46通目【代筆者へ】
「それは、あの素敵な靴とセットで着られるドレスということですか?」
「ああ。もし他に希望があるなら急ぎ作らせるが……」
言いかけたウィリアムに、リゼットは慌ててその必要はないと訴えた。
大人の女性、理想的な淑女のイメージにぴったりな、深い青のハイヒール。
シルクのレースアップが上品な光沢を放つ一品は、ウィリアムが詫びだと言ってプレゼントしてくれたものだ。
リゼットが食い入るように見てていたのことに気づき、ドレスの試着中に買っておいてくれたらしい。
それ以来、時折箱から出しては眺めているほど宝物になったあの靴に合わせ、ドレスを作ってくれていただなんて。
(どうしてあなたは、そんなに優しくしてくれるのですか)
聞いてみたい。けれど聞けない。
だからリゼットは精一杯、感謝を伝える。それしか出来ないのだ。
「どんなドレスなのか、とっても楽しみです。ウィリアム様、私のために本当にありがとうございます!」
「私がしたくて勝手にしたことだ。礼はいらない。ただ……」
ウィリアムは周囲に視線をやり、誰もいないことを確認するとコホンと咳ばらいをした。
「舞踏会では、私がエスコートしても構わないだろうか」
ウィリアムの眉間には、深いしわが刻まれている。軍神らしい厳しい表情だ。
しかし絶妙にリゼットとは目が合わないし、耳がほんのりと赤く染まっている。
ウィリアムが照れながらエスコートを申し出てくれたのだ。それに気づいたとき、リゼットも顔が真っ赤に染まった。
嬉しい、照れくさい。だが何よりも、舞踏会ではウィリアムがエスコートしてくれるものだと、言われる前からすっかり思いこんでいた自分に気づき、恥ずかしくなる。
(私ったら、何て図々しいの)
こんな自分にエスコートを申し出てくれるウィリアムが、神々しく見えた。
「と、とても光栄ですが、よろしいのですか?」
「君が良ければそうさせてほしい。それとも……他にエスコートを希望する男が?」
「そんな相手は……」
いません、と続けようとして、一瞬『ゆくゆくは妃に』と妖しく誘う王太子アンリが頭に浮かんだ。
芋づる式にアンリの近衛騎士であるシャルルの存在まで思い出し、一瞬渋い顔をしてしまったリゼットに、ウィリアムの目がぎらりと光る。
ふたりの名前をウィリアムの口から出される前に、リゼットは叫んでいた。
「ウィリアム様にエスコートしていただきたいです!」
無人の廊下にことのほか大きく響いてしまい、ますます顔が熱くなった。
だらだらと汗をかきながら俯くリゼットに、ウィリアムはしばらく無言だったが、やがて吐息のような笑い声が落ちて来た。
「……そうか」
こちらこそ光栄だ。そう言うと、ウィリアムは右の肘を差しだした。
リゼットはほっと微笑み、彼の右腕に手を添え歩みを再開させる。
ウィリアムからもらった靴とドレスを身に着けて、ウィリアムにエスコートしてもらえるなんて。舞踏会で一生分の幸運を使い果たしてしまうのではないだろうか。
それでもいいか、とこっそり笑う。
たとえ幸運を使い果たしても、その日の思い出があれば一生幸せな気持ちで生きていける気がした。
「本当は宝石も私から贈りたかったんだが。母は言い出したらきかないからな。嫌だったら正直にそう言ってくれて構わない」
「嫌だなんて! ただ、こんなに良くしていただいていいものかと、少し……いえ、かなり申し訳なくなるのです」
「それは……すまない。母がああも頑ななのは、ロンダリエ家の問題のせいだ。家門の事情で君に気まずい思いをさせてしまい申し訳ない」
「私は大丈夫ですが……ロンダリエ公爵家の問題、ですか?」
ウィリアムは「ああ」と前を見たまま短く答えただけで、その問題や事情については話してくれないようだった。
他家のことに首を突っこむつもりはないし、家門のことなら仕方がないとわかってはいるが、何だか線を引かれてしまったような気がして寂しく感じる。
何が出来るわけでもないのに、本当に図々しいなとリゼットは自分にあきれたくなった。
「なるべく君が気せずに済む形で進めるよう、母にはよく言っておく」
「そう、ですね。とてもありがたいのですが、さすがに宝石までいただくわけには……。出来たら私が働いてお返しできるくらいのものにしていただけると嬉しいです」
