48通目【ダンスの資格】
「机に向っているときのフェロー先生は、本当に姿勢がよろしいですね」
代筆するリゼットの姿を見ていた王女が、感心するようにそう言った。
あまり自分では意識したことのないリゼットは、褒められてうっかり手元が狂いそうになり慌てる。
リゼットの母も手紙を書いているときはとても姿勢が良かった。それ以外のときはそうでもないというか、ちょっぴり猫背だったような記憶がある。
選定で一緒になったララやルークも姿勢がぴんとしていたなと思い出した。
「姿勢はとても大事です。もちろんそれぞれ書きやすい姿勢や集中できる姿勢などあると思うのですが、姿勢が良いと文字列が曲がっていないか、文字の大きさが変わっていないかなど、手紙全体のバランスを見ながら書くことができます。それに姿勢を良くすることで腕が固定できるので、圧倒的に楽でもあるのです」
継母たちの代筆をしていたとき、あまりの手紙の多さに疲れてしまい、姿勢が悪くなっていたことがある。そのときは比例して腕への負担が大きくなり、腱鞘炎も長引いて大変だった。
「知りませんでした。そういうものなのですね」
感心するレオンティーヌの横で、王太子アンリが「確かに」と訳知り顔でうなずいている。
なぜ彼はリゼットが王女宮に来るたび毎回いるのだろう。
「剣術も乗馬も、何事も姿勢は大事だな」
「ええ、本当に。政務に真面目に取り組む姿勢もとても大事ですわね」
冷めた目で兄を見るレオンティーヌには、すでに「いつも邪魔者がいて申し訳ありません」と謝られていた。
とんでもないと返すしかなかったが、確かになぜいるのか目的が不明だし、よくわからない茶々を入れてくるしで、正直やめていただけないものかとは思っている。
「できました、王女殿下! いかがでしょう?」
ヘルツデンの王太子に送る手紙には、王女自らが摘み取り、押し花にしたミモザが可憐に咲いている。たくさん作った中から厳選した便せんからはふんわり春の匂いがして、書いているリゼットも優しい気持ちになった。
押し花はあえてあまり葉の部分を使わなかった。代わりにインクを灰緑のものにして、ミモザらしい色の配色にしたのだ。
実はインクには黄色の鉱石を細かく砕いたものが混ぜられていて、よく見ると上品な輝きを放っている。
ペン先はわずかに細めなものを選び、ヘルツデン語独特の強弱がわかりやすくなるよう、筆圧やインクの量を調節し、慎重に書き進めた。
王女と王太子が互いに顔を寄せ合い手紙を覗きこむ。こういう姿を見ると、普段何かと口論をしているが仲が良いなぁとリゼットは微笑ましく思う。
「これは見事だな……まったく読めないが」
「ええ、本当に……。フェロー先生が代筆してくださると、お手紙が繊細な絵画のようになるんですもの」
「お気に召していただけたのなら嬉しいです。ヘルツデンの王太子殿下に、古い習わしの部分を気づいていただけるといいですね」
相手の良いところ、好きなところを三つずつ褒め合うことを、七度繰り返す習わしである。
リゼットがその習わしに気づき、返事をそれに合わせたものにすることになったのだ。
「そうですね。でも、気づいていただけなくても、同じようにお返ししたいわ……」
「ぜひそうしましょう! 王女殿下のお気持ちが大切ですから」
王女とリゼットが微笑合っていると、王太子が割りこむように「ひと区切りついたということでいいか?」と身を乗り出した。
王女がムッとした顔で王太子を睨んだが、妹の「空気を読め」と言わんばかりの視線にも、王太子は気づかず(気づいているのかもしれないが)自分のペースで話を進めようとする。
「話は戻るが、先ほどの姿勢の話だが」
「本当に戻りますのね」
「……姿勢の話だが、ダンスも姿勢が大事だろう?」
「お兄様、まさか――っ!」
何か言いかけたレオンティーヌの口を、アンリが手で素早く塞ぐ。
何事か、とリゼットが目を見開いていると、アンリは「舞踏会の話だ」と完璧な王太子スマイルを浮かべてみせた。
「リゼット嬢にとっては初めての舞踏会。しかも王宮で開かれるどこよりも格式高い宴だ。緊張するに違いない。そうだろう?」
「は、はい。そう、ですね? いまからとても緊張しておりま――」
