65通目【王宮女子会】
いつものごとく前触れなしに、王女宮のティールームに現れた王太子アンリが、レオンティーヌと世間話をしている。
王女宮生活四日目。リゼットはそれを隣室からこっそりと覗いていた。
「婚約者候補の令嬢に敬意を払え? 私が? なぜだ?」
「考えてみろ。ただ高位貴族の元に生まれてきただけの娘に、私が敬意を払う必要があるのか?」
「リゼット嬢? 彼女には一目置いている。筆跡は叔母上が認めるところで、能力も申し分ない。ただ、それ以上に面白いからな。リゼット嬢を使えばアンベール子爵やデュシャン卿が簡単に釣れる」
「あの男たちがリゼット嬢のことで右往左往する姿は見ていて飽きない」
「どうしたら令嬢に敬意を払うかだと? さて。敬意を払いたいと思える相手に出会ったことがないのでわからんな」
「ご令嬢たちは受け身なくせに求めるばかりだ。私に敬意を払われたければ、それに見合った努力をするべきだろう?」
目の前で王太子アンリの口から語られる女性観、いや令嬢観は非常に傲ま……偏け……独特だった。
ある程度予想していたリゼットは苦笑するだけだったが、一緒に聞いていたエルヴィールには衝撃が強すぎたようだ。
細く開いた扉の前からふらふらと移動すると、ソファーに辿り着く前に床に崩れ落ちてしまった。
「エルヴィール様、大丈夫ですか⁉」
「……そんな……殿下が、あんな人だったなんて……」
どうやらいま、エルヴィールの中の理想のアンリ像が音を立てて崩れている最中らしい。
リゼットはなんとかエルヴィールをソファーまで運び、彼女の中の理想像が完全に崩れきるのを待つことにした。
王女宮で茶会を開くからぜひにと招待状を送ると、急だったにも関わらずエルヴィールは応じてくれた。
レオンティーヌに色々と教わりながら準備した、リゼット主催の茶会だ。気合をいれていざ始めようとしたそのとき、アンリの突撃訪問があったのである。
いつものようにレオンティーヌや侍女たちに別室に匿われたのだが、同席していたエルヴィールも巻き添えを食う形となってしまった。
エルヴィール本人は王太子に会いたかったようだが、王女が「良い機会です」とエルヴィールに王太子との会話をよく聞いているよう申しつけたのだ。
王太子アンリの本性をエルヴィールに知ってもらう。このレオンティーヌの目的は達成されたが、エルヴィールの心に深い傷を残してしまったのではないだろうか。
そばで見守っていることしか出来ずにいると、隣室が静かになった。侍女が開いた扉から、レオンティーヌが「お待たせしました」と入ってくる。
「エルヴィール嬢は……」
「どうやら、ショックが大きかったようです」
「そうですか……。仕方ありません。病を治すためには、苦い薬を飲まなければならないものです」
レオンティーヌがさらりと王太子への恋を病扱いしたが、リゼットは気づかないふりをした。
エルヴィールに目を覚ましてほしいと思った自分も、たいして変わらない。
あのあとアンリはリゼットはまだ来ないのかとしつこく居座ろうとしたが、レオンティーヌが追い返してくれたらしい。まったく懲りない人である。
近衛騎士のシャルルを連れてこない辺り、まだ良心的だろうか。
そこまで考え、いや違う、とリゼットはぶんぶん首を振った。アンリがあまりにもアレなので、自分の中の善人の基準が下がっているようだ。
「私、目が覚めましたわ」
しばらくしてエルヴィールがまともに会話が出来るようになったところで、ようやくお茶会をスタートさせることができた。
王女から、エルヴィールはチョコレートが好きらしいと情報を得ていたので、チョコレートが多めのティーセットを用意した。レオンティーヌが好きなふんわりとした甘さのマドレーヌもある。
リゼットはザクザクとした食感のクッキーが好きなのだが、そういえば妖精には好きなお菓子があるのだろうか。
(月光薔薇の夜蜜を砂糖のかわりに入れて作れば、妖精さんも食べられるかしら?)
