49通目【誰を選ぶ?】
舞踏会当日の朝。
リゼット宛に届いた荷物が閑静なロンダリエ公爵邸に波紋を広げていた。
「なぜ、こんなことに……?」
めまいでふらついたリゼットを、荷物を運びにきたメイドたちが慌てて支えてくれる。
ドンとリゼットの目の前に飾られたのは、デザインのまったく異なる二着のドレス。
一着はウィリアムが用意してくれた、夜空を思わせる深い青色のドレスだ。
生地には上品な光沢があり、太めのオフショルダ―がエレガントなフォルムを描いている。
胸元から腰回りには細かな宝石が縫いつけられ、星の運河が流れているかのようだ。腰から下には波打つ形にシフォンが重ねられ、美しいグラデーションを作り出していた。
正面の裾が短いのは、以前プレゼントしてくれたあのサテンリボンの美しい靴を見せるためだろう。
生地に色合いにデザインに、ドレスの細部からウィリアムの心遣いが感じられて胸がいっぱいになった。
こんな素敵なドレスを着られるのか、と夢見心地なところに新たに届いたのがもう一着のドレスだ。
生地に張りのある、落ち着いた色合いのシャンパンゴールドのドレス。
胸元にハート型はどきりとするほど深いが、そこから上はシアーのハイネックで覆われておりいやらしさはない。
体のラインがわかりやすい細身のシルエットで、ドレス全体に恐ろしく細やかな刺繡が施されている。おまけにその刺繡に沿って、見事な照りの真珠がびっしりと縫いつけられていた。
この繊細でいて豪奢なデザインが、あの王太子の容貌を彷彿とさせるドレスである。
それぞれのドレスの脇に、合わせて着用する靴やグローブ、宝石の箱が積み上げられており、客間を占領していた。
「リゼット様、どちらを着用なさいますか……?」
そろそろ準備を始めなければ間に合わないとメイドに促され、リゼットは頭を抱えてしまう。
着たいドレスはもちろん決まっている。
ウィリアムから贈られた夜空のようなドレスが着たい。あの青い靴を履いて、このドレスを着て、ウィリアムとダンスを踊ることを想像しただけで幸せな気分にひたれていたというのに。
しかし王太子から直々に(頼んでもいないが)贈られたドレスを選ばないのは不敬に当たる。
シャンパンゴールドのドレスを着ずに舞踏会に行けば、あの王子のことだ、必ずリゼットやウィリアムに笑顔で嫌味を言いながら絡んでくるだろう。
知り合ってそれほど経っていないのに、ありありと想像できるのが恐ろしい。
「一体どうしたら……」
苦悩するリゼットだったが、そこに救世主が現れた。
「王宮からドレスが届いたって?」
「スカーレット様……!」
騒ぎを聞いたスカーレットが、自身も準備があるというのに様子を見に来てくれたのだ。
涙目のリゼットの前に並ぶ二着のドレスを見て、スカーレットはやれやれとため息をついた。
「まったくあの王子は……」
「スカーレット様、私はどうしたら良いのでしょう?」
「悩むことはない。リゼットが好きなほうが着たらいいんだよ」
「でも、もし殿下のドレスを着ていかなかったら、ウィリアム様のお立場が悪くなったりはしませんか? 殿下に目をつけられて、無茶な仕事を振られたり、戦場の最前線に送られてしまったりはしないでしょうか……?」
「まさか、そんなことは——」
ない、と言いかけただろうスカーレットが、微妙な表情で口を閉じる。
それを見てリゼットはやっぱりその可能性はあるのか、と青ざめた。目に浮かぶ涙はこぼれ落ちる寸前だ。
「……仕方ない。ソフィ。あれを持ってきておくれ」
伯爵邸から連れてきた専属侍女に指示を出したスカーレットは、まずは落ち着くようにとリゼットの目元をハンカチで拭ってくれた。
これから化粧をするというのに、目が腫れてしまう。リゼットは目元にぐっと力を入れて涙をこらえる。
「大丈夫だ。こんなこともあろうかと、準備しておいて正解だった」
「準備、ですか?」
リゼットが必死に涙をこらえていると、ソフィーとメイドたちが美しく包装された箱を次々と運びこんでくる。
