51通目【三蹟と弟子たち】
「王族に呼ばれた者しかあの階段を上ることはできない」
「階段を上らないと、王族の方々にはお会いできないのでしょうか?」
「そんなことはない。彼らのほうが二階から降りてくれば会える。王族もダンスを踊るのは一階だからな」
そうか、王族も踊るのだ。
王太子アンリにダンスのパートナーにと誘いを受けたことをすっかり忘れていた。
「ウィリアム様は、二階へ行かれたことはあるのですか?」
「何度かあるが、椅子があるだけでどうということはない。ただ、ダンスが始まると二階席から踊る貴族たちが一望できるから、眺めだけは良いかもしれん」
ウィリアムの言葉に、リゼットは二階からの眺めを想像した。
宮廷楽団の奏でる曲に合わせて、色とりどりの装いで一斉に踊る貴族たちの姿を上から眺められるのは、王族だけの特権ということか。きっと歌劇の一幕のように素晴らしい景色なのだろう。
「リゼット!」
誰もがリゼットたちを遠巻きにしながら、ロンダリエ一族から声をかけられるのを待っている中、堂々とリゼットに声をかけてくる者がいた。
周囲の視線など気にも留めずに向かってくるのは、指南役の選定で出会ったひとり。
「ララ様!」
ラベンダー色のドレスに身を包んだララ・モニクが笑顔でリゼットに駆け寄ってきた。
そのまま勢いよく抱きしめられ、きょとんとする。
「何よ、元気そうじゃない! 大丈夫だと手紙では言っていたけど、心配したんだから」
「ララ様……。ありがとうございます。この通り、私は元気です。あの日はワロキエ商会で気遣っていただき、ありがとうございました」
「あのときのことはもう気にするなと言ったはずよ? あのあとすぐに私に手紙をくれたのだからそれでいいの。本当に無事で良かった」
まったく、心配させないでよねとツンとしながら言うララは相変わらずだ。
お互いしっかりと抱きしめ合って離れると、スカーレットが声をかけてきた。誰かと目線で問われたので、ハッとしてリゼットがララを振り向くと、彼女は瞳をキラキラと輝かせスカーレットを見ていた。
そうだ、ララはスカーレットをとても尊敬しているのだった。手紙でもスカーレットも無事かどうか、心配する内容が綴られていた。
実はスカーレットが社交界を退いていなければ、現在の師ラビヨンではなくハロウズに弟子入りしていただろうというくらい、ララはスカーレットに憧れていたらしい。
もちろんいまではラビヨンを最も尊敬しているが、スカーレットへの敬愛は変わらずにあるとか。
「スカーレット様。こちら、先日ワロキエ商会でとてもお世話になったと話しました、ララ・モニク様です」
「ああ。ラビヨンの弟子の?」
「お目にかかれて光栄です、ハロウズ伯爵。ラビヨンが弟子、ララ・モニクと申します。師が大変お世話になっております」
優雅に礼をするララに、スカーレットは満足げにうなずく。
「あのラビヨンが弟子を取ったと聞いたときは驚いたが、聡明そうな子だ。私はスカーレット・ハロウズ。私の弟子に良くしてくれたそうだね。感謝する」
「もったいないお言葉です」
「リゼットから聞いているよ。手紙で恋に落ちそうなほどたおやかな筆跡だそうだね」
「そ、そのようなことは。愛の伝道師と名高いハロウズ伯爵の前で、恐れ多いことです」
かしこまって頭を下げながらも、ララは「あんた何言ってるのよ」という目でリゼットを睨んできた。
顔が赤いので、スカーレットに褒められて興奮しているのだろう。その気持ちはとてもわかるので、リゼットが笑顔でうなずくとなぜかさらに睨まれた。
「む……。面倒なのがやって来たな」
スカーレットが顔をしかめたので、リゼットとララがその視線を追うと、こちらに向かってくる複数の男女がいた。
その中のひとりに見覚えがあったので、リゼットは思わず「ルーク様!」と喜びの声を上げた。
眼鏡をかけた細身の青年はルーク・ペシオ。こちらも三蹟のひとりカヴェニャークの弟子だ。
ということは、彼と一緒にいる白い口髭を丁寧に整えた男性は――。
「カヴェニャーク。珍しいじゃないか、お前が王宮の宴に参加するなんて」
スカーレットの挨拶とも言えない軽い嫌味に、カヴェニャークと呼ばれた厳しい顔の口髭の男性は「うむ」と短く返す。
「ハロウズ。君も元気そうで何よりだが、そろそろ互いに後進に道を譲るべきではないか」
