第7章:名を呼ぶきっかけ
王城は、陽光に白く輝いていた。
尖塔の先まで磨かれたガラスが空を映し、花咲く中庭には鳥のさえずりが降りてくる。
そんななか――
「この回廊は、季節によって装飾が変わるの。春は金糸のタペストリー、夏は氷魔法で冷却効果つきの天井絵!」
「……理解しました。回廊の役割、景観優先。機能性:低」
「……そういう言い方、ちょっと傷つくんだけど?」
ルナは苦笑しながら、城内の案内を続けていた。
よく手入れされた絨毯の上を、桃銀と銀の影が並ぶ。歩く速度も、すっかり揃ってきていた。
「こっちが厨房で、こっちは――あら、ちょっと寄り道しよっか」
中庭には、さっき王都で出会った子どもたちが遊びに来ていた。
王族の親戚筋や高位貴族の娘たちで、ルナとも顔なじみだ。
「あ! 姫様〜!」
「銀のひとだ! 銀のひと!」
子どもたちは嬉々として駆け寄り、再びレイアを囲む。
「ねえ、耳はどこにあるの? とっても変わってるね!」
「しっぽもないの? どこかに隠してるの?」
ルナは笑いながら軽く子どもたちを制す。
その横で、レイアは静かに立っていた。
けれど、小さな手が彼女の腕に触れたとき――ぴく、と反応した。
「わたし、魔法で猫の耳つけたことあるよー!」
「私もー! ほらレイアちゃんも!」
いつの間にか、ひとりが花飾りを持ってきていた。
背伸びをして手を伸ばすがとても届かない。
ルナが苦笑して一歩寄る。
「ごめんね、ちょっと騒がしくて……でも、悪気はない子たちなの」
その言葉に応えるように、レイアはゆっくり片膝をついて子どもたちと目線を合わせ、言った。
「……構いません。物理的損傷なし。あなたたちは無害です」
子どもたちは笑い、レイアの銀髪に、無邪気にリボンを結び始める。
「な、なんて物騒な言い回し……」
そんな中――
「……ふふ、微笑ましい光景ね」
背後から響いたのは、優雅で、けれど芯に鋼を含んだ女の声だった。
ルナの耳がぴくっと跳ねる。
「母上っ!?」
振り返ると、優美なドレスに身を包んだ女性――この国の女王・シェリル・ルクレティアが立っていた。
その背には侍従が控え、書類と魔導印付きの封筒を抱えている。どうやら執務の合間らしい。
「あなた、また妙な子を拾ってきたのね。今度はどこの見世物?」
「見世物じゃないの! たぶん……その、すごい、の!」
「“すごい”では何も伝わりません」
女王は、ルナに一歩近づくと、レイアを見やった。
「……目が面白いわね。あなた、名は?」
「観察ユニットL-07R。“レイア”という識別名を付与されています」
「観察、ユニット……?」
女王の眉がほんのわずかに動く。だが、それ以上は追及しなかった。
かわりに、ルナの方を鋭く見る。
「あなた、まさかまた“飼いたい”などと言う気じゃないでしょうね? 前は騎獣を洗うだけで逃げられたでしょう?」
「うっ……」
「今度は何日もつのかしら」
「だ、だって今回はちゃんと理由があるの! レイアは――」
「お願い。今度こそ、ちゃんと一緒にいたいの」
言いかけた言葉を変えて、ルナはそう言った。
静かに、けれど真剣な瞳で。
女王は、しばしルナを見つめていた。
「……公務が立て込んでいるわ。話は夜、書類の上で」
「うう……またお小言コース……」
女王はため息を一つついて去っていった。
ルナはその背中に舌を出す。
「最近やけに厳しいのよね……あの人」
「あなたの母親、ですね」
「ええ。最強の天敵よ」
その後、二人は中庭を抜け、回廊へ戻った。
だが、回廊の曲がり角にさしかかったときだった。
「きゃっ!」
階段から転げ落ちる子どもの悲鳴が聞こえた。
ルナが振り向くと、小さな子が段の中腹でバランスを崩していた。
駆け寄るには間に合わない――
そのとき、レイアが無言で動いた。
す、と腕が伸びる。空気が一瞬震え、青い魔力光がレイアの足元を這う。
次の瞬間、子どもはふわりと浮き、レイアの腕にすっぽり収まっていた。
「……無事です。落下防止成功」
「魔法……? いや、今のは……」
レイアの目が一瞬だけ、光を放っていた。
けれどその光はすぐに消え、レイアは淡々と子どもを降ろす。
「反射行動。危険への対応。記録済み」
子どもはぽかんとレイアを見上げて、そして――にこっ、と笑った。
「ありがとう、れいあちゃん!」
レイアは、腕の中の小さな体を見つめたまま、何も言わなかった。
ただ、きょとんとしたまま、その“ありがとう”の意味を、頭のどこかで処理しようとしているように見えた。
ルナは、そんなレイアの横顔をそっと見上げた。
無表情で、銀の睫毛の影が薄く頬をなぞっている。
でも、どこか――ほんのわずか、温かいものがそこにあるような気がした。
「ああ、やっぱりこの子は……」
胸の奥で、ふっと風が吹いたような気がした。
それは安堵に似ていて、少しだけ切なかった。
そしてルナは、そっと目を細めて呟いた。
「……どういたしまして、って返すのよ、レイア」
レイアは、反応しなかった。けれど。
その掌には、たしかに――誰かを“守った”という温度が、残っていた。