伯爵邸に戻ったらやってみようと、スプーンで紅茶をかきまぜながら思ったとき、ぽろりとエルヴィールの瞳から涙がこぼれ落ちた。
「エ、エルヴィール様……」
慌ててリゼットがハンカチを差し出すと、エルヴィールは素直に「ありがとうございます」と受け取ってくれる。
「王女殿下とフェロー子爵令嬢のおかげで、私は自分の中の幻想に恋をしていたのだということがよくわかりました。……あんな風に思われていたなんて」
「エルヴィール様……」
「きっと私より前に婚約者候補となった方々は、殿下の真実の姿に気づいていらっしゃるのでしょうね」
「そうでしょうね。皆様、恐ろしいほど静かにお兄様の傍を離れていかれましたから」
王女の言葉に、エルヴィールは唇を噛んでうつむく。
「……悔しいです。私たち貴族令嬢は、殿方にあのように思われているのでしょうか。何の努力もしていない、浅ましい愚か者だと」
さすがにそこまでは王太子も思ってはいないだろう。そう言いかけたリゼットだったが、思っている可能性も捨てきれないので口に出すことはできなかった。
「すべての男性がそのような考えではないはずです。心から女性に敬意を払われる方はたくさんいらっしゃいますよ」
「フェロー子爵令嬢……」
「どうぞリゼットとお呼びください」
笑顔で言ったリゼットに、エルヴィールははにかみながら「リゼット様、ありがとう」と返してくれた。
何だかとてもお友だちになれそうな予感がする! とリゼットが嬉しくなったとき、黙って聞いていたレオンティーヌが「ずるいですわ」と口を尖らせた。
「私も名前をお呼びしたいです。でも、先生は先生ですし……リゼット先生とお呼びしても?」
「光栄です、王女殿下」
「リゼット先生もせっかくですから、レオンティーヌとお呼びください。私は先生の生徒ですもの」
「えっ⁉ で、では……レオンティーヌ、様?」
「嬉しいです、リゼット先生。エルヴィール嬢も、良ければ気軽に呼んでくださる? 私的な場だけで構いませんから」
王女に言われてエルヴィールは恐縮しきっていたが、茶菓子が半分になる頃には三人は気の置けない友人のように名前を呼び合う仲になっていた。
「まぁ! では、リゼット様はアンベール子爵とそれほど仲睦まじいというのに、まだ恋仲ではないとおっしゃるの?」
「こ、恋仲だなんて、そんな……。私がスカーレット様の代筆者なので、孫であるウィリアム様が気にかけてくださっているだけで」
「でもそこまでされたら、好きになってしまうものではなくて?」
レオンティーヌがウィリアムとの関係がどんなものであるかエルヴィールに話してしまい、質問攻めにあったリゼットは、気づけば舞踏会でのやり取りまで話すはめになっていた。
ふたりは頬を染めながら小さな悲鳴をあげたり前のめりになったりと、リゼットの話を夢中で聞いては、信じられないと顔を見合わせる。
「私なら、プロポーズを受けたものと勘違いしてしまいますわ」
「これでお付き合いをしていないだなんて、アンベール子爵は腑抜けなのかしら」
こうなったら絶対にウィリアムから告白されるような流れに持っていくべきだ。
ふたりに力説され、リゼットはお茶会が終わり自室に戻る頃にはすっかりくたくたになっていた。
「そんなにおかしなことかしら……?」
ふたりの様子から、ウィリアムとの仲が普通ではないと言われているようで少し不安になる。
だが、リゼットはいまのウィリアムとの関係が好きだ。こうして離れてみてから交わすようになった、手紙のやり取りも楽しい。不安なことなど何もないのだ。
ずっとこのまま、ウィリアムと笑い合って過ごせたらいいのに。
そんな風に考えたとき、テーブルに置かれた手紙に気がついた。いつも手紙を届けてくれる侍女が置いて行ってくれたのだろう。
何気なく手に取り差出人を確認したリゼットは、目を見開く。
そこには『シャルル・デュシャン』の名前が記されていた。
女の子たちがキャッキャしているのを書くのは楽しいですね!
そして、きたかシャルル……!




