47通目【代筆者の誇り】
公爵邸に移り、一週間が過ぎた頃。
リゼットは用意された客間でララに手紙を書いていた。
指南役の選定で出会った、ララ・モニク。三蹟のひとりラビヨンの弟子で、ララ自身も素晴らしい能筆者だ。
彼女に手紙を書くのはこれが初めてではない。ワロキエ商会で再会したとき、取り乱したリゼットに親切にしてくれた彼女に、すでに一度お礼の手紙を送っている。
ララからは本人の性格のまま、ツンツンとした文面でリゼットを心配する返事が届いた。いま書いているのはその手紙への返事である。
「そうだ。舞踏会、ララ様も参加されるか聞いてみよう」
もし王宮のパーティーに参加したことがあるのなら、色々教えてほしいとも書いてみる。
ララはツンツンしているがとても優しく面倒見の良い人なので、きっと「仕方ないわねぇ」と言いながらも親切に教えてくれるだろう。
手紙には師がリゼットの手紙を見て褒めていたともあったので、そのお礼も綴る。あの三蹟のひとり、ラビヨンに褒めてもらえたなど、なんと光栄なことだろう。
舞踏会で直接お礼が言えたらいいなと思いながら、ララの手紙を手に取りため息をつく。
「やっぱり、ララ様の筆跡ってなんて美しく艶やかなの……」
何度読んでもうっとりしてしまうララの筆跡。大人の女性の魅力あふれる彼女の手紙は、早く大人になりたいリゼットにとって憧れずにはいられない。
いつか自分も、と思っていると公爵家のメイドが来て、リゼットに来客だと知らせてくれた。
案内された応接室には、スカーレットとともに、麗しい紳士が立っていた。
ワロキエ商会のジーンだ。今日も浮世離れした美貌にモノクルを装着し、営業用の笑顔を貼り付けている。
「ごきげんよう、ジーンさん。先日は大変ご迷惑をおかけしました」
「とんでもない。元気なお姿を見られて良かったです。あの日の騒ぎを聞いたときはこのジーン、生きた心地がしませんでした」
大げさに胸を押さえるジーンに笑ってしまう。
「あの日、ジーンさんのおかげでボヤ騒ぎで済んだのかもしれません」
「私の、ですか?」
「ええ。ジーンさんからいただいた、月光薔薇の夜蜜を、早速紅茶に入れて妖精さんに振舞ったのです。そうしたら、妖精さんが姿をちょっぴり現して火事を知らせてくれました!」
「妖精が火事を? 本当ですか?」
「本当らしい。リゼットについている妖精は、リゼットがよほど大切なようだ」
驚くジーンにスカーレットが言い、リゼットはそうだといいなとはにかむ。
これまで存在を知らずにいた分、リゼットも妖精を大切にしていきたい。
「そうですか……。おふたりのお役に立てたようで光栄です」
「はい! ジーンさん、本当にありがとうございました!」
「私からも礼を言うよ。大切な邸を失わずに済んだ。ありがとう」
リゼットとスカーレットからの感謝に、ジーンは「もったいないお言葉です」と胸に手を当て優雅に礼を取る。
さらりとジーンの絹糸のような髪が揺れる様子は美しく、いま彼の背中から妖精の羽が生えても驚かないななどと考えた。
「本日は、ご注文いただいた品が完成いたしましたので、お持ちしました」
そう言うと、ジーンはグローブをはめた手でジュエリーケースのような小さなビロード張りの箱を開いてみせた。
そこに入っていたのは宝石の輝く指輪……ではなく、シグネットリングだ。
あのボヤ騒ぎがあった日に、いくつかのデザイン案を受け取っていたリゼットの印章。公爵邸に来てから選んだデザインをワロキエ商会に伝えたのだが、たった三日前のことだ。
「も、もう完成したのですか?」
「はい。当商会の職人が全力で仕上げました。どうぞ手にとってお確かめください」
箱ごと受け取り、リゼットはまず色々な角度からリングを眺めた。
不思議な色をしているが、一体何の素材で出来ているのだろう。一見金色に見えるが、よく見ると緑がかっていて、角度によってその濃さも変わる。
「とある翡翠色の湖の底でのみ採れる、スティラピスという岩石を加工した金属で出来ています。妖精が好む金属と言われており、柔らかく加工に向いているのが特徴です」
「スティラピス……綺麗ですね」
「そういえば、昔スカーレット様が原石をご購入されたと記憶しておりますが」
同席していたスカーレットにジーンが話を振ると、スカーレットは軽く肩をすくめてみせた。
「ああ。趣味でいくつかね」
「そうなのですか? いつか見せていただけるでしょうか……?」
「私の邸に戻ったら、すぐにでも見せてやろう」
スカーレットは他にも、妖精にまつわる逸話があるような石や宝石を集めているらしい。
本当かどうかもわからないものも揃っているが、趣味だからそれでいいのだそうだ。リゼットは伯爵邸に帰る楽しみがひとつ増えたことが嬉しかった。
自分に寄り添ってくれているという妖精も、好ましい石を見て喜んでくれるといいなと思う。
印章の部分のデザインは、リゼットが想像していた以上に細かく彫られていた。
妖精の羽のステンドグラスのような模様の部分と、スカーレットをイメージした小さなバラの部分。どちらの彫りも繊細でうっとりため息をついてしまう。
「た、試しに押してみてもいいでしょうか?」
「どうぞ。こちらをお使いください」
ジーンはサッとインク台と紙を出し、インクを拭う布巾まで用意してくれた。
ありがたくそれらを使わせてもらい、ドキドキしながら出来たばかりの印章を押印してみる。ゆっくりとリングを離すと、繊細な彫りが見事にそのまま表現されていた。
インクの微かなにじみまで計算され尽くした彫りだったようで、リゼットはその出来栄えに感動する。
「すごい……見てください、スカーレット様! こんなに素敵な印章が!」
「ああ……」
印が押されたほうの紙をスカーレットに見せると、彼女は目を丸くしていた。
そこでハッと気づく。スカーレットのシグネットであるバラをデザインに入れたことを、いまのいままで秘密にしていたのだ。
「あ……じ、実は、ジーンさんにお願いして、デザインにバラを追加したのです。スカーレット様をびっくりさせたくて……」
「私を驚かせようと?」
「はい。スカーレット様の代筆者になれたことは、私にとって思いがけない幸運だったのと同時に、誇りなのです。だからスカーレット様のシグネットであるバラをどうしても入れたくて……っ⁉」
もしかして失礼だっただろうかと、途中から不安になったリゼットを、スカーレットが細い腕で強く引き寄せた。
ふわりと香るバラの匂いに包まれて驚くリゼットに「まったく……」とスカーレットが優しい声で囁いた。
「お前は、何でこんなに可愛いのだろうね」
「スカーレット様……」
「嬉しいよ。ありがとう。私の可愛い代筆者」
そんな愛に満ちた言葉をかけられて、リゼットは胸の奥から熱いものが込みあげてきた。
ダメだ、いま泣いたらスカーレットのドレスを濡らしてしまう。そう思うのに離れられない。
だからリゼットはいまだけ、ちょっとだけ、と甘えてスカーレットの肩口で愛を与えられる喜びを嚙みしめるのだった。
いつも嬉しい感想を本当にありがとうございます!




