68通目【侵入、そして拉致】
「ヘンリーさ――っ」
叫びかけたリゼットの口を、シャルルの手が塞いできた。
そのまま羽交い絞めされ、ヘンリーから引き離される。
足に硬いものがぶつかる。リゼットのこぶし大もあるゴツゴツとした石だった。
もしかして、あの石が投げこまれたのか。
床に倒れたヘンリーはぴくりとも動かない。頭からか血が流れているのを見てゾッとする。まさか、死んでしまったのでは。
「騒がないでくれリゼット。衛兵が来てしまう」
妙に落ち着いたシャルルの声に、驚いて振り向くと、ちょうど窓から大柄な男が部屋に侵入してくる姿が映った。
「んーっ!」
「おい、危ないだろう。もう少しで石がリゼットに当たるところだったじゃないか」
「ああ? 当たんなかったんだからいいだろ」
目の前で、シャルルと男が平然と言葉を交わすのを見て愕然とした。
王宮に毎日食材や酒を運びこむ商人のような格好をしている男には見覚えがある。
国立図書館でジェシカと一緒にいた男だ。あのときは従者の格好をしていたが、間違いない。
なぜこの男とシャルルが? などといまさら思いはしない。シャルルは、ジェシカと繋がっている。
ジェシカに騙されているのか、それともうまく言いくるめられただけなのかはわからない。ただ、シャルルの意志で動いていることは確かだ。それが悲しい。
どうして、とやるせなさで胸がいっぱいになる。
「衛兵に気とられる前にいくぞ」
「んん! んー!」
「リゼット。お願いだから静かにしてくれ。君を傷つけたくないんだ」
だったらいますぐ離してほしい。一刻も早く医者を呼んで、ヘンリーの手当てをしなければ。
「殴って黙らせりゃいいだろ。めんどくせぇな」
「乱暴はやめろ。この子は僕の大切なレディだ」
「レディなんかよりさっさとずらかることのほうが大事だろうが」
粗野な男の大きな手が伸びてくる。
殴られる、とリゼットがギュッと目をつぶった直後、男が短くうめいた。
おそるおそる目を開けると、男の腕に短剣が突き刺さっていた。
意識を失っていたはずのヘンリーが、這うようにしてこちらに手を向けている。頭に怪我を負いながら、短剣を男に向かって投げつけたのだ。
「てめぇ……!」
男は腕に突き刺さったナイフを引き抜くと、それを床に投げつけた。
そしてヘンリーの元まで行くと、その身体を容赦なく蹴り上げた。
「んー!」
「おい、やめろ! 見つかる前に逃げるのが大事だとお前が言ったんだぞ、ランドン!」
「ちっ。クソが。命拾いしたな」
うめくヘンリーをもう一度蹴り上げ、ランドンと呼ばれた男が戻ってくる。
このままではまずい。窓から連れ出されたら、ヘンリーが手遅れになるかもしれない。
ふたりに持ち上げられそうになり、リゼットは激しく抵抗した。
とにかく、部屋の外にいる衛兵に気づいてもらえるまで時間が稼がなければ。
「リゼット!」
「このガキ、おとなしくしろっ」
「――っ!」
ランドンの大きな拳が、リゼットの身体の真ん中に勢いよくめりこんだ。
あまりの衝撃に息が出来なくなる。そのままぐるんと視界が反転したように感じた。
「おい、乱暴するなと言っただろう!」
「うるせぇ! どっちみちおとなしくさせなきゃ逃げらんねぇだろうが!」
遠ざかっていく意識の向こうで、シャルルとランドンが言い合っている。
(誰か、どうか気づいて……ヘンリー様を……)
しかし、ヘンリーがどうなったか見届けられないまま、リゼットは暗闇に落ちるように意識を手放した。
***
草原を馬が一頭駆けている。その背に乗るのは、幼なじみのシャルルだ。
リゼットよりもちょっとだけ背が高くて、手もちょっとだけ大きくて、リゼットよりもずっと大人びた喋り方をするシャルルが、大好きで憧れでもあった。
