53通目【デビュタント】
通常、デビュタントを迎える令嬢たちは、社交シーズンはじめの舞踏会で一堂に会し、一斉にダンスを披露する。リゼットはそれが叶わなかったので、急遽開かれたこの舞踏会でデビュタントを迎えるのはリゼットのみとなる。
そのためダンスホールに出たのは、リゼットとウィリアムのペアだけだった。
緊張しながらも、おじぎをそろえてウィリアムの手を取る。
彼の広い肩に手を置くと、身長差があるので姿勢が少しつらいのだが、ウィリアムがしっかりと腰を支えてくれるのでふらつくことなく踊り始められた。
いち、に、さん、いち、に、さん。頭の中で、練習中に聞いていたスカーレットの三拍子を刻む声が音楽と一緒に流れている。
「いい出だしだ」
「はい!」
「緊張しているか?」
「はい!」
元気よく返事をすると、そうかと笑われる。余裕がないのがバレてしまったようだ。
貴族たちの前では取り繕わなければいけないが、ウィリアムには安心してありのままの姿を見せられる。
この大広間に集まるすべてのルマニフィカ王国貴族たちの視線が、リゼットとウィリアムのふたりに注がれているのだ。緊張するのも仕方がないだろう。
「心配するな。足がもつれても私が支える」
「では、私がウィリアム様の足を踏んでしまったら?」
「リゼットの足を乗せたまま踊ればいい」
ドレスで隠れてバレやしないとウィリアムが言うので、リゼットも思わず笑ってしまった。
おかげで肩からちょっぴり力が抜ける。ウィリアムの目が、いまを楽しめと言っているように見えた。
そうだ、いま自分は憧れていたデビュタントを、あの王宮で迎えたのだ。
宮廷舞踏会でデビュタントのダンスを踊れるなんて、少し前の自分には想像もできなかった。しかもダンスのパートナーは、軍神バランディールのような凛々しく精悍な大人の男性。
まさか戦場の悪魔と呼ばれ国内外から畏怖される、ウィリアム・ロンダリエがエスコートをしてくれるなんて、誰が想像できただろう。
幼い頃から、想像するデビュタントのダンスの相手はいつも幼なじみのシャルルだった。
けれど彼はとっくにリゼットの隣からは姿を消していて、代わりに孤独だったリゼットを迎えに来てくれたのがウィリアムで、いつの間にか想像のダンスの相手はいつだってウィリアムになっていた。
(こんなに幸せでいいのかしら……)
いつしか周りの喧騒が聞こえなくなり、見物する貴族たちの姿も見えなくなり、世界にウィリアムとふたりきりになったように感じていた。
音楽だけがふたりを包み、見つめ合いながらくるくると軽やかにステップを踏む夢のような時間を過ごした。
音楽が止み、最初と同じようにおじぎをして終わると、始まる前よりも貴族たちの人垣が増えていて驚いた。
歓声に包まれながら、ウィリアムのエスコートでスカーレットたちの元へ向かう。
「楽しかったか?」
「はい……!」
「おめでとう、リゼット。これで君は一人前のレディだ」
ウィリアムの囁きに、熱いものがこみ上げてくる。
ああ、そうだ。ようやく夢が叶ったのだ。
もうリゼットは子どもではない。立派な淑女として生きていける。どこに行こうと、何をしようと、すべて自分で決められるし、すべての責任を自分で負うことができるのだ。
「ありがとうございます、ウィリアム様」
リゼットの部屋の扉を壊して、連れ出してくれたあの日から、ウィリアムはリゼットにとって特別な英雄だった。物語の中の勇者のように、唯一無二の敬慕するべき正しく誇り高い人。
ウィリアムは微笑みで返すと、椅子に腰かけるスカーレットの元へと真っすぐに連れて行ってくれた。
「スカーレット様! 見ていてくださいましたか?」
実は踊っていたときのことはほとんど記憶にない。無意識に体が動いていたので、きちんと踊れていたか自信がなかったのだが、スカーレットは「良かったよ」と笑顔で抱きしめてくれた。
「リゼット、おめでとう。素晴らしいダンスだった」
「ご指導くださったスカーレット様と、何度も練習に付き合ってくださったウィリアム様のおかげです!」
「リゼットのがんばりがあったからこそだ。皆お前の愛らしいダンスに見惚れていたよ。証拠に、ほら。ダンスの申しこみがこんなにきている」
