で目を閉じ、起動を最小限に落としていた。
静かな部屋のなか、意識の深層で彼女は考える。
居場所とは何か。
なぜ“それ”が心地よいのか。
なぜ、“記録”が、残ってほしいと感じるのか。
理由は、まだ分からない。
でも――ルナの声を思い出すと、
胸の奥が、ほんのりあたたかくなるような気がした。