第15章(幕間):とけてゆく月・前編
──この方は、きっと、ずっとひとりだったのだろう。
そんなふうに思うのは、
メイドとしてあってはならぬ驕りだろうか。
けれど、城の隅々を知り尽くしたこの耳と目には、
姫さまの寂しさは、もう何度も映ってしまっていた。
*
午後の陽差しが、中庭のベンチに柔らかく落ちていた。
私は一人、静かにその場に佇んでいた。
ルナ姫さまが飲み残された紅茶のカップを、そっと手に取る。
表面には、ふたひらの花びらが浮かんでいた。
風に遊ばれるように、ゆらゆらと、ただ静かに漂っている。
「……また、少し残されたのですね」
思わず、口元に笑みが浮かんだ。
それは心の奥からじんわりと湧いてきた、
あたたかくて──少しだけ、切ないもの。
「でも、最近の姫さまは……
少しだけ、以前のように明るくなられた気がします」
口にしてしまった自分に、少しだけ胸が痛む。
侍女が主の心情に踏み込むなど、本来は許されることではないのに。
それでも、私は思う。
この小さな“残し”にこそ──
姫さまの「らしさ」が、そっと宿っているのだと。
空になった大きめのティーポットを、そっとワゴンにのせる。
今ごろ、きっと──
お腹をちゃぷちゃぷ鳴らしながら、
剣術の稽古に励んでおられることでしょう。
*
姫さまが、以前より静かになったのは──
魔術学校に通われていた頃のこと。
ルナ姫さまが、下級生の教室に侵入し、魔法を行使して相手にケガをさせたという。
相手は──リリスさまの同級生だったと、わたくしは聞いています。
詳しいことは何も仰られなかったけれど、
あれから姫さまは、明るさをなくしていったのです。
そして今、リリスさまが魔術学校に通い続けておられることを──
姫さまはどんなお気持ちで、見ておられるのでしょう……
考えるたび、胸が、きゅうと締めつけられます。
けれど、心のどこかで、ずっと思っていた。
──このまま、あの方は凍ったままではないかと。
*
それを変えたのは、あの不思議な御方──レイアさまでした。
冷たい瞳に、無機質な声。
けれど、なぜか姫さまは彼女を怖れなかったのです。
むしろ──
それが、心地よい“隙間”のように思えたのかもしれません。
少しずつ、姫さまは笑うようになられました。
ふとした瞬間に、昔のような無邪気さが、
ふっと戻ってくるのです。
そして今。こうして花びらを浮かべた紅茶を、
また“飲み残す”ようになられた。
それは決して、傲慢でも怠惰でもありません。
わたくしには、こう思えてなりません──
ルナ姫さまは、「まだ終わらせたくない」
そう願っておられるのだと。
日々に、ほんの少しだけ、希望が戻ってきた。
……そう感じられるのです。
*
静かな独白は、コトリと響く陶器の音で終わった。
ミレーヌは現実へと戻り、紅茶のカップと小皿をワゴンへと丁寧に載せていく。
それらを乗せたまま、調理場へ向かう廊下を進む足音は、やはり静かだった。