8通目【出発点】
「も、申し訳ありません! 私ったらひとりでペラペラと……」
「いや、さすがだね。文字を蔦に見立ててか……良いセンスだ。ぜひその組み合わせでお願いするよ」
新しい紅茶と茶菓子を用意させよう、とメイドを呼ぶスカーレット。その姿は鼻歌でも歌いだしそうなほどご機嫌に見えた。
スカーレットは褒めてくれたが、急に不安になってくる。
「どうした、妙な顔をして。何か不満か」
「ウィリアム様……。いえ、ほとんど私が決めてしまって、良かったのかと」
悩んでいると、ウィリアムに肩を叩かれた。なぜか意味ありげに笑っている。
意地悪そうでいて、どこか優しげな表情に、どきりとした。
「お祖母様の印章はバラだ。お前に赤いバラが象徴と言われて嬉しかったんだろう」
なんと、スカーレットの象徴は本当にバラだったらしい。
ウィリアムの言葉に、心がふんわりと温かくなるのを感じた。
「それなら、良かったです」
「お祖母様は気に入らなければそう言う人だ。……私は手紙にはあまり興味がないが、お前の熱意にはどこか揺さぶられるものがあるな」
ポンとリゼットの頭に手を置くと、ウィリアムはスカーレットに声をかけに行く。
いまのは褒められたのだろうか? 励まされた?
胸の奥がムズムズして、なぜか顔がにやけてしまい、リゼットはそんな顔を見られてしまう前に元に戻れと、自分の頬を揉むのだった。
***
気を利かせたウィリアムが席を外し、広い書斎にスカーレットとリゼットのふたりだけになると、スカーレット・ハロウズの代筆者としての初仕事が始まった。
緊張と興奮で手が震えそうになりながら、スカーレットがゆっくりと紡いでいく言葉を一文字一文字丁寧に文字に起こしていく。
スカーレットの言葉選びは、とても詩的で美しかった。
療養中、領地で見た景色を語るときはその情景が鮮やかに浮かび、遅くなったことを詫び、会いたかったと想いを語るときは、胸が締め付けられ視界がじわりとにじんだほどだ。
(これは、最愛の方に送る手紙なのだわ……)
スカーレットは誰に送る手紙か言及はしなかった。宛名はイザーク。
ずっと会いにこれずにいたことを詫びる一文から始まっていた。文面のあちこちからイザークへの愛が伝わってくる。
幼なじみの男女が主役の、古い恋愛小説の一部から抜き取った詩が引用されていた。純粋で幼げだからこそ真っすぐな、変わらぬ愛を誓うその詩には、ふたりの絆の証である紅薔薇も登場するので、リゼットは感動に震えた。
ペンを持てなくなっても、三蹟であるスカーレットのセンスは洗練されたままだ。
手紙の最後に『あなたの薔薇より』と書き、リゼットはペンをペン立てに戻した。
なぜか、書き終えたときには息が切れていた。最後のほうはあまりに集中しすぎて、呼吸をするのも忘れていたことに気づき、未熟な自分が少し恥ずかしくなる。
とにかく、出来上がったのだ。スカーレットは喜んでくれるだろうか。
ドキドキしながら顔を上げると、スカーレットと目が合った。スカーレットはリゼットの手元をのぞきこむと、スッと目を細めた。
緊張で背筋がシャキッと伸びる。自分では、渾身の出来だと思った。だがスカーレットのお眼鏡にかなうものになっただろうか。
「い、いかがでしょうか……?」
三蹟のひとりの代筆だ。きっと生半可なものでは認めてはもらえないだろう。
ペンを走らせていたときの高揚感が、不安へと変わっていく。
気に入ってもらえなかったらどうしよう。やっぱり代筆はなかったことに、と言われてしまったら……。
「リゼットは、どんな気持ちでこれを代筆した?」
「私は――スカーレット様の想いが、この方に余すところなく届きますようにと。そうすれば、きっとこの方の胸は幸せでいっぱいになると思ったのです」
「そうか、やはり――」
ぼそりと、スカーレットが呟く。
何が“やはり”なのだろうか? 気になったが聞くことができず、リゼットの顔はさっと青ざめた。
“やはり”ダメだったのだろうか、と悪い方向にどんどん考えが向かう。
ダメだったのなら、もう一度チャンスをもらうことは出来ないだろうか。どこをどう書き直せば気に入ってもらえるだろう。そんなことをぐるぐると考えていると――。
「リゼット」
少しかすれた声に呼ばれたかと思えば、気づけば抱きしめられていた。
ふわりと香るバラの匂いと華奢な体。右手の震えが微かに伝わってくる。
「ありがとう」
「ス、スカーレット様……?」
スカーレットの腕の中で、どう反応したらいいのかわからずぱちぱちと目を瞬かせる。
何だか、スカーレットが泣いているような気がしたのだ。
だがパッとリゼットを離したとき、スカーレットは笑っていた。涙のあともないので、気のせいだったのだろうか。
スカーレットが流れるような動きで卓上のベルを鳴らすと、ほどなくしてウィリアムが書斎に戻ってきた。
「出かけるよ。準備をしよう」
「わかりました。馬車はすでに待機済みです」
「あの……お出かけですか?」
他に手紙は? 今日はもうこれで終わりなのだろうか?