何やら既視感のある光景にぼう然としていると、リゼットの前に三着目のドレスが飾られた。
「私からリゼットに、デビュタント祝いのプレゼントだ」
スカーレットが用意してくれたのは、まるで妖精のようなドレスだった。
下地の濃い緑の上に、ペールグリーンの柔らかなシフォンを幾重にも重ね、胸元や裾の部分にはリゼットや母が好きなグリーンローズや可憐なピンクローズが咲いている。
そして背中から腰にかけて、たっぷりのシフォンがリボンのように広げられており、それがまるで妖精の羽に見えるなんとも愛らしく幻想的なドレスだ。
物語の中の、妖精のお姫様が着ているドレスが具現化したようで、リゼットがすっかり見惚れてしまう。
「【蝶の軍服】で仕立てたから、サイズは合っているはずだよ」
「スカーレット様……」
「私のドレスを選んでおけば、角が立たないだろう? ウィリアムには私から事情を話しておくから心配はいらない。さぁ、準備をするといい」
優しく背中を押してくれるスカーレットに、リゼットはすんと一度鼻をすすり、彼女の手を取った。涙を気合で飲みこんで、笑ってスカーレットを見上げる。
「ありがとうございます、スカーレット様」
「お前の笑顔が見られるなら安いもんさ。私の大甥が迷惑をかけてすまないね」
後で厳しく叱っておく、と女王の顔で言うスカーレットに笑い、リゼットは妖精の姫に変身するために準備を始めるのだった。
***
まさか、ウィリアムの母親、ロンダリエ公爵夫人のグレースの用意すると言っていた宝飾品があれほどとは——。
王宮に向かう馬車の中でリゼットは恐ろしい光景を思い出し身震いした。
「アクセサリーなんていくらあっても困らないでしょう? せっかくだから、どんな色のドレスを着ても問題ないように、あらゆる色の宝石でセットを揃えてみたわ」
気に入ってもらえるかしら、と心配そうに言ったグレースの後ろにズラリと並べられたのは、色とりどりの宝石が輝く開かれたジュエリーケースたち。
鮮やかなルビーにサファイヤ、エメラルド。ダイヤにトパーズ、アメジスト。オパールに真珠にトルマリン。あらゆる色の宝飾品がリゼットの目の前で光り輝いていた。
「お義母様のドレスに合わせるのなら、エメラルドが良いかしら」
「ピンクダイヤのほうが合うんじゃないか?」
「そちらもいいですわね! こちらセットのまま使います? こちらのパールのイヤリングを合わせるのも可愛らしいですけれど」
「ピンクパールがあるならそれもいいが……」
ああでもないこうでもないと、スカーレットとグレースは自分たちの準備をギリギリまで後回しにしてリゼットを飾り立ててくれた。
おかげで準備が完了した自分を鏡で見たときは、別人のように見違えて感動したほどだ。
自分が自分じゃないみたい。
きちんと妖精のお姫様になれていたことにほっとし、夢みたいだとうっとりしたリゼットだったが、最後のグレースの言葉で現実に引き戻された。
「他のアクセサリーは、あなたの客間の衣装棚にしまっておくから。たくさん使ってちょうだいね」
今回身に着けたピンクダイヤのアクセサリーだけでなく、他の宝飾品を受け取ることになるとは思っていなかったリゼットは衝撃を受け、しばし立ったまま気絶したのだった。
少し前までは、宝石どころかドレスひとつ持っていなかったのになぁと、自分の境遇のあまりの変わりようについていけずにいる。精いっぱい働いて、自立して、現実に追いつかなければ。
「リゼット、緊張しているのかい?」
向かいに座るスカーレットに眉が寄っていると指摘され、慌てて眉間を指で伸ばす。
せっかく公爵邸のメイドたちが総がかりで別人に仕上げてくれたというのに、王宮に着く前に崩してしまっては申し訳が立たない。
「ウィリアム……お前はいい加減、目線だけで人を殺しそうな顔をやめなさい」
どんなドレスか皆さまに想像していただけると嬉しいです!




