第10章:夜の帳と、ふたりの距離感
王城の西塔──ルナの私室には、どこか子供っぽさが残っていた。
窓を開ければ心地よい風が吹き抜け、壁には冒険譚の挿絵、棚には図鑑や詩集。
窓際の机には、本人が描いたらしい拙い絵がいくつも並んでいた。
王女の部屋としては少し砕けた印象だったが、それがむしろ“彼女らしさ”を際立たせていた。
──唐突に部屋のドアが開く。
「さ、入って入って。今日からあなたは、うちの子みたいなものだから」
ルナは当然のようにドアを開け、レイアを招き入れた。
「了解」
レイアは部屋をひととおりスキャンすると、淡々と口を開いた。
「構造、家具配置、魔力の残滓、異常なし」
「いや、そういう確認じゃなくて……ああ、もういいわ」
ルナはベッドの端に腰をかけ、大きめのぬいぐるみを抱きしめていた。
既に陽は落ちて、窓の外には星がまたたき、部屋にはほんのりとランプの灯が揺れている。
「ねえ、レイア。それでね──」
ルナがぽつりと呟くように話しかけた。
「あなたの“本当の目的”って、結局何なの?」
レイアは少しだけ目を伏せた。
「……観測任務です」
「やっぱり、それなのね」
「──でも」
その言葉に、ルナは小さく目を見開いた。
「今は、ルナの保護、および周辺環境の安全確保が、任務の比重を占めつつあります」
「……それって、つまり……私を守ってくれるってこと?」
「はい。優先順位、第一位:ルナの安全」
嬉しさが一気に身体へと広がり、ルナの耳と尻尾がふわっと跳ねた。
「ふふっ、なんだか頼もしいわね」
ぬいぐるみを抱きしめたまま、ルナは照れくさそうに微笑む。
「そういえばね……」
ふと、彼女の目が懐かしげに細められる。
「初めてマルレーンが侍女として来た日、あの人ったらいきなり“姫様の下着はどこですか”って聞いてきて──」
──夜の帳が、ふたりを静かに包み込んでいく。
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「さて、そろそろ寝ましょうか」
そう言ってルナがパジャマ姿になると、レイアが静かに問うた。
「質問。私はどこで待機すべきですか?」
「え? ここに決まってるじゃない」
ルナは不思議そうな顔でベッドをぽんぽん叩いた。
「この部屋に、予備の寝具は確認できません。つまり“同衾”ですか?」
「……えっ?」
「同衾。対象と密着し、夜間の防御効率と情報収集の継続性を高める任務形態です」
「ま、待って! ちょ、ちょっと待ってね!? それ、何の任務!?」
レイアの淡々とした声に、ルナの耳と尾が一気に跳ね上がった。
「わ、私はただ……隣に寝てほしいだけで! なのに密着って……くっついて寝るのはまだ早いというか……!」
「接触と精神安定に因果関係があるのですか?」
「も、もういいっ! あなたはそこで立ってなさいっ!」
頬を真っ赤にして布団に潜り込んだルナの尾が、ふるふると揺れていた。
そのまま数分が過ぎた。
部屋は静まり、ランプの灯りだけが揺れている。
「……なんで本当に立ってるのよ、なんか逆に寝にくいのよ……」
「では、横になります」
レイアはすっと布団の端に滑り込み、静音機能でも使ったかのように、音ひとつ立てずに布団へと収まった。
手を伸ばせば、触れる事ができる絶妙な距離感──
しかし、レイアの目はぱっちりと開いたままだった。
「……本当に寝る気、あるの?」
「睡眠機能、起動。……ルナの脈拍、安定確認」
「……お医者さんじゃないのよ、あなたは」
ルナは笑いながら、そっと目を閉じた。
「誰かと寝るなんて、本当に久しぶり……」
意識を手放しそうになる中でルナはひとりこちる。
本当なら、“誰かと一緒に眠る”なんてこと、姫である自分にはあり得ないことだった。
でも――今、この時間が、なんだか特別で、心地よくて。
「……おやすみ、レイア」
「……おやすみなさい、“姫”」
呼び名に、ほんの少しだけ柔らかさが混じっていた気がした。
その夜、ルナは夢を見た。
森の中、銀の光が差し込むなか、誰かと手をつないで歩く夢。
それが誰かは分からなかったけれど、
つないだ手が温かくて、少しだけくすぐったかった。
レイアは浅い待機状態──“深層起動”のまま、ルナの寝顔を見つめていた。
──この行為に、任務とは異なる――未定義の価値が、あるのかもしれない。
ふたりの距離はほんの少しだけ、近づいていた。