「……何が言いたい?」
「君の弟子を見に来た」
じろり、とカヴェニャークに視線を向けられ、リゼットはウィリアムにしがみつきそうになるのを堪えて背筋を伸ばす。
「君がリゼット・フェローか」
「は、はい! はじめておめもじつかまつります! カヴェニャーク様にお会いできて大変こうえ」
「私の弟子を差し置いて王女殿下の指南役に抜擢されたという」
「あわわわ申し訳ありませんっ」
眼光の強さに思わず謝ってしまったリゼットを、スカーレットが「何を謝る」とたしなめた。
その通りで、謝る必要がないことはわかっているのだが、カヴェニャークに睨まれて自然と頭を下げてしまったのだ。
「リゼットが謝る必要はない。カヴェニャーク。うちの弟子を威圧するんじゃない」
「む。事実を言ったまでだ」
師匠同士の会話に口を挟めないルークが、こっそり「すまない。師に悪気はない」と謝ってくれる。見た目と口調で誤解されやすいが、三蹟がひとりカヴェニャークは実直で情の深い人だという。
「相変わらずカヴェニャークは言葉足らずねぇ」
カヴェニャークの後ろにいて見えなかったが、小柄でカーリーなグレーヘアの女性がそう言ってほがらかに笑った。
今度はララが「うちの師匠よ」と耳打ちしてくる。あれが最後の三蹟、ラビヨンか。
(すごい……憧れの三蹟がいま目の前にいるなんて!)
感動に打ち震えるリゼットは、つい祈りの手で神に感謝し、ララにあきれられてしまった。
「言葉を操る者が言葉足らずなんて、お笑い種だわぁ。そんなだからハロウズに嫌われちゃうのよ~」
祈りの形のまま、リゼットは「ん?」と瞬きする。
おっとりとした喋り方なので聞き流してしまいそうになったが、ラビヨンの言っていることが棘だらけに聞こえる。気のせいかと思ったが、隣でララがため息をついているので、おそらく気のせいではないのだろう。
「私はいつも皆の平和と安全を願っている。嫌われてはいない」
「まぁ。まだ気づかないなんて、そんなに鈍感で同じ三蹟として心配になるわ~」
「ラビヨン。君もそろそろ落ち着くといい」
「あら、嫌味かしらぁ? 私は若い頃からこうだし、死ぬまでこうよ。本当、余計なお世話だわ~」
「おやめ。若い者たちの前でみっともない」
「そうだ。ハロウズも弟子が出来たのだからこのような場にはもう出る必要はないだろう」
「これ、ハロウズの身体を心配しての言葉だから笑ってしまうわよねぇ」
「言われなくてもわかっている。私を年寄扱いするな」
三蹟のかみ合っているような、まったくかみ合っていないような会話を、弟子たちはハラハラしながらも黙って聞いているしかない。
リゼットが予想していた通り、三蹟はあまり仲がよろしくはないようだ。ケンカするほど仲が良い、というのとも少々違う気がする。これは恐らく相性の問題なのだろう。
ロンダリエ一族には見慣れた光景なのか、誰も口出しせず「やれやれ」という顔で見守っている。昔から三人はこういう関係だったようだ。
ぜひ三蹟に会えたら聞いてみたいことがたくさんあったが、こんな雰囲気ではとても無理そうだ。
残念に思っていると、ララが「今度、改めて師を紹介するわ」と言ってくれた。ルークも同じように言ってくれたので、リゼットもぜひスカーレットにも紹介させてほしいと返す。
まだ公爵邸にお世話になっている状況なので、いつになるかはわからないがと言うと、ふたりとも無理はしないよう年長者らしく気遣ってくれた。
三蹟たちが結局「フン!」と顔を背けて別れたので、弟子たちは苦笑しながらそれぞれ師を追っていった。
「落ち着いたら、一緒に文具店を回らない?」
別れ際、ララが誘ってくれたのが涙が出るほど嬉しかった。おすすめの文具店を紹介してくれるという。ルークはあとでダンスに誘うと約束してくれた。もしかしたらウィリアムと踊ったあとは誰にもダンスに誘われないかもしれないと思っていたので、心から感謝したリゼットだ。
それをスカーレットに報告すると、若干気まずげな顔で「良かったね」と頭を撫でられた。
ウィリアム曰く、師匠同士が不仲なのできまりが悪いのだろうとのことで、思わずリゼットが笑ってしまったとき、宮廷楽団のファンファーレが大広間に鳴り響いた。
「王家の登場だ」
今回登場人物が多すぎましたが、三蹟の弟子たちが好きなので書いていて楽しかったです!




