第18章:月のかげり
午後の陽光が、王宮の中庭を柔らかく照らしていた。
青々と茂った植え込みの間を、犬や猫の耳を持ったメイドたちが笑い声を交わしながら歩いていく。誰かが焼き菓子の話を始め、別の誰かが侍女長に見つかったときの言い訳を真似て大笑いする。王宮の日常は、今日も変わらぬ穏やかさをまとっていた。
──その空気が、突如として凍りつく。
中庭へと続く回廊の奥から、重厚な鉄靴の音が響き始めた。
威圧という鎧を纏った女騎士が、十数名の騎士を従え、無言のまま進軍してくる。
先頭を歩くのは、紅蓮のような長髪を背に流すひとりの騎士。全身を覆う漆黒のフルプレートが陽を弾き、周囲の視線を容赦なく呑み込んでいく。
近衛騎士団長・オリヴィア──
燃えるような真紅の髪、怜悧な光を宿す双眸。
彼女が剣を抜いたなら、
それだけで──殆どの者は逃げ出すだろう。
「──そこのあなた、侍女長を呼んで」
足を止めたオリヴィアが、傍らにいた犬耳の若いメイドに声をかけた。息を呑んで頷いた彼女が走り去るのを見届けると、団長はすぐさま部下に命じた。
「調査を始めろ。魔力の残滓を見逃すな」
その一言で、騎士たちは訓練された動きで王宮の隅々へと散っていく。風の流れすら変わったかのように、空気がぴりついた。
ほどなくして、侍女長マルレーンが駆け寄ってくる。
凛とした背筋に、質素ながら品格のある濃紺の制服がよく映えていた。
「団長! なんの騒ぎですか!?」
肩で息をしながらも、声には動揺が混じっていない。
オリヴィアは無言で彼女に振り向く。背丈の違いが一目で分かる──マルレーンが見上げる形になる。
「先日の侵入者について調査を進めた結果、王宮内に何らかの細工を施した可能性が浮上した。よって、我々近衛騎士団が王宮全体の捜索を行う」
その口調は静かだが、命令に等しい。
「ですが、あまりにも急すぎます! ここにはルナ姫さまも住まわれているのですよ!」
マルレーンの抗議に、オリヴィアは表情一つ変えずに返す。
「これは女王陛下の命である。事前に知らせては、もし工作がなされていた場合、証拠を隠される恐れがある」
「……逃走、ということですか? この王宮の中に、内通者が?」
「それを調べるのが我々の任務だ。協力願いたい」
数秒の沈黙のあと、マルレーンは小さく息をついて言った。
「……ルナ姫さまは、現在外出中です。戻られるまでには終わらせてください」
「それはできない。姫さまは、次代の女王となるやもしれぬ御方。いずれはこのような事態にも、冷静に対処できるようになっていただかねば。──いつまでも世情に疎いままでは、通らぬ」
オリヴィアは少し間を置き、視線をわずかに逸らした。
「……二日だ。二日で終わらせる」
それは命令ではなく、約束のようにも聞こえた。
マルレーンは瞳を伏せ、そして深く頭を下げた。
「……分かりました。やるなら徹底的にお願いいたします」
「無論だ」
オリヴィアの短い言葉に、再び鉄靴の音が王宮の廊下へ響いていった。