「えっ。こ、こんなに……!?」
リゼットたちが踊っている間に、シャペロンであるスカーレットに、リゼットへのダンスの申しこみが殺到したらしい。ダンスの予約の意味合いを持つダンスカードには、貴族男性の名前がずらりと並んでいた。
「見せてください」
ウィリアムが引ったくるようにスカーレットからダンスカードを受け取ると、記入された名前を厳しい目つきで確認し始めた。
「問題ないよ。私が許可した相手にしか名前を書かせていないのだから」
「……一番上にある名前が、一番問題ありだと思うのですが」
一番上と聞いて、リゼットの頭に王太子がカードに名前を書きこんでいた光景が浮かぶ。確かに一番問題ありだ。
「あれは仕方ない。拒否するともっと面倒なことになるだろう。適当に相手をしてやり過ごすのが正解だ」
さすが血縁者。スカーレットは大甥の悪い癖がよくわかっている。
その面倒な大甥はというと、聖樹の近くでたおやかな令嬢と笑顔で会話をしているところだった。もしかしてあれが新たに決められた婚約者候補だろうか。
リゼットたちのダンスのあとには、国王夫妻がダンスを披露し、鳴りやまぬ拍手の中二階席へと戻っていった。その次は王太子アンリと王女レオンティーヌのペアが、貼り付けたような王族スマイルで踊り始める。
うっとりと見惚れてしまうほど美しい兄妹だが、ふたりとも笑顔ががっちり固定されており、何やら忙しなく言葉を交わしているようなので、いつもの口論をしながら踊っているのだろう。
仲良しだなぁと微笑ましく見ているうちに、ふたりは優雅に踊り終え、いよいよ他の貴族たちが自由に踊る時間がやってきた。
緊張で、ぶるりと体が震えた。ウィリアム以外の男性と踊ったことがないので、上手く踊れるか不安だ。ウィリアムならリゼットが足を踏んでも、転びそうになってもビクともしないが、他の男性はそうはいくまい。
相手に恥をかかせてしまったらどうしよう、と考えていると背中に「リゼット嬢」と聞き覚えのありすぎる声がかけられた。
恐るおそる振り返ると、先ほど一曲踊り終えたばかりの王太子がとても良い笑顔で立っていた。
なぜここに。てっきりレオンティーヌと二階に戻ったと思っていたのに。
油断していたリゼットの手を、アンリがが流れるような仕草さで取る。そのままウィリアムに止められる前にダンスホールへと連れ出されてしまった。
「で、殿下? 婚約者候補のかたと踊られるのでは?」
「そんな約束はしていないぞ? 今日は妹のエスコートだし、リゼット嬢のダンスカードにも名前を書いた。問題はないだろう?」
いや、問題ならあり過ぎるほどなのだが。
同じようにダンスホールに出ていた貴族たちが、アンリとリゼットのペアを見てギョッとした顔をする。皆さすがにすぐに表情を取り繕うが、やはり王太子がデビュタントを迎えたばかりの、しかも子爵令嬢と踊るのは異例のことなのだろう。
出来ればこんな風には目立ちたくなかったが仕方ない。これ以上目立つことがないよう、空気になって踊るしかない。リゼットは腹をくくった。
「私はアンベール子爵よりダンスが上手いぞ」
「そうなのですね。申し訳ありませんが、私はとても下手です」
「本当にダンスが上手い人間は、相手もダンスの達人にするものだ」
自信たっぷりにそう告げたアンリは、確かにダンスが上手かった。
踊り出した瞬間に、まるで自分の背中に羽が生えたかのように感じたほどだ。そして軽やかに次のステップへと導いてくれる。本当にダンスの達人になったかのようだった。
色々な緊張で強張っていた顔が、気づけば笑顔になっていた。
「楽しいか、リゼット嬢?」
「はい! 殿下は本当にダンスがお上手なのですね」
「そうだな。ダンスで私の右に出る者はいないだろう。あとは……私ほどではないが、デュシャン卿もダンスが上手いと評判ではあるか」
王太子の口からシャルルの名前が出たことで、思わず彼の足を踏みつけてしまいそうになったが、華麗に避けられた。
そのまま踏み抜いてしまえば良かったのに、と頭の中のレオンティーヌが残念そうにため息をついた。
リゼットの頭の中には小さな王女に小さな女王に小さな軍神もいるのかも(何それかわいい)




