筆休め【退屈な茶会】
ようやく謹慎が解かれたジェシカは、とある伯爵家の午後の茶会に呼ばれた母に、同行する形で早速社交を再開した。
本当は夜会に行きたかったが、しばらく夜間に開かれる社交場へは参加しないよう義父に厳命されてしまった。夜こそが社交の本番だというのに、と子爵を心の中で罵倒する。
ジェシカは昼間の社交が好きではない。
お茶を飲んで喋るだけで退屈極まりないからだ。乗馬や狩猟の社交ならまだいいが、ただの茶会は最悪だ。飲み食いしながらずっと椅子の上で喋り続けるだけ。
以前はそれももう少し楽しめたはずだが、リゼットが出て行ってからは楽しいどころか、面白くないことばかりだ。
社交界は噂が広まるのが一瞬だ。良いことも悪いことも、そうでないことも一晩のうちに王都中に知れ渡る。
いまではほとんどの貴族が女伯の代筆者が王女の指南役に抜擢されたことを知っている。
そしてどこから広まったのか、それがジェシカの義妹であると知る者も多く、以前のフェロー家の手紙はその義妹が引き受けていたのだろうと皆見当がついていた。
その上でジェシカに手紙を催促してくるのだ。
「ジェシカ様、手紙のお返事はまだいただけない?」
「私も待っておりますの。ジェシカ様からのお手紙を読むと、幸せになれますもの」
「わかりますわぁ。実際、良いことが起きたりいたしません? 例えば失くしものが見つかったり」
「私は婚約者とケンカをしていたとき手紙をいただいて、仲直りできましたわ」
「幸運の手紙、と一時話題になりましたわね」
ジェシカは馴染みの令嬢たちの話をおざなりな笑顔で聞き流しながら、内心「何が幸運の手紙だ」と鼻で笑った。
そんなもの偶然に決まっている。こじつけもいいところだ。リゼットの字が上手いだけの手紙にそんな力があるわけがない。
「ジェシカ様ほど筆跡の素晴らしいお手紙読んだことがありませんわ」
「早くお返事がいただけると嬉しいわ。お忙しいのかしら?」
「そういえば、しばらくジェシカ様をお見かけしませんでしたね」
「以前は夜会のはしごもしていらしたのに。もしかしてついに婚約者をお決めになったとか」
クスクスと笑う令嬢たちに、この飲んでいる紅茶をぶちまけたい気持ちになる。テーブルをひっくり返すのでもいい。とにかくこの着飾った女たちの見てくれをぐちゃぐちゃにしてやりたい。
しかしいまは無理だ。立場上もあるが、どこかに監視の目があるからである。
アンベール子爵こと、ウィリアム・ロンダリエがジェシカに四六時中監視をつけている。そんな中で下手に騒ぎを起こせば、それを理由に連行される可能性があった。
自由に動けない中、手駒に連絡を取るのもひと苦労だ。
王立図書館でリゼットの万年筆を折らせた男は、ドルフという名の平民だ。ジェシカが商家の娘だった頃、父が口外できない汚れ仕事をやらせていたのがドルフである。
商売敵の店に嫌がらせをしたり、関係者に暴力、脅迫行為をする。野蛮で、不潔で、人間以下だとジェシカはドルフを蔑んでいた。
貴族入りしたことでドルフのようなクズと二度と顔を合わせずに済むと清々していたが、まさかこちらからコンタクトを取ることになるとは思ってもみなかった。
(せっかく使ってやったっていうのに、役立たずな男)
あのいけ好かない女伯の邸に忍びこみ、火をつけたのはドルフだ。もちろん指示を出したのはジェシカである。
全焼させてやりたかったのにボヤ騒ぎで終わるとは、使えないにもほどがある。
リゼットかスカーレット、どちらか死ねば最高だった。しかし腹立たしいことにどちらもぴんぴんしている。火傷のひとつもしていないと聞き、ジェシカは怒りが抑えきれず部屋の調度品を手当たり次第に投げつけた。
いまリゼットたちはロンダリエ公爵家に身を移しているらしい。
ジェシカが見たこともないほど立派な邸で、贅沢な生活を送っているのだ。
許しがたいが、さすがに警備の厳しい公爵邸に忍びこみ火をつけるのはドルフには難しいらしい。万が一捕まるようなことがあり、ジェシカの名前を出されれば終わりだ。
