7通目【女王の書斎】
「娘を監禁するだなんて、血が繋がっていないとは言えなんて母親だ!」
ハロウズ伯爵邸に着き、子爵邸であったことをウィリアムが洗いざらい話してしまうと、スカーレットは憤慨した。
自分の為に怒ってくれるスカーレットに、嬉しいやら恐縮するやらで、リゼットは反応に困ってしまった。
「嫌な予感がしたんだ。ウィリアムを使いにして正解だったね」
「嫌な予感、ですか?」
「ダニエルは押しに弱いというか、言うことを素直に聞かない人間との対話が苦手だろう? あの継母たちに強く言うのを面倒くさがるんじゃないかと思ったんだ。やっぱり雑な指示だけ出して、無責任な男だよ」
父が、押しに弱い? 対話が苦手?
あまりそういった印象を持たなかったリゼットは首を傾げた。
物心ついたときには既に父との距離があった。父親らしいことをされた記憶もほとんどない。笑顔もなく、いつも冷めた目をしていて、家庭には興味がないのだろうなと思っていた。
今回のことも、家族が不仲だろうと関心がなく、リゼットが何をしようとフェロー家に害が及ばなければそれでいいと考えているのだろう、と。
スカーレットの話す父と、自分の中の父親の姿が一致することはなく、首の傾きは大きくなるばかりだった。
「しかし、まさか閉じこめられた部屋の窓から脱走しようとするなんてね。行動力がありすぎる。よくこんなお転婆が、いままでおとなしく邸にこもっていたものだ」
スカーレットにからかわれ、リゼットは「自分でも驚いています」と正直に言った。
実際いま冷静になって考えると、とんでもなく思い切った行動だった。ウィリアムのおかげで怪我もなく済んだが、一歩間違えれば大変なことになっていたかもしれない。
「ウィリアム、お前も肝が冷えただろう」
「そうですね。初めての実戦で、銃弾が耳をかすめたときよりも冷えました」
黙って暖炉に近いソファーのひとつに腰かけていたウィリアムが、ちらりとリゼットを一瞥してからそう答えた。
「……お祖母様との約束を守らなければと、必死だったようですよ。無謀ではあるが、勇気ある行動だったと思います。本当に、無謀ですが」
二回も同じことを言われ、リゼットはしゅんとする。
確かにウィリアムには迷惑をかけた。結果的に無事だったとはいえ、反省しなければ。
「そうか、私の為に……。まあ、行動力があるのは母親譲りかもしれないね」
「えっ。も、もしかしてお母様も窓から……?」
「まさか! セリーヌは普段は穏やかでおとなしい子だったよ。ただ、手紙に対する熱意と行動力は目を見張るものがあった。デビュタントしたてで何の繋がりもない私に、サロンに参加させてくれと突然手紙を送りつけてきたりね。なかなか見ない良い筆跡だったから招待してみれば、あっという間に馴染んで、気づけば運営側に回っていたほどだ」
スカーレットの話に、リゼットは目を白黒させた。
確かに記憶の中の母は、いつもペンを片手に手紙を書いていた。手紙への情熱のある人だったのは間違いないが、そんなに大胆な行動に出る人だったとは。
スカーレットのサロンは、いまリゼットたちがいる彼女の書斎で開かれていたそうだ。
大きな格子窓から見事なローズガーデンが望めるこの部屋は、書斎と呼ぶには広すぎて、足を踏み入れたときリゼットは感動で震えてしまった。
三蹟であるスカーレットの書斎はさぞかし立派なのだろうと想像はしていたが、実際は想像を遥かに超えていた。
まずその天井の高さに驚かされる。部屋は二階建ての吹き抜け構造で、二階の天井から吊るされたシャンデリアが陽の光を反射してキラキラと輝き、壁に小さな虹をいくつも映している。
二階の壁はすべて書棚になっていて、一階から本がずらりと並んでいるのが見える。リゼットの母もかなり本を収集していたが、比べ物にならない蔵書量だ。
二階に行くための小さな螺旋階段が部屋の中にあり、そのすぐ下にスカーレットの文机が置かれていた。
艶めくマホガニーの机には心躍った。ここで三蹟の美しい筆跡が生まれていたのか、と。
「ここで、母はスカーレット様に手習いを受けていたんですよね……」
