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6通目【空を知る】

 

 部屋の床に足がつき、リゼットとウィリアムの安堵のため息が重なった。恐らくドコドコと激しい心臓の音も重なっているだろう。

 かぎなれない、春を乗せた風のような優しい香りに包まれていることを感じた瞬間、雷が落ちた。



「君は! 一体何をしているんだ⁉」



 至近距離からの怒号に、リゼットの鼓膜がビリビリと震えた。

 激しかった鼓動が今度は止まったかと思うほどだ。



「も、申し訳ありません! 部屋に閉じこめられてしまったので、何とか抜け出してスカーレット様の元へ行かなくちゃと頭がいっぱいで」

「それで窓から飛び降りようとしたというのか⁉」

「と、飛び降りようとしたわけではなく! カーテンやシーツでロープを作ったので、それを伝って降りようと……」



 あきれた、とばかりにため息をつかれ、リゼットは恥ずかしさと悔しさで、唇を嚙みしめた。



「信じられん。何の訓練も受けていない令嬢が、無謀にもほどがある」

「無謀でも、やるしかなかったんです。何が何でも、スカーレット様との約束を守りたかったから……」



 鼻の奥がツンと熱くなったが、泣くものか、と上を向く。

 じっとリゼットを見下ろしていたウィリアムと目が合ったが、なぜか気まずげに目をそらされる。かと思えば、大きな手が遠慮がちに頭にポンと置かれた。



「怪我はないか」

「え……た、多分大丈夫で、ひぇっ!?」



 言い終わる前に、いきなりウィリアムに鞄ごと抱き上げられた。

 あまりに軽々抱かれ、急に天井が近くなり、リゼットは鞄を強く抱きしめながら目を白黒させた。



「とりあえず、馬車に。怪我をしているならハロウズ邸で手当てをしよう」

「待ちなさい!」



 リゼットを抱いたまま部屋を出ようとしたウィリアムを、継母と義姉が呼び止める。そして道を塞ぐように前に立ちはだかった。



「あなた一体どういうつもり⁉ 女伯の使いだか何だか知らないけど、勝手に上がりこんで、無礼じゃないの!」

「お母様の言う通りよ! しかも扉を蹴破るなんて非常識だわ!」

「そちらこそ、一体どういうつもりだ? リゼット嬢は熱を出して寝こんでいると言っていたが……」



 ウィリアムがちらりとリゼットを見下ろしてくる。

 冷めた目に『窓から脱出しようとしていた奴のどこが病人だ』と言われている気がして、リゼットはいたたまれずそっと目をそらした。

 貴族の令嬢とはかけ離れすぎた姿を見られてしまった。忘れてはもらえないだろうか。



「リゼット嬢はこの通り元気そうだ。それなのに部屋に閉じこめ、伯爵家からの使いの私を追い返そうとした。無礼で非常識なのはどちらだ?」

「し、使用人風情が偉そうに!」

「お義母様、違います。この方は……」



 こんなにも高貴さが溢れ出た容姿をした相手になんてことを、とリゼットは慌てた。不敬だと軍神様に首を切り落とされてしまっても文句は言えない。

 とんでもない勘違いしているらしい継母に説明しようとしたリゼットだが、ウィリアムが小さなため息をついた。

 ちらりと顔を伺うと、冷めた目の温度が更に低くなっている。軍神がお怒りだ。



「名乗っていなかったな。私はアンベール子爵、ウィリアム・ロンダリエだ」



 威圧をたっぷり含んだ低い声に、義母姉の動きがぴたりと止まった。

 ふたりの顔が一気に青褪めていく。



「ア、アンベール子爵、ですか……?」

「ロンダリエって、まさか公爵家の⁉」

「現ハロウズ伯爵は私の祖母だ。私は今日、祖母の使いで来たわけだが……。このことは、フェロー子爵に正式に抗議する」



 ウィリアムの言葉に、継母は途端に態度を変えた。その場に膝をつき頭を下げた。ジェシカはそんな母に驚きながらも、後に続いて頭を下げる。



「お、お待ちください! 申し訳ありませんでした! 何か行き違いがあったようで……」

「もう遅い。釈明なら夫にするんだな」



 そう言い放つと、ウィリアムは引き留めようとする義母姉を押しのけ部屋を出た。

 リゼットを抱えて出てきたウィリアムに、集まっていた使用人たちがギョッとした顔をして次々道を開けていく。



「あ、あの。アンベール子爵」

「ウィリアム」

「うぇ?」

「ウィリアムでいい」



 爵位ではなく、名前で呼んでいいということだろうか。

 軍神様の名前を呼ぶなんて恐れ多いと思いながらも、せっかくのご厚意だしとうなずく。



「ウィリアム、様?」



 そろりとその名前を口にすると、予想外に穏やかな笑みが返ってきたので、リゼットはドキドキしてしまう。軍神は、怒っていても笑っていても、とても凛々しく美しい。

 それにこんなに軽々と自分を抱いて――と、そこまで考えハッとした。



「その、ウィリアム様。私は大丈夫なので、降ろしてください」

「怪我をしているかもしれないだろう。さっきは座りこんでいたじゃないか」

「あれは驚いて腰を抜かしただけです。どこも痛くはないので歩けます」



 元気ですよ、無事ですよとアピールしたが、ウィリアムはちらりとリゼットを見ただけで降ろしてはくれなかった。



「いいから、馬車までおとなしくしていろ」

「で、でも、使用人も見ていますし」



 おかしな噂が立ったらウィリアムに申し訳ない。

 しかし当のウィリアムは、心底意味がわからない、というような顔をした。



「使用人に見られて、何か問題があるのか?」

「問題というか、ウィリアム様にご迷惑がかかるかもしれません」

「使用人がどう思おうと、我々には関係ないだろう」

「……あ、はい。そうですね」



 軍神にとって、衆目など取るに足らないことらしい。

 そうよね、神だもの、と納得しつつ、私は気にするんだけどなぁと思うリゼットである。


 長い足でぐんぐん進むウィリアムは、あっという間に邸の外に出た。

 いつも薄暗い部屋の窓から見る空は、四角く切り取られ狭く感じて見えていた。けれど、ウィリアムの腕の中から見上げた空はとても広く深く青く、どこまでも続いているように見える。



「どうした」

「え? あ、いえ。良い天気だなぁと」



 こんな素敵な空の日に、スカーレットの代筆として出かけられることが嬉しい。

 代筆初仕事の記念日だもの、とリゼットは幸せな気持ちでいたのだが、なぜかウィリアムに深々とため息をつかれてしまう。



「なんて呑気な……。あんなことをしでかしたばかりだぞ」

「そ、そうですよね! 申し訳ありません! それから……助けていただきありがとうございました」

「礼はいらない。それより、怪我でもしていたらどうするつもりだったんだ」



 さすがにリゼットだって怪我をするかもしれないとは考えた。

 考えたが、あのときは抜け出すのが最優先事項だったのだ。



「行けないよりはマシかなと思いまして。足から落ちれば、最悪腕は守れるかなぁと……」

「……いいか、二度とやるな。絶対にだ」



 やるならロープで上り下りする訓練をしてからだ、と言われ、軍人らしい冗談だなと少し笑ってしまったリゼットだったのだが――。


 そのあと馬車に乗りこんでからも、ウィリアムによるロープ訓練の重要性や、拘束、監禁された場合の対処法などを延々と聞かされ、先ほどのあれは冗談ではなかったのだなと思い知るリゼットだった。





本日は夜にも更新予定です!

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