59通目【生まれ変わった宝物】
「一生分踊った気がします……!」
バルコニーの手すりにもたれかかり、リゼットは心地よい疲労を感じながら笑った。
あれからもう一曲ウィリアムと踊り、他にもスカーレットの持つダンスカードに記名してくれた貴族男性たちと続けて踊ってくたくたになった所で、ウィリアムにバルコニーに連れ出された。
昼ならば見事な庭園が見られたのだろうが、いまは暗闇が広がるばかり。しかし火照った頬に、夜風が気持ち良い。
見上げた夜空には控えめに星が瞬き、ダンスが楽しくて高揚していた心を落ち着かせてくれた。
「休憩室で何かあったようだが、大丈夫だったのか?」
「はい。ちょっとしたトラブルはありましたが、無事解決いたしました。王女殿下も来てくださいましたし。ウィリアム様が王女殿下に知らせてくださったのですよね?」
レオンティーヌから、リゼットが気になるので様子を見に遣いをやってくれないかとウィリアムに言われたのだと聞いていた。
遣いではなく、王女自身が来てしまったのだが。
以前ウィリアムは王女が苦手だと聞いていたのに、そこまで心配してくれたのか。
「ああ。無事だったことにほっとしたが、まさかこのドレスを着て現れるとは思わず驚いた。君のデビュタントなのに、何だか私がプレゼントをもらってしまったようだ」
「どうしても、ウィリアム様からいただいたドレスで踊りたかったのです。ウィリアム様も、喜んでくださるかなと思って……」
勝手にそう思いこんでいたが、うぬぼれがすぎるだろうか。
もじもじするリゼットだったが、ウィリアムははっきりと「嬉しかったぞ」と言ってくれた。
「だから、お礼をさせてくれないか」
「お礼?」
「まぁ、お礼とは言っても、もともとデビュタント祝いに贈るつもりだったんだが」
ウィリアムはおもむろに胸元から、薄い小箱を取り出した。
赤い皮張りの箱はシガレットケースのようにも見えたが、リゼットはもちろんウィリアムも煙草は嗜まない。
興味津々でリゼットが顔を近づけると、ウィリアムは微笑みながら箱を開いた。
「……え?」
皮張りの箱に収められていたのは、一本の万年筆。
あまりにも見覚えのある色形をしているが、リゼットはまさかと首を振る。
本体は艶めく深い緑、装飾は金。ここまではリゼットが愛用していたものと同じだが、壊されてしまったリゼットの万年筆は、使い心地が重視されたシンプルなデザインだった。
しかし目の前の万年筆には、複雑な網目模様の装飾がほどこされている。金色の模様は角度によって緑がかっても見える不思議な色合いだ。
(何だか、まるで妖精の羽模様みたいできれい……)
「これって……」
「リゼット。君の万年筆だ」
「や、やっぱり!? でも、どうして……? あのとき壊されてしまったのに」
王立図書館でジェシカの連れの男に壊された万年筆は、証拠として提出したいというウィリアムに渡してあった。
調べたいことがあるので、返すのに時間がかかると言われていたのだ。
「ロンダリエお抱えの金細工職人に、特に手先の器用な者がいてな。その男に依頼して、出来るだけ元の形に近くなるよう直した。中の部品は一部交換が必要だったが、ほぼリゼットが拾った欠片で修復できたぞ」
「では……本当にこれは、私の万年筆なのですか?」
「ああ。完全に元通りとはいかなかった。すまない」
「そんな! こんな風に元の形をまた見られるなんて思っておりませんでした。……触ってみても?」
ウィリアムにもちろんと言われ、おそるおそる戻ってきた万年筆を手に取る。
手に馴染む太さ、わずかな傷。持ってみると、確かにこれは母の形見の万年筆だとよくわかった。
「いまはインクを入れていないが、もちろん使えるぞ」
「え!? 使えるのですか? あんなに粉々だったのに……」
「だが、使えるようにするためにこの模様が入ってしまった。接着するだけではどうしても強度が足りなくてな。すまない、勝手に」
