第2章:起動するアンドロイド
─── 森は、静かだった。
ただ木々がそよぎ、小鳥が鳴く――そんな穏やかな朝の森に、
一つだけ異物が落ちていた。
それは、ひっそりと佇む、光る楕円形のカプセル。
焦げ跡を残した地面と、ねじれた空気の痕跡が、昨夜の落下の衝撃を物語っている。
まるで、空から迷子が落ちてきたような。
そんな静寂の中に、不意に――電子音がピッ、と小さく脈打った。
内部で、なにかが目を覚まそうとしている。
光の膜に包まれたその内部、少女のような何かが眠っていた。
銀色の髪は液体金属のように滑らかに流れ、肌は陶磁器のように白く、冷たく、そして――生命の匂いがまるでしない。
瞼が、機械のようにすっと開かれた。
瞬きもなく、瞳に浮かぶのは感情のない青い光。
「……起動、完了。システム異常なし」
その声は、口からではなく、空気に直接しみ込むように響いた。
まるで心に語りかけるような、けれどどこか冷たい響き。
銀の少女――レイアは、ゆっくりと身を起こした。
関節が、**カシン、カシン**と、まるで微細な機械のように動作音を立てる。
「周囲環境……未整備区域、大気成分は許容範囲。生命反応、点在」
淡々と周囲を分析しながら、彼女は手を前へ伸ばした。
触れる先には、カプセルの天蓋。
静かに、音もなく――まるで花が咲くように、その構造が解かれていく。
朝の冷たい空気が流れ込み、風のざわめきと鳥の声が広がった。
レイアは立ち上がり、世界を見た。
葉の揺れ、木々の高さ、湿った土の匂い――
どれも新しく、どれも未知だったが、彼女の表情は変わらない。
それは、観察者のまなざし。
感動でも畏怖でもなく、ただ、そこにある事実として。
「探査任務、開始。観察対象、位置未確定」
そう告げると、彼女は胸元に手を添えた。
そこにあるのは、柔らかくも金属的なパネル。
タッチに反応し、粒子のような光が舞い上がる。浮かび上がるのは、任務情報。
---
【観察対象】:属性・狼的直感に基づく選定
【任務】:選定個体の行動・思考・感情の継続観察、および記録
【形式】:接近・日常への潜入(人間型維持)
【終了条件】:記録の価値消失、または観察対象の消失
---
レイアは、ほんのわずかに首を傾けた。
その仕草は、どこか人間らしく見えたが、内面はまったく別だ。
「観察対象……この地に、在る」
それは予測か、あるいは“直感”か。
彼女自身、それを知らない。
だがレイアは、一歩を踏み出した。
裸足の足が、しっとりと濡れた土を静かに踏みしめる。
着ているのは、白と銀を基調とした滑らかなスーツ――戦闘服のようであり、儀礼服のようでもある。武器らしいものは見当たらない。
……必要がないのかもしれない。彼女自身が“兵器”のように洗練されているのだから。
「――あとは、狼的直感、ですか」
ふっと漏らしたその言葉には、ほんのわずか、“人間らしさ”のようなものがにじんでいた。
小さな、くすぐったいような響き。
レイアは、森の奥へと歩き出した。
空からの来訪者が、ついに目を覚ました。
---
\\ 一方そのころ //
王都・王城にて。
「姫様が、また朝の視察に出られましたーっ!」
「ええ!? また!? どこにですか!?」
「たぶん……森、ですっ!」
「やっぱり今朝の光のことを……っ」
「もう……姫様ってば……ほんとに自由……!」
わあわあと混乱する侍女たち。
ひとりが手に持っていた果物を落とし、もうひとりはパンを焦がし、そして誰かが「ヴェルナがいない!」と叫ぶ。
王宮の朝は、慌ただしく始まっていた。
だが――誰も知らない。
森では、ひとりのアンドロイドが“観察対象”を探し始め、
そして、そこへ向かう狼耳の姫が、**全力ダッシュで近づいていることを。**
そして、これがただの“出会い”では終わらないということも。