「ああ、やはりな。緊張するに決まっている。不安なことも多いだろう。ならば王宮に詳しく誰よりも慣れている者にエスコートさせるのはどうだろう? それならリゼット嬢も安心して舞踏会に臨めるのではないか?」
妙に早口で詰められ、リゼットはわけがわからないまま「そうですね?」と相槌を打つ。
なぜか頭の中で警鐘が鳴り響いているが、王族のオーラと笑顔でぐいぐい話を進められると、冷静に返すことができない。
相変わらずアンリに口を塞がれているレオンティーヌが、顔を赤くして何かもごもごと訴えているが、アンリはとても良い笑顔のまま妹を解放する様子はなかった。
壁際から見ているレオンティーヌの近衛騎士ヘンリーも、止めるべきか迷って見える。
「ではリゼット嬢。舞踏会は私がエスコートをして構わないな?」
そこまで言われ、リゼットがハッとしそれはダメですと言おうとした瞬間、応接室の扉が勢いよく開かれた。
ノックもなしに現れたのは、引き留める王太子の近衛騎士たちを振り払うウィリアムだった。
「構わないわけがないでしょう!」
「……何だ。もう来たのか」
「近衛騎士を使って私を足止めするとは、随分と姑息な手を使われるのですね。王太子殿下」
「姑息な手でも使わなければ、戦場の悪魔は止められないからな」
ウィリアムに睨みつけられ、王太子は降参だというように妹を解放し両手を上げた。
ようやく自由になった王女は「信じられない!」と顔を真っ赤にしながら憤る。
「お兄様には新たな婚約者候補が選定し直されたばかりでしょう! エスコートするならばそのご令嬢になさって!」
「寂しいことを言うな妹よ。まだ決まってもいないのに婚約者面をする相手をエスコートするくらいなら、お前をエスコートするさ」
「私はお断りです! もちろんフェロー先生もです!」
べしべしと王女に強く腕を叩かれ、王太子は逃げるように立ち上がる。
そのまま別のソファーに座るのかと思えば、なぜかリゼットの目の前にきて手を取った。リゼットが驚いて声を上げる前に、さっと甲に触れるか触れないかの口づけがなされた。
「エスコートが叶わないのであれば、ぜひダンスのパートナーに立候補したいのだが?」
「ダ、ダンスのパートナーに、殿下が……?」
リゼットはあまりの恐れ多さに、ダンスホールの中心で白目をむいて倒れる自分を想像してしまい震えた。
夢にまで見たデビュタントだが、次期国王と踊るなどこれまで一度たりとも想像したことがない。
思わず無理です、と言いそうになったとき、王太子から奪うようにリゼットの手を取ったのはウィリアムだった。そのまま引っぱり上げるように立たされ、ウィリアムの腕の中へ。
「リゼットをエスコートするのも、ダンスのパートナーも私です」
「アンベール子爵。舞踏会の間中、ずっとそなたがリゼット嬢と踊り続けるのか? そんなことは出来ないだろう? ファーストダンスならまだしも、その後は様々な相手と躍らせてやらねば、リゼット嬢がかわいそうだ。貴族に、騎士に、王族にも彼女と踊る権利はあるだろう」
「……わかっておりますが、殿下はダメです」
「おいおい。それは本気で言ってるのか……?」
あのウィリアム・ロンダリエが! とアンリは弾かれたように大笑いし始めた。
とても王太子らしくない様子でお腹を抱えてソファに倒れる兄に、レオンティーヌはあきれたような目をすると、リゼットたちに向かって「行ってください」と言った。
いまのうちだからとリゼットを逃がそうとしてくれる王女の気持ちはありがたいが、封蝋がまだだ。
しかしあとはこちらで出来るからと言われ、リゼットはウィリアムを見た。うなずいて返されたのでうなずき返し、レオンティーヌに深々と礼をとる。
王室の印章をリゼットが押せるわけではないので、任せるのが正解なのだろう。
「フェロー先生。先生の素敵な印章で封をした手紙を、今度送っていただけると嬉しいです」
去り際そっと手を握ってきたレオンティーヌに言われ、リゼットは嬉しくなって何度もうなずき「必ず」と約束するのだった。
王太子がさりげなく騎士をねじこんでいることに気づいてしまった方はブクマ&評価をぽち!




