45通目【シャペロン】
数日後、公爵邸に滞在するリゼットに王女から手紙が届いた。
婚約を祝う舞踏会の日取りが正式に決まったことと、そこでリゼットを指南役として紹介したいのでぜひ出席してほしいとある。
リゼットが晩餐の席でそれを報告すると、第一声を上げたのはウィリアムの母、公爵夫人グレースだった。
「まあ! では王女殿下は今回、リゼットさんのために舞踏会を開かれるのね? 王家主催の宴でデビュタントを迎えることは重要ですものね。その辺の夜会やパーティーでするのとは格が違うもの。王女殿下がリゼットさんを大切にされているようで安心したわ」
「スカーレット様が王女殿下にお願いしてくださったと聞いております。本当に、私にはもったいないほどのお話で……」
「私が相談していなくても、レオンティーヌは勝手にそうしていたさ。リゼットはそうするに値する素晴らしい存在だとあの子が思ったからだ。お前は胸を張って参加すればいい」
そのほうがレオンティーヌも喜ぶと言われ、リゼットは素直にうなずいた。
恐れ多いと遠慮するよりも、レオンティーヌなら感謝されるほうがきっと嬉しく思ってくれるだろう。
堂々と王宮でデビュタントを迎えるためにも、マナーやダンスのレッスンにいま以上に集中して取り組まなければ。
「シャペロンは私に任せて! ロンダリエ公爵家がしっかりリゼットさんを介添えしますからね!」
「えっ⁉ こ、公爵夫人がシャペロンを……?」
シャペロンとは、社交デビューをする令嬢に付きそう女性のことを指す。
令嬢が一人前の女性として振舞えるよう監督する立場で、基本的には母親や親戚の年配女性が務めることが多く、それが難しい場合は父親や兄弟が担う場合もある。
本来であればリゼットのシャペロンは継母になるはずだが、彼女が引き受けてくれるとはとても思えない。
「王家主催の舞踏会ですもの。シャペロンにも品格が問われます。私以上の適任がいるかしら?」
「ですが……」
リゼットにとってはありがた過ぎる話だが、縁もゆかりもない公爵夫人のグレースがシャペロンとして当日付き添ってくれた場合、一体どういう関係だと注目の的になってしまうのではないだろうか。
「心配しないで、リゼットさん。あなたの継母が来たとしても、私がいれば何かしてくるどころか、声をかけてくることすらできないわ!」
胸を張ってそう言ってくれたグレースは、頼もしくなんだか可愛らしくも見えて、リゼットはつい笑顔になってしまった。
グレースの言う通り、王家に次ぐ地位のロンダリエ公爵家に、子爵家の面々から声をかけることはまず不可能だ。
王家主催の舞踏会ともなれば、ほとんどの貴族が出席するはず。ジェシカはわからないが、メリンダは間違いなく父と一緒に参加するだろう。
メリンダは恐らく、リゼットにデビュタントを迎えさせるつもりがなかった。もちろん自分がシャペロンを務めるなど考えたこともないはずだ。
リゼットが王家主催の舞踏会でデビューし、しかも公爵夫人がシャペロンについた姿を見て、継母はどう思うだろうか。ジェシカのように、きっと敵意のこもった目を向けてくるのではないか。
図書館でのジェシカの姿を思い出し、ぶるりと体が震えたとき、隣に座るスカーレットが口を開いた。
「やる気になっているグレースには悪いが、リゼットのシャペロンは私が務める」
驚くリゼットに、スカーレットはワインを傾け不敵に笑った。
「リゼットは私の代筆者だ。そんなお前のデビュタントに付き添うのは当然だろう?」
「スカーレット様……」
実は最初からそう決めていたというスカーレットの言葉に、リゼットは食事中だというのに涙をこぼしそうになってしまった。
せっかくの仔牛のローストの味がわからなくなる。こんなに大切にしてもらっていいのだろうか。
「でも、お義母様……よろしいのですか?」
「手のことなら問題ないよ。気づかれないくらいに振舞えるようにはなった。シャペロンとして周囲に睨みを利かせるくらいわけはないさ」
「それなら良いのですが……。良かったわね、リゼットさん。お義母様がシャペロンについてくださるなら恐いことなど何もないわ。王家だって手出しできない。つまり無敵よ!」
「む、無敵……!」
リゼットが目をキラキラさせてスカーレットを見ると彼女は「おかしなことを吹きこむんじゃない」と苦笑した。
