67通目【騎士と面会】
王女宮の廊下の角を曲がったところで、誰かとぶつかってしまった。
目に入ったのは白い騎士服。謝ろうと顔を上げるより先に「リゼット嬢?」と名前を呼ばれ驚く。
「あ……ヘンリー様。申し訳ありません、私の不注意でぶつかってしまい」
「いやいや、お互い様です。お怪我はございませんか、お嬢様?」
芝居がかった様子のヘンリーに右手を取られ、リゼットはくすくす笑う。
柔らかで落ち着いた印象の近衛騎士が多い中、ヘンリーはどちらかというと気さくでくだけた印象があり、リゼットもあまり緊張することなく接することができた。
ウィリアムの親友だからというのもあるかもしれない。ウィリアム本人はそれを強く否定するけれど。
「お急ぎのようでしたが、どちらへ?」
「入口の待機室です。来客があって……」
「待機室? 応接室ではなく? 失礼ですが、お相手は?」
「ええと……」
いつもの人好きのする笑みは消え、真剣な顔つきになったヘンリーは誤魔化せない。
仕方なく、リゼットは来客が幼なじみであるシャルル・デュシャンだと告白した。その途端、ヘンリーの表情が険しいものになる。
シャルルからの『会えないか』という手紙に、リゼットは王女宮から出ることは出来ないので、待機室で会うのはどうかと返事をしていた。
待機室というのはその名の通り、王女宮に入る申請をした者が、許可が下りるのを待つ場所のことである。王女宮入口の受付横に位置し、王女宮の外と中を繋ぐ境界のような空間となっている。
「王太子殿下付きの近衛騎士ですね? 選定の日に問題を起こした。このこと、ウィリアムは知っているのですか?」
「いえ……でも、もうあのようなことにはならないと思います! 謹慎を終えて、反省していると手紙にもありましたし……」
「失礼ですが、反省とは言葉で示すものではなく、行動で示すもの。幼なじみを信じたいお気持ちは理解できますが、あまりに不用心ではありませんか?」
「う……。ヘンリー様のおっしゃる通りです」
忙しいウィリアムの手を煩わせることなく、自分でシャルルとの問題を終わらせてみせる。一人前の淑女として、頼ってばかりではいられない。
そんな気持ちでいたが、不用心であるのは確かだ。もちろん警備している衛兵がいるので、ひと声かけてからシャルルと対面するつもりではあったが、言い訳にもならないだろう。
上手くいったとしても、ウィリアムに知られればきっととても怒られる。
冷静になると、怒れる軍神様のこめかみに浮かぶ血管まで想像できてしまい、ぶるりと震えた。
「では、こうするのはどうでしょう。私が待機室までご一緒するというのは?」
「え……でも、ヘンリー様にもお仕事がおありでしょう?」
「それが、ちょうど休憩に入ったところでして。同席をお許しいただけるのなら、このままエスコートをしても?」
流れるように左腕を出され、リゼットはほっとして笑顔で手を添えた。さすが騎士様、エスコートが手慣れている。
王女の近衛騎士の前では、シャルルも何かしようなどとは思わないだろう。あの日のように興奮することがあったとしても、ヘンリーが同席していれば歯止めがかかるはず。
そんな風に考えてしまうこと自体、幼なじみのシャルルに対して失礼ではないか。と、申し訳ない気持ちにもなるのだが、いまリゼットにとってはウィリアムがどう思うか、ウィリアムが悲しまないかということのほうが重要になっていた。
「……と、少々失礼」
待機室の前まで来て、ヘンリーは近くにいた衛兵に声をかけていた。
ヘンリーが戻るのを待ち、待機室の扉をノックする。すぐに返事があり中に入ると、正面奥に開いた窓から外を眺めているシャルルの姿があった。
「シャルルお兄様」
「……やあ、リゼット。待っていたよ」
にこやかに言うと、シャルルはリゼットの背後に立つヘンリーを見て軽く騎士の会釈をした。ヘンリーも同じように黙って会釈を返す。
「出来れば、ふたりきりで話しをしたかったんだけど」
「申し訳ないが、それは承服しかねる。これは王女殿下のご意思でもあるので、理解いただきたい」
リゼットより先に、ヘンリーがそう答えていた。
いまレオンティーヌは本宮に呼び出されており不在だ。そのレオンティーヌからは、面会の申しこみには気を付けるよう言われてはいたが、シャルルとふたりきりにならないようにとは言われていない。
本当にレオンティーヌが言っていたのか、ヘンリーの独断なのかはわからないが、リゼットは何も言わないことでヘンリーに合わせる姿勢をとった。
「それならば仕方ない。ここは王女宮だ。そちらの意志に従おう」