リゼットがそう言うと、ウィリアムは何を言っているんだと首を振る。
「いや、そこは本当に気にしなくていい。考えてみてくれ。お祖母様がシャペロンを務めるのだから、介添えされる君に半端なものを身に着けさせるわけにはいかないだろう?」
「はっ! 言われてみれば……スカーレット様がシャペロンになってくださるのですものね」
本当なら、自分で衣装を用意するべきなのにと思っていた。
だが、女王のごとき存在感を放つスカーレットと並び立つのに、みすぼらしい格好をするわけにはいかない。それではシャペロンであるスカーレットも貶めることになってしまう。
自分はともかく、スカーレットが万が一にでも笑いものになるなど、とても耐えられない。
「そういうことだ。当日君は、舞踏会の参加者の誰よりも完璧で、誰もが羨むような理想の淑女にならなければいけない。そうだろう?」
「確かに、おっしゃる通りですね!」
「完璧で理想の淑女ならば、やはり上質なものを身に着けるものだ。そうだろう?」
「ええ、その通りだと思います!」
「だから君は我々からどんなものを贈られても遠慮せず受け取ってくれ。君にはその権利がある。そうだろう?」
「確かに、おっしゃる通……り? うん?」
納得しかけたが、果たして本当にそうだろうか?
何やら勢いで流されているだけなような気がしたとき、ウィリアムが「そうだ忘れていた」とさっと懐から手紙を取り出した。
まるでリゼットに考える隙を与えないような流れる動きだ。
「以前、アンナという方への手紙を代筆したのを覚えているか?」
「アンナ様……あっ。星空の手紙の?」
星が大好きな、スカーレットの古い友人のことだと思い至る。
夜会を抜けて森へ行き、星見酒をしたというその友人は、病を患い領地にこもっているとスカーレットは言っていた。そんな彼女を励ましたいと言うスカーレットに、星空の手紙を提案したのだ。
「そうだ。その方からの手紙だ」
「え? でも、お返事がきたのでしたらスカーレット様が読まれるのでは……」
「お祖母様への返事はすでに渡してある。これはリゼット、君宛てだ」
「私に……?」
そのときちょうど、リゼットに用意された客間の前に到着した。
ゆっくり読むといい。そう言ってウィリアムは夜の挨拶をし去っていった。
公爵家のメイドたちが整えてくれる客間には、すでに明かりが灯されていた。リゼットは机の上のランプに吸い寄せられるように近づくと、柔らかな明かりの下で手紙を開いた。
手紙には確かに『リゼット・フェロー様へ』とある。
内容は、代筆をしたリゼットへの感謝が主だった。
まず見慣れない文字に驚き、それが星座を模しているのだと悟り、夢中で読み進めたこと。インクが暗闇で光ることに気づき、ベッドの上でもまた夢中で眺めたこと。
生きていることに疲れ始め、何をするにも気力がわかず、ただベッドの上で呼吸を繰り返すだけの毎日に希望の星が降ってきたように感じたこと。
久しぶりに夫の手を借りて、バルコニーに出て夜空を見上げることができたと、震える文字で丁寧に丁寧につづられていた。
もう読むことはできないと思っていたスカーレットから手紙をもらえて嬉しかった。またぜひリゼットの代筆で読ませてほしい。楽しみにしている。
最後の一文に、リゼットの瞳からぽろりと涙がこぼれた。
「嬉しい……っ」
止まらなくなった涙に顔を覆う。思いがけずもらった言葉で胸がいっぱいだ。
まさか、手紙を送った相手から、こんな風にお礼を伝えてもらえるなんて想像もしていなかった。こんなに代筆を喜んでもらえるなんて、ひとりぼっちだった頃には考えられないことだ。
デビュタントへの不安がみるみるしぼんでいくようだ。
例えジェシカや継母、父が舞踏会にいたとしても、そして彼らに何か鋭い言葉をぶつけられたとしても、くじけたりしない。
立派にデビューを果たし、胸を張れる淑女になろう。そしてスカーレットやレオンティーヌに誇ってもらえるような存在になろう。
涙を拭い、リゼットはそう強く決意するのだった。
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