52通目【宮廷舞踏会】
「ルマニフィカの沈まぬ太陽、国王陛下のお成りです」
明るく華やかな演奏とともに、聖樹の奥の二階から、国王一家が姿を現した。
歓声と拍手に応え手を振る彼らは皆金髪で、太陽の一族と呼ばれる理由がよくわかる眩く煌びやかな容姿をしている。
リゼットは国王夫妻の姿をはじめて見たが、ふたりとも若々しく、また王太子アンリと王女レオンティーヌにとてもよく似ていた。王子と王女の未来の姿を見たような気分になる。
レオンティーヌと目が合った気がして、リゼットはそっと会釈をする。気のせいでなければレオンティーヌは応えるように、こちらに向かって笑顔で手を振ってくれた。
それにアンリも気づいたのか、王太子スマイルで手を振ってくる。反射でリゼットが会釈を返す前に、ウィリアムが「相手にするな」と背中に隠してくれた。
ウィリアムの気遣いは嬉しいのだが、あの王太子はこちらがどんな反応をしても面白がる気がする。
本当は無視するのが一番なのだろうが、相手が次期国王となるとそれも難しい。まったく困った人である。
「皆、今宵はよく集まってくれた。我が娘レオンティーヌと、ヘルツデンの王太子との婚約が決まった。どうか皆、華麗なダンスで娘の婚約を祝ってくれ」
厳かな空気の中、国王が挨拶を終えると、今夜の主役であるレオンティーヌが階段を駆け下りてきた。
貴族たちに囲まれる前に、王女はこちらに真っすぐドレスを翻し駆けてくると、そのままリゼットに勢いよく抱き着いてきた。
「フェロー先生!」
「お、王女殿下⁉」
ミモザの香りに包まれて、リゼットは慌てて倒れないようしっかりと王女を受け止める。
周囲の貴族たちが婚約を祝う言葉をかける機会を失って、ざわめきながらこちらを見ているのがわかった。
「来てくださって安心いたしました! まるで妖精のような素敵なドレスですね!」
「あ、ありがとうございます。王女殿下の本日の装いも、春を祝う女神のような……」
「私のことは良いのです! それよりも、愚兄がまたご迷惑をおかけしました。フェロー先生にドレスを贈りつけたそうですね?」
「ああ……ええと、その」
「報告を受けたときは耳を疑いました。本当に、どこまで人を不愉快にさせれば気が済むのかしら。愚兄のドレスはもちろん捨ててしまって構いませんからね!」
プリプリと可愛らしく怒る王女に、リゼットが何と答えようか迷っていると、階段のほうがまた騒がしくなる。
集まってくる貴族たちをいなしながら、王太子がこちらに向かってくるのを見て「うわ」と言いたくなったのは恐らくリゼットだけではないだろう。
隣のウィリアムの顔も一気に荒んだ顔になっていく。
「良い夜だな、リゼット嬢。アンベール子爵も」
「王太子殿下にご挨拶申し上げます」
「ふむ。私の贈ったドレスは選ばれなかったか。残念だ」
大げさに肩を落とした王太子の言葉に、周囲の貴族たちが驚いたように顔を見合わせた。
あちこちから「殿下がドレスを?」「どういう関係だ?」と声が聞こえてくる。アンリがわざと周囲に聞こえるように言っただろうことは、さすがにリゼットにもわかった。
貴族たちの間で「例の指南役か」「殿方との噂が」とリゼットについて囁き合う声がどんどん大きくなっていく。
「殿下が余計なことをしてくれたおかげで、約束していた私の贈ったドレスも着てもらえませんでしたよ」
「ウィリアム様」
ウィリアムに肩を抱き寄せられ、リゼットはどきりとしたがおとなしく腕の中に納まる。
これは王太子に対抗し、ウィリアムもあえて周囲に聞かせているのだ。
「子爵もか。それはお互い残念だったな!」
にこやかな王太子に、ウィリアムの放つ空気がどんどん冷え切ったものになっていく。「お前が言うな」という彼の心の声が聞こえるようだ。