シャルルに促され、花柄の布張りの椅子に腰かける。ヘンリーは座らず、一歩下がりリゼットの背後で直立不動の姿勢をとった。
ちらりとそちらを見ただけで、シャルルは言及することなくゆっくりと話し始めた。
「王女宮に滞在していると聞いて、驚いたよ。代筆として、王女殿下に立派にお仕えしているんだね」
「はい。滞在と言っても一時的なもので、明日で最後なのです。明日が終わればスカーレット様……ハロウズ伯爵邸に戻ることになっています」
「そうか。……子爵邸には、帰らないんだね」
「お兄様……。家を出るとき、シャルルお兄様に何の相談もせずごめんなさい。でも、私は後悔はしておりません。スカーレット様のもとでまだまだ学びたいことがたくさんあるのです。そしていずれ独り立ちをして――」
「わかってる。わかってるよ、リゼット。すまない。あの日、君にひどいことを言った。謝るべきなのは僕のほうだ。君から届いた手紙にも返事をせず、本当にごめん。何を書いたらいいのかわからなかったんだ。君を失うのかと思うと、僕は……」
俯いたシャルルの声は震えていた。その姿に、リゼットは何と声をかけるべきかわからない。
リゼットにとって、自分の家を出たことはもう終わった過去のことだが、シャルルにとってはそうではないことは、幼なじみの様子を見れば伝わってくる。
それでもやはり、リゼットにとっては過去なのだ。
「……後悔してるんだ。僕は、リゼットの境遇を知りながら、僕の都合で気付かない振りをした。それは君にとってひどい裏切りだっただろう。きっと君は僕に失望しただろうね」
「それは……」
「いいんだ、わかってる。当然のことだ。僕は嫌われて当然のことをした。本当は僕が君をあの家から救い出さなきゃいけなかったのに、僕は自信がなくてそれを先延ばしにした。もっと、君を守る力をつけてからじゃないと……ってね」
自嘲するように笑うと、シャルルは深いため息をついて、リゼットを見た。
真っ直ぐな瞳にどきりとする。以前のシャルルはいつだって穏やかな目をしていた。理想の貴公子を具現化したような幼なじみが、いま目の前でリゼットの知らない顔をしている。
「リゼット。もし……僕が何もかもを捨てて遠くに行くと言ったら、ついて来てくれる?」
「……え? ど、どういうことですか?」
戸惑うリゼットに、シャルルは困ったように笑う。その表情は、以前のシャルルとそう変わらない気がした。
「僕にチャンスをくれないか」
「チャンスって……」
「君を蔑ろにするフェロー子爵家の、あのジェシカの手の届かないような所に行かないか。そうだな、外国を回るのはどう? 一緒に馬に乗ってあちこち旅して見て回るんだ」
「シャルルお兄様、何を言って……」
「君が気に入る土地があれば、そこに住むのもいい。そして君は気ままに手紙を書く。僕は一応剣の腕はあるし、資金もあるからどうとでもなる。どうか、幼なじみとしてやり直させてほしい」
追い詰められたような余裕のない顔で、シャルルはリゼットの手を握ってきた。
その力強さと冷たさに、心臓がひやりとしたとき、それまで黙っていたヘンリーが「デュシャン卿!」と割って入った。
「手を離せ! 不用意な接触は慎んでもらおう」
「邪魔をしないでいただきたい。僕はリゼットと話をしている」
「貴様……っ」
「ヘンリー様、大丈夫です! 私が、話しますから」
納得がいかない顔をしていたが、ヘンリーは渋々下がってくれた。だがいつでもシャルルを止められる位置に留まり、厳しい目を彼に向けている。
「リゼット……僕は、本当に後悔している。舞踏会でアンベール子爵と踊る君を見て、何度彼を恨んだか。デビュタントで君と踊るのは、僕だったはずなのにと」
「シャルルお兄様……。私も、そう思っておりました。デビュタントを夢見るとき、ダンスの相手はいつもお兄様でしたから」
「リゼット……!」
顔を輝かせたシャルルに、リゼットは微笑んだ。
過ぎ去った日々を懐かしむような、切ない寂しさを胸に、そっと幼なじみの手を外す。
「でも、ごめんなさい、お兄様。私はここで、自分の足で立ち、生きていきたいのです」
これまで、ありがとうございました。
幼なじみとしてリゼットを気にかけてくれていたシャルルへの感謝は、決別の合図でもあった。
それはシャルルにも伝わったのだろう。彼は笑顔を一瞬で絶望に変えて俯いた。
「そうか……。わかってもらえなくて、残念だよ」
「デュシャン卿!」
去っていこうとしていたリゼットの手を再び掴んだシャルルに、ヘンリーが動こうとしたときそれは起きた。
開いていた窓から強烈な速さで投げこまれた何かが直撃し、ヘンリーの身体が後ろに吹き飛んだのだ。
ヘ、ヘンリぃぃぃ―――!!!




