表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
月姫の涙とアンドロイド  作者: ゆの
第一部:空より落ちて、月に触れるまで
18/24

第17章:水面にほどけた初夏




朝の空気が、ほんのりと夏めいていた。



王城の高窓から差し込む陽はどこか柔らかく、それでいて光の輪郭はしっかりと眩しい。庭に咲いたクローバーの花が、朝露に濡れて小さく揺れている。


「──行きましょう。今日は、特別な日になる気がするの!」


ルナがそう言ったのは、朝の食卓でのことだった。


紅茶の香りがまだ残るテーブルを囲みながら、

 レイアとミレーヌは顔を見合わせた。


「準備はいい? 今日は、ピクニック日和になりそうよ!」

「どちらへ、ですか?」とミレーヌ。


「お庭よ、お外でお昼を食べましょう!」


そう言って笑ったルナの狼耳が、嬉しそうにぴこぴこと揺れていた。



     *



支度はすぐに整った。


ミレーヌが前日から準備した籐のバスケットには、焼きたてのパイと小さなサンドイッチ、ハーブで香りづけしたレモネードが詰められている。


ルナは麦わら帽子をかぶり、白と薄紅のワンピース姿。金の髪は陽に透けて、風に泳いでいた。


「ね、レイアもミレーヌも、ちゃんと楽しむのよ?」


「承知しました」とレイアが無表情に頷く横で、

ミレーヌは微笑みを浮かべながら「……では、お供いたします」と静かに礼をした。


ふっと軽くなった手元を見て、ミレーヌは瞬きをする。


「あれ?」


持っていたはずのバスケットが、いつの間にかレイアの腕の中に移っていた。


「……あっ、あの……」


「持ち運びの最適化を図りました」


無表情のままそう言うレイアに、ミレーヌは困ったように笑いながら小さく頭を下げた。


ルナはその様子を見て、ふわりと笑みを浮かべた。



     *



陽の光が、木漏れ日のリズムで揺れていた。


城の裏手、城壁に近い場所に広がる芝生は、あまり人が通らない静かな場所だった。花壇のチューリップはもう終わりかけで、代わりに野生のマーガレットが咲き始めている。


ミレーヌはぽつりとつぶやいた。


「ここも……お庭なんですね……広すぎます……」

「敷地内であることは確認済みです」


レイアが即答する。


ルナは芝の上でくるりと振り返った。


「ここ、風もいいし、ちょうどいいわね!レイア、その敷き布をお願いね」


「承知しました」


レイアが芝の上に淡い色の布を広げ、

ミレーヌは籠を開いて、料理を丁寧に並べ始めた。


レイアはミレーヌの手元をじっと観察していたが、

やがて小さくうなずくと、「これは、ルナに好感度が高い食品です」と言って、

好物のチーズパイを一切れ、そっとルナに差し出した。


「ふふ、ありがとう。さすがね」


ルナが笑いながら受け取ると、レイアはほんのわずかに、表情筋を緩めたように見えた。


風がひと吹き。ルナの耳がひらりと揺れる。



「なんだか、ね……」



ルナは、ぽつりとつぶやいた。


「昔……よく妹とこのあたりまで来たの。母さまには内緒で、ふたりでお菓子を持って。まだ芝が短くて、背の低いチューリップばかり咲いてたわ」


桃銀色の髪が、風にふわりと揺れた。


「……でも、あの頃は、“ただ楽しい”ってだけだったの。今日みたいに、何気ない時間を大切にしたいなんて、思いもしなかった」


その横顔を、ミレーヌとレイアが見守っている。


「今は違うの。あなたたちがいてくれるから──

  わたし、こうして過ごす時間がとても好きよ」



照れたようなルナの笑みに、ミレーヌは優しく頷き、

 レイアもまた、わずかに口角を上げて、肯定のサインを送った。



     *



ルナはひとくちサンドイッチを口に運び、ふわりと笑った。


「……うん、やっぱりミレーヌの作るものって、安心する味だわ。美味しい!」


ミレーヌは耳をぴくりと動かし、ピンと背筋を伸ばしたあと、すぐに目を泳がせた。


「あっ、いえっ、あの、その……材料がよかったんです!あと天気もよくて……えっと……」


「ふふっ、そんなに動揺しなくても」


ルナが楽しそうに微笑むと、ミレーヌはようやく落ち着きを取り戻し、小さく頭を下げた。


「……ありがとうございます、姫さま」




     *




「……ふぅ。ちょっと、暑いわね」


ルナは麦わら帽子を持ち上げて、額の汗をぬぐった。


「水を汲んできますか?」


レイアが立ち上がりかけるのを、ルナが手で制した。


「いいえ。せっかくだもの、三人で行きましょう」


木漏れ日の間を抜けて、緩やかな坂を下ると、そこには小さな小川が流れていた。苔むした石が点々と並び、冷たい水がさらさらと音を立てている。


ルナは靴を脱ぎ、そっと片足を水に浸した。


「ひゃっ……つめたい……でも、気持ちいい……!」


ミレーヌはぎょっとして、すぐに駆け寄った。


「姫さま、まだ水が冷たいです! 風邪を召されては──」


「大丈夫よ。ねぇ、ミレーヌ」


ルナはにっこり笑って、ぱしゃりと水を跳ねさせた。


「ふふっ、ちょっとだけ覚悟して?」


「えっ──ひゃあっ!?」


ミレーヌの足元に水しぶきが飛ぶ。


「ふたりも、入りましょう? とっても気持ちいいわ!」


ルナの無邪気な笑みに、ミレーヌは小さくため息をついてから、靴を脱いで川へ入った。レイアもそれに続き、無言のまま水の中に立った。


三人の影が、水面に揺れる。


ルナがしゃがんで水をすくい、ミレーヌの足元へ流す。ミレーヌは笑いながら、やり返すようにそっと水を弾いた。


その間を、レイアが静かに立ち尽くしている。


「……レイアも、やっていいのよ?」とルナ。


「……では」


レイアは真剣な顔で手を浸し、すくった水をそっとミレーヌに──


「ちょっ……そんな真顔でやらないでくださいっ!」


そんな他愛もない遊びの中で、ふいにルナが足を滑らせた。


「──あっ」


ミレーヌがとっさに手を伸ばす。


「姫さまっ!」


だが、その勢いで今度はミレーヌの体勢が崩れる。


「わっ──」


そこにレイアが割り込むようにして二人を支え──


 ──三人とも、見事に水の中へ倒れ込んだ。


ばしゃん。

水しぶきが太陽に跳ね返り、虹のように瞬いた。




「……あ、あれ? わたし、濡れてない?」


ルナはそっと目を開けると、

そこには水を滴らせたミレーヌと、完全にびしょ濡れのレイアがいた。


「……レイア!? 大丈夫!?」


「問題ありません。防水処理は万全です」

「ふふっ……」


びしょ濡れになっても、なお真顔を崩さないレイアを見て──


ミレーヌが口元を押さえ、くすくすと笑い始めた。



「ごめんなさい、我慢できませんでした……ふふっ……」




川面に笑い声が広がる。

三人の影が、水面に溶けて、ゆらゆらと揺れていた。



初夏の香りが、遠く花の香と混ざり合いながら、午後を照らす。

まるでこの瞬間だけ、世界がほんの少しだけ優しくなったような──そんな一日だった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