きっとスカーレット主宰のサロンには、たくさんの貴族や文化人、芸術家が集まり大盛況だったはずだ。
豪華なシャンデリアや繊細な彫刻の白い暖炉、文机とは別の広い長机に、いくつもある座り心地の良さそうなソファはすべて、サロンの為に用意されたものなのだろう。
「そうだね。そしてこれからはその娘のリゼットが、ここで私の代筆をしてくれる。こんなに嬉しいことはない」
「私……がんばります! スカーレット様にご満足いただける手紙が書けるように!」
「ははは! じゃあ、早速一通書いてもらおうか」
スカーレットの指示で、ウィリアムが長机に便せんと封筒を並べていく。
罫線だけのシンプルなものから、押し花がされたもの、透けるほど紙が薄いもの、緻密な絵が描かれたものなど本当に多種多様で、リゼットは眺めているだけでうっとりした。
「ここにあるものはどれでも好きに使ってくれて構わない。インク等新調してあるが、足りないものがあったら何でも言っておくれ。今度、懇意にしている商会を呼ぶから、リゼットの気に入るものを揃えるのもいいね。もちろん使い慣れた自分のものを使うのもいい」
文机の引き出しにはこれまた様々な色のインクや羽ペンに万年筆、ペン先、封蝋用のワックスが美しく整頓され納まっていた。どれもこれも素晴らしく目移りしてしまう。
「はわわ……宝物がいっぱい! ここは天国ですか? 私は夢でも見ているのでしょうか?」
「大げさだねぇ。まあ、ゆっくり慣れてくれればいいさ。さて、レターセットはどれにしようか。リゼットが選んでくれるかい?」
スカーレットに聞かれ、リゼットは初仕事だと浮かれる気持ちを抑えて背筋をピンと伸ばした。
気合を入れて挑まなければ。
「承知しました! どのような方に送られる手紙でしょうか?」
「久しぶりになる、特別な相手に送りたいんだ」
そう言ったスカーレットは、いつも迫力のある目元をやわらげ、とても優しい顔をしていた。
リゼットはふむ、と長机に並ぶ色とりどりのレターセットを眺め、数ある中からひとつを手に取った。
「それでは、こちらのレターセットはいかがでしょう?」
リゼットが選んだのは、真っ赤なつるバラ鮮やかに描かれたものだ。華やかでいて品のある素敵なレターセットである。
伯爵邸の壁やガゼボ、門のアーチには赤いつるバラが咲いていて、スカーレットのイメージにぴったりだと、馬車を降りて見て感動したのだ。
「スカーレット様にとって特別なお相手……それはとても大切な方ということですよね? しかも久しぶりにお手紙を送る。それならきっと、スカーレット様を象徴するようなものが良いのではないかと」
「赤いバラが私の象徴だと?」
「はっ! も、申し訳ありません。私が勝手にそう思ったのです。スカーレット様を思い浮かべるとき、一緒に真っ赤なバラを想像していたので。きっとそのお相手も、赤いバラを見てすぐにスカーレット様を想像するのではないかと……」
スカーレットはバラのレターセットを手に取ると「悪くないね」と満足げに微笑んだ。
その言葉にリゼットはパッと顔を輝かせ「では、インクはこちらはいかがでしょう?」と引き出しからインクを取り出した。
「黒に深い緑が混ざったお色で、読みやすさがありつつ、角度によっては緑が鮮やかに浮かびバラの蔓のようです。ペン先はボラン社のこちらだと、細すぎず、柔らかで強弱のつけやすいものなので、文字がますます蔓のように見え素敵ではないでしょうか! そうなると封蝋もバラの赤に揃えたいところですが、こちらの黄金色も華やかになっていいですし、インクに合わせて深い緑も捨てがたい。バラの影の部分のような暗い赤もいいですし……でもやっぱりここは、スカーレット様のお名前にちなんで、鮮やかな赤で留めるのはいかがでしょうか!」
興奮のままリゼットが顔を上げると、おかしそうにこちらを見ているスカーレットと、目を丸くしたウィリアムがいて、ハッと我に返った。
しまった、興奮し過ぎたかもしれない。
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