「ではそのドレスは叔母上が贈ったものか。さすがにセンスが良い。よく似合っているぞ、リゼット嬢。いや、今宵は妖精姫とでも呼ぼうか」
「もう、お兄様! あなたは本当に邪魔ばかりして! お呼びではありませんの、向こうへ行ってくださいませ!」
もう耐えられないと、王女が兄を叱りつけ、貴族たちの群れを指差した。自分に代わり、彼らの相手をしろと言いたいらしい。
「ひどいな、妹よ。そんなに兄を邪険に扱わなくてもいいだろう」
「邪険にされたくなければ、これ以上フェロー先生を困らせないでください! ほら、あちらで婚約者候補のご令嬢がお待ちですよ!」
「待て待て。リゼット嬢。ファーストダンスは子爵に譲るが、その後なら私と踊ってくれるな?」
「えっ⁉」
嫌です、と答える前に、王太子アンリは大叔母であるスカーレットに声をかけに行ってしまった。
スカーレットはやれやれとあきれた顔をしながらも、大甥にカードと万年筆を渡している。それがダンスの申しこみだと気づいたのは、アンリが「では後でな」と機嫌よく去っていったあとだった。
「まったくもう……。フェロー先生、迷惑な兄で本当に申し訳ありません」
「お、王女殿下。おやめください。王太子殿下と踊れるなんて、とても栄誉なことですから。お気になさらず」
「フェロー先生は優しすぎますわ。子爵にも、ご迷惑おかけします」
ウィリアムは不愉快そうに顔をしかめたままだったが、王女に対しては黙って会釈で返していた。
王族に対し随分な態度だが、ウィリアムは子どもの頃からこうだったらしい。遠戚ゆえに幼い頃から交流はあったが、口数が少なくしかめっ面が通常だったとレオンティーヌが言っていた。
リゼットに対しても最初はそうだったが、最近のウィリアムがよく話してくれるし親切なので、すっかり忘れていた。
「皆様、ご紹介いたしますね。こちらはリゼット・フェロー子爵令嬢です。先日、私の手習いの指南役に選定いたしました」
「王女殿下⁉」
突然、レオンティーヌによって周囲の貴族たちに紹介されたリゼットは、あわあわとしかけて、スカーレットが眼光鋭くこちらを見ていることに気づき、ビシリと背筋を伸ばした。
ここで慌てるのは淑女がすることではない。立派な淑女は、いついかなるときも余裕の笑みを浮かべ、落ち着いて振舞うものである。
「フェロー先生はヘルツデンの王太子殿下への手紙の代筆も担ってくださる才女でいらっしゃいます。本日がデビュタントとなりますので、皆さまどうか私の先生にもたくさんの祝福をお願いいたしますね」
「ご紹介賜りました、リゼット・フェローと申します。皆さまお見知りおきのほど、よろしくお願いいたします」
何度も練習をしたカーテシーをしたところ、ワッと喝采と拍手に包まれリゼットは飛び上がってしまった。
あちこちから「おめでとうございます!」「ダンス楽しみにしております」と温かな声をかけられて、予想外のことに驚きながらも目がうるむ。
ここで泣いてしまうと化粧が台無しなので、グッとこらえた。本番はこれから。最後まで淑女でいなければ。
王女の婚約を祝う声と、リゼットのデビュタントを祝う声が絶え間なく聞こえる中、レオンティーヌがそっと耳打ちしてきた。
「フェロー先生。お荷物、用意した部屋に運び入れてありますから」
「……ありがとうございます、王女殿下。無理なお願いを聞いてくださって」
「何も無理ではございません。元々用意を決めていた部屋ですから。遠慮なく使ってくださいませ」
そう言ってウィンクすると、レオンティーヌは王太子の元へと去っていった。
すぐ傍で聞いていたウィリアムが「何の話しだ?」を身をかがめてたずねてくるので、リゼットは微笑みながら口元に人差し指を当てる。
「秘密です」
ウィリアムが目を見開いたとき、大広間に宮廷楽団によるワルツの音楽が流れ始めた。
舞踏会の幕開けである。
ダンスカードにちゃっかり書きこみアンリ。