「ねぇ。見てばっかりじゃ、つまらないでしょ? リゼットも馬に乗る練習をしようよ」
「ううん。わたしはいい。お馬さん、大きいし、落ちたらこわい……」
「練習すれば大丈夫だって! うちの馬場にいる馬は、みんなおとなしくて優しいんだよ」
「いい。わたし、シャルルおにいさまを見てる」
最初は馬に興味深々だったリゼットだが、大の大人が落馬するのを目の当たりにしてしまってから、恐ろしくて乗りたいなどと言えなくなってしまったのだ。
落馬したのは女性で、腕の骨がおかしな方向に曲がっていた。馬は可愛いが、乗るのは危険だと、幼いリゼットはそう信じてしまっていた。
「うーん……わかった。じゃあ、この子はこわい?」
そう言ってシャルルがリゼットの手を引き連れて行った厩舎には、まだ生まれたての仔馬がいた。
小さくて、細くて、愛らしい。リゼットは一目で夢中になった。
「こわくない!」
「よかった。この子が大きくなったらさ、リゼットが乗ってあげるといいよ」
「……大きくなっちゃうの?」
「うん。でも、リゼットも大きくなるから、きっとそのときは馬がこわくなくなってるよ。そしたら一緒に馬に乗って、遠くに行こう!」
絶対に楽しいよ。そう言った幼なじみの顔は自信と期待に満ちあふれ、キラキラと輝いていた。
シャルルが言うのなら、それは本当に楽しいことなのだろう。シャルルを信じ、リゼットはうなずいた。
「よかった。絶対だよ。約束!」
お互いの手を握り合って、額をくっつけたあの日のことは、よく覚えている。
何の疑いもなく、互いの未来に互いがいると信じていたあの頃。
もう夢に見ることもなくなっていた、若葉の匂いがする日々の柔らかさに、熱い涙がこみあげた。
***
シャランと、繊細なガラスのベルのような音が聴こえる。
音に意識を浮上させられたリゼットは、涙のあとがひやりとして目が覚めた。
かび臭いソファーに寝かされていたリゼットは、起き上がろうとしてハッとする。
手足が縛られている。そうだ、シャルルと話をしている途中で王女宮に男が侵入して、ヘンリーに危害を加えたのだ。
あれからどうなったのだろう。ヘンリーは無事なのだろうか。
(前に、ウィリアム様は何と言っていたかしら。拘束されたときは、まず……)
家の窓から脱走しようとしたとき、拘束・監禁された場合の対処法を聞かされたことを必死に思い出す。
まずは、状況の把握だったはず。
手足は恐らく縄で縛られている。自力でほどけそうにはないけれど、何か鋭いものがあれば切れるかもしれない。
周囲に視線を走らせると、ランドンと呼ばれていた男が入口近くの椅子にもたれて居眠りをしている姿があった。
部屋にいるのはランドンだけで、シャルルの姿は見えない。
床板はあちこちめくれ、壁にも穴が開いている。ボロボロの民家は殺風景な代わりに、空の酒瓶がいくつも転がっていた。割れた破片も落ちている。
カーテンの隙間から見える空は夕日が沈み始めた色をしていた。あれからかなり時間が経っているようだ。
ランドンが眠っている間に、なんとか瓶の破片を手に入れられないだろうか。
そんなことを考えたとき、部屋の外から足音と、聞き覚えのある声が響いて来た。
「うるさいわねぇ。監視をまくのに時間がかかったのよ」
(この声は、ジェシカ……!)
身構えた瞬間、ノックもなく扉が開かれる。
「……あら。何だ、起きてるじゃない」
現れたのは、いつぞやのように地味なドレスに身を包んだ義姉と、険しい顔をしたシャルルだ。
義姉はソファーの上に寝かされたリゼットを見て、にんまりと悪魔のように微笑んだ。
出ましたジェシカたん…!




