第3章:狼姫と銀の来訪者
森の奥に、静寂の穴が空いていた。
そこだけ、空気がひどく静かだった。
焼けた葉がくしゃりと崩れ、焦げた地面に淡い光が揺れている。
まるで、空がそこに触れた痕のようだった。
「……ここね」
ルナはヴェルナの背から、ひらりと降り立つ。
焼けた土のにおい、鉄のような風――それらを感じながら、地面に残された細い足跡を見つける。
「“何か”が、歩いていった……」
その瞬間、心が跳ねた。
胸の奥が熱くなる。
美少女が空から落ちてきた――
そう信じたくなるほど、ルナの本能が告げていた。
そして、
**ざく――。**
枯れ枝を踏む音が、森の静寂を破った。
振り向いた先、光の差す木立の奥。
そこに立っていたのは――
銀の少女。
液体金属のような髪。
滑らかな肌。
身体にぴたりと沿う白銀の衣装は、布とも革とも違う、未知の素材。
そして瞳――
青白く輝くその目は、まるで心を持たないような、静かな冷たさを湛えていた。
思わずつぶやいたルナの口元に、感嘆の色が浮かぶ。
「……かわいい……」
一歩踏み出したルナに、少女の指がわずかに動いた。
**カチ。**
何かが起動するような音。耳がぴくりと反応する。
「生体反応、接近。対象確認。外見特性:獣人型。観察適性……高」
「……は?」
少女は無表情のまま、淡々と告げた。
「観察対象、確認。あなたです」
「え、わたし!?」
ルナは一歩引いた。狼耳がぴくぴくと揺れる。
「あなた、誰なの? どこから来たの?」
「識別名:レイア。観察ユニット・L-07R。任務により地上へ降下」
「……それ、どこの国の……?」
「誤認の可能性:高。所属不明。回答不能」
ルナは目を細める。柔らかな笑みの奥で、目が獣のように光っていた。
「……ねえ、あなた。人間?」
「いいえ」
即答だった。
その答えに、ルナの緊張がわずかにほぐれる。
「なら、いいわ。人間だったら、ちょっと困るの。うち、昔けっこう土地を削られてね。母上が“人間は侵略者”ってよく言ってたから」
その言葉に、レイアの目が一瞬だけ、揺れた。
「じゃあ、あなたは……精霊? 神の使い? それとも……ゴーレム?」
「定義不能」
「答えになってないけど……まあ、いっか」
ルナはくすっと笑った。
この子は何もわかってない。でも、それがなんだか愛おしかった。
「いい? 私の名はルナ・ルクレティア。月の姫にして、この森の主よ!」
「確認。王族属性。観察対象、確定」
「ねえ、その“観察対象”って、要するに私を監視するってこと?」
「その通りです。あなたの行動・思考・感情を継続的に記録します」
「……ストーカーってことでいいのかしら?」
「“ストーカー”:未登録語彙。分析中……対象への過剰な執着?――該当しません」
「ふふ、ちょっと惜しいわね」
ルナは笑う。もう警戒心なんてどこかに行っていた。
「じゃあ、うちの城に来なさい! 観察でもなんでもしていいから!」
「了解。任務継続に適した環境と判断」
ルナは満足げに指笛を吹く。
ヴェルナが現れ、翼を揺らして降り立った。
だがレイアは、その飛獣を見ても恐れず、ただ静かに観察するだけだった。
こうして――
狼の姫と、銀の来訪者は出会った。
それは偶然のようで、きっと必然だった。
まだ物語が始まったばかりだと、ふたりは知らなかったけれど。
空は、今度は何も言わなかった。
ただ、風だけが、ふたりの髪をやさしく揺らしていた。