正直、まだ帰りたくない。もっと書く予定でいたし、スカーレットともたくさん話をしたかったのに。
そんな気持ちが顔に出てしまったのか、スカーレットに「お前は本当に可愛いね」と笑われてしまった。
「リゼットもぜひ一緒に来てほしい。ああ、その前に手紙に封をしないとね」
「は、はい! 封蝋は紅がメインで、縁が金になるようにしても?」
「いいね、それでお願いするよ。私は仕度をして来るから、これでも読んで少し待っていておくれ」
早口で言うと、スカーレットはリゼットに一冊の本を渡し、ドレスの裾を翻し駆け足で書斎を出ていった。
ゆったりとした優雅な振る舞いをする彼女が突然豹変したようで、リゼットはぽかんとしてしまう。
しかも、手渡されたのは有名な絵本だ。リゼットも大好きで、何度も読んだことがある『妖精のペン』という、子ども向けの。もちろん読むが、なぜ絵本なのだろう。
急に静かになった部屋に「驚いた」とウィリアムの呟きがぽろりと落ちた。
「はい……私のせいでしょうか」
「ああ、いや。私が驚いたのは、祖母のあまりの機嫌の良さにだ」
「え、ほ、本当ですか? ご機嫌が良かったということは、スカーレット様は、私の代筆で喜んでくださったのでしょうか? 私、代筆として合格したのでしょうか?」
ずいとウィリアムに詰め寄り問いかける。先ほどの「ありがとう」というスカーレットの言葉を、そのままの意味で受け取っても良いのだろうか。
ウィリアムは片眉を上げ「私に聞くな」とすげなく言い放った。
「そう、ですよね。スカーレット様がどう思われたかは、スカーレット様ご本人にお聞きしないといけませんよね」
「……まぁ、気に入らなかった、ということはないんじゃないか。あんなに嬉しそうなお祖母様を見るのは本当に久しぶりだ。病気をして以来、ずっと沈んでいたからな」
お前は一体、どんな魔法を使ったんだ?
そんな風に聞かれ、リゼットは胸が苦しいような、熱いような、たまらない気持ちになりながら笑った。
「私は特別なことは何も。ただ、スカーレット様にとって、手紙が特別なものだったのだと思います」
そんな彼女にとって特別なことを任せてもらえたのは、とても栄誉なことだ。
リゼットは慎重に手紙に封を施しながら、この手紙の送り先であるイザークという人にも喜んでもらえますようにと願った。
『手紙のやり取りは、心のやり取りよ。だからこそ、手紙には人を幸せにする力があるの』
生前、母がよく言っていた言葉だ。
心のこもった手紙を書けるのは、こんなにも素敵なことなのだと、久しぶりに思い出すことが出来た。
これからも、誇りを持ってがんばろう。
代筆令嬢リゼット・フェローとして、第一歩を踏み出した瞬間だった。
本日も夜また更新予定です! 誤字脱字報告、ブクマ&☆☆☆☆☆評価ありがとうございます!