「とんでもない。持つときに違和感もありませんし、なんなら前よりしっくりくるくらいです。不思議……。一体どうやって修復したのでしょう?」
きっとこの緑がかった金色の模様が、修復の跡なのだろう。
こんな風に壊れたものを直す方法を、リゼットは見たことがない。
「これはスティラピスを使ったんだ」
「スティラピスって……この印章にも使われている?」
先日ジーンから教えてもらった、とある翡翠色の湖の底で採れるという岩石から加工した金属がスティラピスだったはず。
妖精が好む金属と言われているらしく、柔らかく加工に向いているとか。
スカーレットが趣味で集めており、伯爵邸に戻ったら見せてもらう約束をしていた。
模様が細いのでわかりにくいが、確かにリゼットのシグネットリングの色と同じに見える。
「そうだ。スティラピスは自然素材のものと融合しやすい性質がある。そこで接着力のある樹液と混ぜて、乾くと強度が高い接着剤にすることができた」
「貴重な素材を接着剤に……」
「ワロキエ商会では品切れですぐに調達できなくてな。実はお祖母様のコレクションをひとつ譲っていただいたんだ」
ウィリアムの告白に、あまりに驚きすぎてリゼットはひっくり返りそうになる。
スカーレットの大切なコレクションが、接着剤になっていただなんて。母の形見が、とんでもない価値の万年筆になって戻ってきてしまった。
「お祖母様はリゼットの万年筆が直せるならと、快く譲ってくれたぞ。リゼットの落ちこむ姿に、お祖母様もお心を痛めていたんだ」
「スカーレット様が……。あとでお礼を言わなくちゃ」
涙のにじむ目元をグローブをはめた指先で拭い、リゼットはとびきりの笑顔でウィリアムを見上げた。
「ウィリアム様、素敵なデビュタント祝いをありがとうございます! こんなに素敵なプレゼントは生まれてはじめてです!」
「そうか……喜んでもらえて何よりだ」
リゼットのその顔が見たかった。夜風に吹かれて消えてしまいそうなほど小さな囁きだった。
それをしっかりと拾ってしまったリゼットは、火照った顔を隠そうと俯き、まだウィリアムの手にあった箱を見つけた。
「こ、このケースも素敵ですね! 何のケースなのですか? シガレットケースか何かかと思ったのですが……」
「ああ、これか。これも祝いの品のひとつ、万年筆ケースだ」
「え、こ、これもいただけるのですか? すごい……こんなに堅いケース、見たことがありません!」
ペンケースと言えば、皮製のものがほとんどだ。
万年筆を傷つけない柔らかい皮を使用してはいるが、強度はそれほどなく、例えば踏んでしまうと中のペンは折れてしまう。
しかしこのペンケースが、ワイン色の皮で作られているが、持つと違いが歴然としていた。
「中が金属だからな。弾丸ケースを作る職人に依頼して作った堅牢な金属製の箱を、皮職人に依頼して外側だけでなく内側まで皮で覆って作ったものだ」
つまり、ウィリアムによる特注品らしい。
世界でひとつ、リゼットだけの特別な万年筆ケースだという。
「もう絶対に壊れないように、頑丈なケースも必要だろう?」
「ウィリアム様……」
言葉が見つからない。ウィリアムの心遣いに、何と返していいのかわからない。
戦場の悪魔と呼ばれているウィリアムだが、リゼットは思う。こんなに優しい人が他にいるだろうか。
ウィリアムからのたくさんの贈り物の重みが、リゼットをこれでもかと幸せにしてくれる。
「ありがとうございます、ウィリアム様……っ」
「泣くな。笑った顔が見たかったと言っただろう?」
「な、泣いてません……!」
「わかったわかった」
リゼットの泣き顔を隠すように、ウィリアムが抱きしめてくれる。
温かな腕に包まれながら、リゼットは子どものように泣いた。
これが最後だから。立派な淑女になるから、もう簡単に泣いたりしない。だから今夜だけ。
今夜の涙を知るのはウィリアムだけ。きっと彼はリゼットがわんわん泣いたことを、秘密にしてくれるだろう。
万年筆もどってきました……!