そうなる前にドルフの存在を消してしまいたいが、その前にもう一度くらい使ってやってもいいだろう。いつ、どう使うかが問題だが。
「婚約者と言えば、もうお聞きになりました?」
「まぁ。何かしら?」
「もしかして、エルヴィール様のことでしょうか」
「そうそう。あちらにいらっしゃる、ジオネ侯爵家のエルヴィール様。王太子殿下の婚約者候補に選ばれたとか」
ジェシカは彼女らの視線を追って、別のテーブルにいるひときわ煌びやかな装いの集団に目をやった。
エルヴィールは高位貴族の令嬢たちの中心で、どこか得意げな笑みを浮かべている。
何の苦労も知らない頭の悪そうな女だと、ジェシカは心の中で吐き捨てる。
「あの方、以前から王太子殿下に熱を上げていらっしゃったものね」
「これまでの婚約者候補の方々に、相当嫌味を言われていたとか」
「はしたないこと。私には理解できませんわ。殿下はもちろん尊きお方ですけれど……ねぇ?」
「元婚約者候補の方々の話をお聞きすると、なんというか……ねぇ?」
王太子アンリについての噂はジェシカも聞いたことがある。
振る舞いは優雅で温和そうに見えるが、急にひどく冷酷な態度をとって令嬢を怯えさせるという。
王宮でのティータイムに呼ばれ和やかに談笑していたら、突然王太子が「少々失礼」と笑顔で席を立ち、すぐに戻るかと思えばその後夜になっても王太子は戻らず、二度と王宮に呼ばれることもなかったとか。
遠乗りに誘われ出かけた際、王太子が急に「あとはゆっくり楽しんで」と言うと、令嬢をひとり残し騎士を引きつれ帰ってしまったとか。
突然執務室に呼ばれたかと思えば、領地での交易について尋ねられ、知っていることを答えると「とても参考になったよ」と笑顔で言われたあとすぐに婚約者候補を外されたとか。
麗しい見た目に反する支配者らしい傲慢さを、王太子は隠すことがない。隠す必要がないからだ。なぜなら彼は将来国を統べる者で、そんな相手に異を唱えられるのは父王しかいないのだから。
王太子の婚約者候補になれたとしても、いつその梯子を外されるかわからない。候補から正式な婚約者になったとしてもそれは変わらないだろう。
「王太子殿下は恐れ多すぎて。それよりデュシャン卿のほうが安心してお話できますわ」
「そういえば、最近デュシャン卿もお見かけしませんけれど」
「あら、ご存じないの? 卿は王太子殿下に謹慎を言い渡されていたそうですよ」
「まあ、本当に? ジェシカ様、デュシャン卿はお元気なのかし……ジェシカ様?」
ジェシカは無言で席を立つと、エルヴィールのいるテーブルに向かった。
同じテーブルについていた令嬢たちが、ジェシカに気づいて剣呑な目つきで睨んでくる。
エルヴィールはそれに「おや」という顔をして、余裕の表情でジェシカを頭からつま先まで観察するとにこりと微笑んだ。
「ごきげんよう。ごめんなさい。どちらの家の方だったかしら?」
「エルヴィール様、その娘は……」
「フェロー子爵家の長女、ジェシカと申します。突然失礼いたしました。どうしてもエルヴィール様のお耳に入れたいことがありまして」
ジェシカは「余裕かましてんじゃねぇぞクソ女」という本音をおくびにも出さず、可能な限り殊勝な態度に見えるよう挨拶の礼をとる。
エルヴィールは初めからジェシカのことは知っていたのだろう。表情を変えることなく、いま話題のご令嬢の家門ですね。ご本人かしら、などととぼけてみせた。
周囲の令嬢がくすくすと笑い合う。どこに行っても似たような嫌がらせなので、このくらいではジェシカが傷つくことはない。
(その涼しい顔がいつまで持つかしら)
動揺させてやるのは自分だ。内心そうほくそ笑みながら、ジェシカはエルヴィールのそばで囁いた。
「大変お恥ずかしい話なのですが、その義妹が実は、最近王太子殿下と――」
エルヴィールの顔が瞬時に強張るのを、ジェシカは間近で見ながら愉悦にひたるのだった。
不屈のジェシカという二つ名をつけたくなってきました。