本当は、スカーレットが無理をしているのではと気になったのだが、リゼットに心配されるのを誇り高いスカーレットはよしとしないだろう。
ウィリアムならいつもスカーレットのそばにいるので、彼女が無理をしているのなら止めに入るはずだ。
だがウィリアムは黙々と仔牛のローストを食べ進めている。
父親の公爵もまったく同じ、美味しいのか美味しくないのか判別のつかない顔で食事をしており、よく似ているなと感心しながら見つめていると、ウィリアムと目が合った。
その瞬間ウィリアムは微かに微笑み、しかしすぐにハッとしたようにまた無表情で食事を再開する。
少し照れたような様子に妙にくすぐったい気持ちになったリゼットは、誤魔化すように仔牛のローストを頬張った。
「ではドレスはどう? もう決めてあるの? まだなら、王都中の仕立屋を呼ばないと!」
「ドレスはもう注文してあります」
「えっ⁉」
平然とした顔で言ったウィリアムに、リゼットは喉を詰まらせそうになった。
いつの間にドレスを? 普段着やお出かけ用のドレスは以前、蝶の軍服で仕立ててもらってはいたが、デビュタント用は聞いていない。
「まぁ、ウィリアムが……? やるじゃない。それならあとは宝石ね? それは私に任せてちょうだい! リゼットさん、楽しみにしていて。うちの領地には質の良いダイヤモンドの鉱山があるの」
「そ、それは私にはとてももったいなく……」
「新しいものは気が引ける? それならロンダリエの秘宝、女神の涙のセットを一式、宝物庫から出しましょうか」
「ひ、秘宝!? いえ、私はもっと、私の収入で賄えるささやかなものだとありがたいのですが……」
秘宝など、恐ろしくてとても身に着けられそうにない。一括では支払えないくても、せめて出世払いでなんとかなるようなものであってほしい。
リゼットは涙目でそう訴えたが、グレースに「心配しないで」と笑顔で首を横に振られてしまう。
「リゼットさんに、たとえこの世に存在する宝石の種類の分だけ宝飾品のセットをプレゼントしたとしても、ロンダリエ公爵家にとってそれはコマドリの涙ほどの出費でしかないの」
つまり、遠慮する必要はこれっぽっちもない、という意味なのだろう。
だが、リゼットは自分がいまどれほどの家門のお世話になっているのかを思い知らされた気がして、意識が遠のきかけた。
「母上、あまりリゼットを怯えさせないでいただきたい」
「何よウィリアム。私はリゼットさんのドレスも一緒に選びたかったのに、あなたに譲ってあげたでしょう? 宝飾品くらいいいじゃない」
ツンとそっぽを向くグレースに、ウィリアムはあきれ顔でため息をついている。
公爵は妻と息子のやり取りにもまるで興味がないように食事を続けていた。
スカーレットいわく、公爵は自分の意にそぐわないこと以外は、基本的にグレースの好きなようにさせているらしい。
何にも興味がないように見えて、グレースを最大限尊重している。それが不器用極まりない息子の愛し方なのだと言っていた。ウィリアムもそういう部分はあるが、まだ可愛いほうなのだと。
ロンダリエ公爵家の人たちはなかなかに我が強い面々がそろっている。
分不相応なほど良くしてもらっておいて何だが、デビュタントがとんでもないことになってしまうのではないかと、リゼットは小心者らしく震えるのだった。
***
「先ほどは、母がすまない。私がドレスを決めていたことが相当面白くなかったようだ」
晩餐のあと、公爵と話があるというスカーレットとは別れたリゼットを、ウィリアムが部屋まで送ると申し出てくれた。
見ていたグレースがにこにことご機嫌だったのが少し気になったが、ありがたくふたりで食堂をあとにした。
「その……ウィリアム様、私のドレスを本当に注文してくださったのですか?」
「ああ。どうしても、私が贈りたかったんだ。勝手にすまない。自分で選びたかっただろうか」
「いえ! 恥ずかしながら、私にはそういったセンスがありませんし、流行にも疎いのでとてもありがたいというか……嬉しいです」
「そうか。……実は、ドレスは君に贈った靴に合わせたデザインにしてある」
少し安心した様子のウィリアムにそう言われ、リゼットはパッと顔を輝かせた。
感想たくさんありがとうございます! お気遣いいただき恐縮です。本当にありがとうございます!涙




