82通目【愛を繋ぐミニレター】
ララもルークもそれぞれ目をそらすので、何かおかしなことを言ってしまったかと不安になる。
「も、申し訳ありません! 私ごときがおそろいを提案するなんて、生意気でした……」
「何であなたが謝るのよ……。そうじゃなくて、そっちの男はそういうの嫌いだから、誘ってもムダだと思っただけ」
「僕は……」
「悪いけど、私先に出てる」
早口で言うと、ララはひとりで店を出ていってしまった。
ひどく不機嫌そうで、頑なな背中だった。
ちらりと隣のルークをうかがうと、こちらも難しそうな顔でララが出ていったほうを見ている。
「あの……もしかして私、何か触れてはいけない話題に触れてしまったのでしょうか……?」
「いや……。君は悪くない。ただ、僕とララの間で解決しきれなかった問題があるだけだ」
「ルーク様と、ララ様の間で……?」
ルークがララのことを名前で呼ぶのを初めて聞いた。
いつもラビヨンの弟子と呼んでいたはず。リゼットのこともハロウズの弟子と呼ぶが。
ララはルークをカヴェニャークの弟子と呼ぶが、リゼットのことは名前で呼んでくれていた。
「隠すことではないので言うが、以前僕と彼女は恋人関係にあったんだ」
「こっ……ええっ⁉」
「と言っても関係期間は半年ほどと短い」
意外すぎて、リゼットはなかなか言葉が見つからず口をぱくぱくさせた。
すこぶる相性が悪そうなのに、一体何があって恋人関係に発展したのだろう。いや、別れたからこそ相性が悪くなったのか。
「そして別れる原因になったのが、万年筆なんだ」
「ま、万年筆の好みでケンカでもされたのですか……?」
「いや……」
ルークは口ごもったあと、ため息をついて「断ったんだ」と言った。
まるで過去の自分の罪を白状するかのように。
「断った?」
「彼女に、おそろいの万年筆を作らないかと言われて、断った」
「な、なぜですか!?」
恋人とおそろいの万年筆を作るなんて、夢のような話ではないか。
文房具好きとしては、アクセサリーをおそろいにするよりも興奮してしまう素敵なシチュエーションである。
しかもあのララからの提案を、ルークが断るなんて。文房具好きの風上にも置けない。
「それほどおそろいがお嫌いなのですか? 恋人とのおそろいも断るくらい?」
「いや、そういうわけでは……。ただ、あのときはタイミングが」
「タイミングとは? 断らざるを得ないタイミングなどあるのですか?」
ついつい責めるような口調になり、ルークを壁際まで追い詰めてしまう。
ルークは非常に葛藤する様子を見せたが、結局諦めたように口を開いた。
「実は、すでにおそろいの万年筆を作っていたんだ」
「……えっ?」
「だから、つい反射で断ってしまった。また別の機会でいいんじゃないか、と」
「ええ……? そ、それでララ様は何と?」
「じゃあ、いい……と」
ああ、とリゼットは思わず天井を仰いだ。
断られたララが傷ついて、拗ねた顔でそっぽを向く様子がありありと想像できてしまう。
「でも、おそろいの万年筆はルーク様が作っていらしたのでしょう? でしたらそれを正直に言って、万年筆をお渡しすれば良かったのではありませんか?」
「デザインや刻印の発注は済んでいたが、万年筆自体はまだ完成していなかったんだ。それに、ララの好みや意見をまったく聞かずに作ってしまったことに、彼女におそろいの提案をされて僕は初めて気がついた……」
万年筆を注文する店、万年筆の種類、色や形、大きさや重さ、ペン先に刻印。
人の好みは千差万別で、おそろいにするならお互い意見を出し合って決めるべきだったと後悔したらしい。
「それで、万年筆を渡すのをやめてしまったのですか……?」
「渡す渡さないを決める前にフラれた」
「まぁ……」
とにかくその万年筆おそろい事件があった日は、タイミングがことごとくダメだったのだという。
観劇のチケットが完売してしまっていたり、ララが買おうとしていた本の最後の一冊が目の前で買われていってしまったり、ルークの姉弟子と遭遇してからかわれてしまったりと、散々だったらしい。
