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月姫の涙とアンドロイド  作者: ゆの
第一部:空より落ちて、月に触れるまで
14/24

第14章:ふたりの尾がふわり




「ルナ、質問があります」


「ん? なにかしら」




ルナは庭のベンチで蜜柑の皮をくるくると剥いていた。

春の陽がやわらかく差し込み、風が耳と尾をくすぐるように撫でていく。

隣に立つレイアは、その風景の中でひときわ静かに、彼女を見つめていた。


「……あなたの耳と尾は、装飾ではないのですね?」


「ええ。“生えてる”の。わたしの、ちゃんとした身体の一部よ」


レイアは少し黙ったあと、ふと迷うように目を伏せてから言った。



「……触れても、いいですか?」






ルナは蜜柑を剥く手を止めて、息を呑む。

思わず顔を上げると、レイアの瞳が真っ直ぐこちらを見ていた。

そこにはいつものような無機的な光ではなく、

小さな好奇心と、どこか──祈るような、遠慮がちの感情が滲んでいた。


ルナの頬がじんわり熱くなる。



(そんな顔で言われたら……断れないじゃない)



「……少しだけなら、いいわよ」



気づけば、口が先に動いていた。

声は思ったよりずっとやわらかく、甘い音色を帯びていた。



「……ありがとう」



レイアの手がゆっくりと近づく。

ルナの狼耳が、風に反応してぴくりと震えた。


ふれてきたのは、ごくごく軽い、まるで羽のようなタッチ。

それだけなのに、ルナの身体に電流のような感覚が駆け抜けた。

思わず口元を両手で覆い、声にならない声を必死に飲み込む。




(やば……っ、これ……)




体の奥に、じんわりと熱がこもる。

狼耳が反応してぴくりと跳ね、尾の先がふるふると震えた。


レイアはそんなことも知らず、淡々と──けれどどこか楽しげに言葉を継いだ。



「……やわらかくて、あたたかい。毛並みに微細な逆流層……。撫でると、指が吸い込まれそうです」


「っ──!」



ルナの目がかすかに潤む。

昂ぶりは胸元までせり上がり、呼吸は自然と浅くなっていった。


ちら、と視線がレイアの口元に落ちる。

その動き、声の余韻、首すじ……ひどく眩しく見えた。




(なに考えてるの、わたし……っ!)




色々な感情が入り混じり、呼吸の間隔すらうまく整わない。


そのとき──ふと視線が合った。


レイアは首を傾け、静かにルナの瞳を覗き込む。

そして、その目の端に宿った小さな光を見て、わずかに眉を寄せた。


「ごめんなさい。強すぎましたか?」


「ちが……ううん。ちがうの。ただ……その……その辺り、ちょっと敏感で……っ」


狼耳が伏せられ、尾がふるふると揺れた。


レイアは無表情のまま、しかしどこか満足げに──

「……了解。“とても大切な場所”と記録します」


「な、なんで記録するのよーっ!?」



思わず蜜柑を投げそうになったが、間一髪で理性が勝った──



--



陽射しは少しだけ傾き、時間の流れがゆるやかに戻っていく。


ルナの頬の熱がようやく引いた頃、

レイアはふと視線を横にやり、何かを見つけたようだった。



芝生の向こう、小さな噴水のそば。

一人のメイドが、幼い子どもと手を取り合って遊んでいた。

控えめな身なりのその背からは、やわらかな時間がこぼれ出しているようだった。


やがて、もう一人の子が駆け寄り、ふたりは仲良く手を繋ぎながら、城の中へと戻っていく。



その様子を、ルナも見つめていた。

そして、ぽつりと──



「……ああいうの、いいわよね」



ぽかぽかとした陽射しに包まれながら、胸の奥にじんわりと何かが広がっていく。

自分でも気づかぬうちに、尾がふわりと揺れていた。


それは懐かしさとも、羨望とも違う、ただ静かであたたかい、愛おしさのようなものだった。



「“家族”というものですか?」



レイアの問いに、ルナは少し驚いたように目を瞬かせたが、すぐに微笑んだ。


「そう。レイアには……家族って、いた?」


その瞬間、風が一度止んだように感じられた。

鳥のさえずりも遠のき、噴水の水音だけが静かに響いている。



まるで時が一拍、間を置いたようだった。



「いません。私は“起動(おこ)”され、“任務(やくめ)”を与えられただけの存在です」


「そっか……“つくられた”のね。わたしは、生まれてきたの。母が2人と、そして──妹がいるわ」


その言葉に、レイアの目元がわずかに揺れた。


普段と変わらぬ無表情の奥に、何か遠いものを見つめるような光が宿る。


自分にはない“家族”という概念――温かなものへの微かな憧れと、

それを理解しきれない戸惑い。



それでもレイアは、何も言わず静かに頷いた。


「リリス、という名でしたね。王族系譜の記録に存在しています」


「また調べてるし……。でも、あの子はね、ちょっと特別なの。優秀で、よくわかんないところで私を越えてくるし」


ルナは尾を膝に巻きながら、ふっと笑う。


「もしこの国を継ぐなら、あの子が向いてるかもしれない。……そうなったら、私はどうしようかな……」


レイアはそれに返事をしなかったが、静かにルナの横顔を見つめていた。


そのとき、ふと足音が近づいてくるのをルナは耳で察知した。

柔らかな靴音に振り向くと、さきほどのメイドが控えめに立っていた。


金色の狐耳が、陽を受けてぴんと立っていた。

その根元に結ばれたリボンが、風に揺れ、静かにきらめいている。


「あら、ミレーヌ。どうかしたの?」


ルナが声をかけると、ミレーヌは小さく会釈しながら、そっと口を開いた。


「ルナ様、そろそろ剣術のお稽古の時間では...?」


ぶわっ、とルナの尾は倍ほどに膨れ上がった。


「えっ……やだ、すっかり忘れてた……!」


ルナは慌てて立ち上がり、ドレスの裾を整える。


「いけない、すぐ準備しなきゃ。……レイア、ついてきて!」


「了解しました」


ふたりが連れ立って歩き去ったあと、侍女はそっとその背を見送りながらつぶやいた。




「……“お姉さま”って呼ばれる日も、そう遠くはないかもしれませんね」




そのとき、風が一筋、そっと吹き抜けた。


花びらがふたひら舞い、飲み残した紅茶のカップにふわり、と納まる。

水面に触れた花弁は、くるりと小さな円を描きながら、楽しげに踊った。



まるで未来の兆しを囁くように──








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