どう挽回しようか考えていたところ、デートの翌々日には関係解消の手紙がララから届いたそうだ。
「では、ララ様はどうしてルーク様がおそろいを断ったのか、ご存じないままなのですか?」
「ああ。おそろいが嫌なわけではないと何度も説明しようとしたが、ああいう性格の奴だから聞く耳持たなくてな。段々僕も腹が立っていまって……。あのあと注文していた万年筆は完成したが、ラッピングしたまま僕の机の引き出しに眠っている」
「その万年筆、いまからでもララ様にプレゼントされてはいかがでしょう? そうしたら、ララ様の誤解も解けて仲直りできるのではありませんか?」
もしもふたりが恋人関係に戻れたら、それは素敵なことだと思ったのだが、ルークはいまさらだろうと苦笑いした。
ケンカ別れのような形になったから、お互い復縁は望んでいないと言う。
だがそう言うルークの表情は寂しげだし、店を出ていくときのララは傷ついた目をしていた。
(本当の気持ちを伝えないまま、すれ違ったままだなんて悲しすぎるわ)
そうは思うものの、第三者であるリゼットがあまり首を突っこんでいい話ではないこともわかっている。
結局何も買わずに店を出ると、ララが「遅いわよ!」といつもの調子で文句を言ってきた。
まだまだ回りたい店があると笑顔で言う姿は空元気のように見え、ルークも急に口数がすくなり、そこからは気まずい雰囲気となってしまった。
途中で耐えきれなくなったリゼットは「ちょっと待っていてください!」とふたりの間から抜け出して、元来た道を急いで戻ると、最初に入ったティエリー文具店に飛びこんだ。
そこで気になっていた、手のひらサイズの小さなレターセットをふたつ手に取り、カウンターにいる店員に会計を急いでもらう。
「ラッピングは必要ありません! その代わり、ここで少し手紙を書かせていただいてもよろしいですか? すぐに終わりますので!」
快くカウンターを空けてくれた店員に感謝して、リゼットはウィリアムにプレゼントしてもらったペンケースをバッグから取り出す。
弾丸ケースと同じ頑丈さのペンケースから、生まれ変わった母の形見の万年筆を出し、ぎゅっと握りしめる。
(妖精さん。どうか力を貸してください)
小さなレターセットは、文房具好きならつい視線が吸い寄せられてしまう、万年筆柄のものを選んだ。
封筒のほうはシンプルで、便せんの罫線にあえて少し歪みを作り、手書き風にしてあるのが可愛らしい。
手のひらサイズなので、書きこめるのはひとことふたこと。メッセージカードと同程度だ。
まずはルーク宛ての手紙を書いていく。
【運命の女神に頭を垂れる勇気が訪れますように】
ルマニフィカの古い詩人の詩の一部を引用した。
本来は『勇気を手にした者だけが、運命の女神に頭を垂れることができるだろう』という一文である。
愛を完成させるには互いに運命の糸をつむぎ強くしていく必要があるという詩の一節だが、いまのルークにはきっと伝わるはずだ。
最後のデートの日にララが買おうとしていたのが、その詩人の現代語訳本だったのだから。
次にララへの手紙にとりかかる。
【あなたの愛が真実を永遠に失う覚悟よりも重いものでありますように】
これも同じ詩人の詩からの引用となった。
本来は『真実を手にする覚悟は、真実を永遠に失う覚悟よりも重い』という一文で、人を避け続ける者はその人の真実を見誤ると警鐘を鳴らしている詩の一節である。
この詩人は大恋愛をした末に失恋し、その後悔を晩年まで詩にこめて発表していた。
ふたりにはそんな後悔をし続けることなく、どうか幸せになってほしい。そんな願いをこめて手紙に綴った。
(偉そうに思われてしまうかしら。でも、私が直接何か言うのは違う気がするし……)
いや、これしかない。
そう覚悟して、リゼットは店員に礼を言い、ふたりの元へと走った。
最近増えてきたミニレターも、とっても可愛いですよね!