37通目【頼みの綱】
「申し訳ございません。商会長はただいま商談中でして」
リゼットがワロキエ商会に飛びこむと、応対してくれたのはジーンではなく商会員の若い女性だった。
ジーンはいま別の顧客の対応をしているという。
「い、いつ頃終わる予定でしょうか? 私、はやくジーンさんにお願いしなければならないことがあって、どうしても、伝えなくちゃいけなくて……」
言いながら、リゼットは自分がめちゃくちゃなことを言っていると頭ではわかっていた。
今日は予約をしていたわけではないし、急いだところで万年筆の状態が良くなるわけではない。
それがわかっているのに、なぜ逸る気持ちが止められないのか、自分でも理解できなかった。
「……リゼット・フェロー様。こちらにおかけになってお待ちください。ただいま確認してまいります」
ロビーのソファーに促され、腰かけると、柔らかな座面に包まれた。
少しほっとしたが、手の中にあるハンカチの包みを目にすると、やはり胸が苦しくなり体が震える。
「リゼット様?」
それほど時を置かず、ジーンがロビーに現れ駆け寄ってきてくれた。
「ジーンさん……!」
「どうされたのです。顔色が真っ青ではありませんか」
「ジーンさん、私、どうしたら……。あ、頭が、真っ白になってしまって。ジーンさんならなんとかしてくださるんじゃないかと、それで、それで……」
言葉が上手く出てこない。焦れば焦るほど舌はもつれ混乱した。
ぐるぐるぐるぐると、まとまらない思考が頭の中を回り続ける。
「どうか落ち着いてください、リゼット様。部屋を用意しますから、少し休まれたほうが」
「いいえ! それよりも私……」
はくはくと口を動かすリゼットに、ジーンは痛ましいものを見るような目をして、ゆっくりと首を横に振った。
「本当に申し訳ないのですが、まだ商談中なのです。終わり次第すぐにリゼット様のところに戻ってきますから」
「あ……ご、ごめんなさい。私、自分のことで頭がいっぱいで……」
いきなり訪ねてきて、先客との商談を中断させるなど何をやっているのか。
さらに青ざめたとき、奥からカツリと靴音が響いた。
「リゼット・フェロー?」
「え……ララ様!?」
声をかけてきたのは、王女宮で出会った三蹟の弟子のひとり。
ラビヨンの弟子、ララ・モニクだった。
まさかこんなところで再会することになるとは、とお互い驚いて見つめ合う。
「あなたもこの店を利用していたのね……って、やだ。どうしたの。いまにも倒れそうな顔をしてるじゃない。お医者様を呼んだほうが良いんじゃないかしら」
「いえ、私は……」
そこでリゼットはハタと気づく。
もしかして、ジーンの商談相手はララだったのではないか。
妖精の力を宿すララだ。ワロキエ商会の常連なのだろう。自分はジーンとララの邪魔をしてしまったのだ。
「あの、申し訳ありません。私のことはお気になさらず、商談を進めてきてください」
「はぁ? ……そんなに震えながら言われてもね」
あきれながらも心配するようなララの言葉に、リゼットは情けなくて泣きたい気持ちになる。
黙りこんだリゼットに、ララは小さくため息をついた。
「何だか訳ありみたいだし、私はもうお暇するわ」
「モニク様、よろしいのですか?」
「別に急いでないもの。出直すわ。ハロウズの弟子……いいえ、リゼット。これはひとつ貸しだからね」
つんと額を突かれて、リゼットは慌てて顔を上げる。
意外なことに、ララは笑っていた。いつも彼女が浮かべている自信に満ち溢れた笑みだが、いまはどこか優しげに見える。
「え、でも……」
「選定でのあなたの手紙、悔しいけど素敵だった。今度私に手紙を出しなさい。この私が待っているというのに、あなたなかなか送ってこないんだもの。私の師も、あなたのことを話したらぜひ手紙を読ませてもらいたいとおっしゃったのよ」
「師……ってまさか、ラビヨン様がですか?」
「そうよ。わかる? これってすごいことなんだから」
ララが胸を張って言い、リゼットはこくこくと頷いた。
確かにとんでもなくすごいことだ。あの三蹟のひとり、『断絶の剣士』と謳われるラビヨンが、リゼットの手紙に興味を持ってくれたというのだから。
「も、申し訳ありません! 実はルーク様から手紙が来て、同志と手紙のやり取りをするときは、年長者からまず送るものだと書かれていたので。私から先に送ってしまうと失礼になるのではないかと……」
「……あの男。舐めてるわ」
なぜかララは顔から表情が一気に抜け落ち、カヴェニャークの弟子に呪いの手紙を送るなどと何やら物騒なことをぶつぶつと口にした。
まずいことを言ってしまったかもしれない。リゼットは心の中でルークに謝った。
「コホン。とにかく、早く私に手紙を送ること。そしたら今日のことはチャラにしてあげるわ」
「ララ様……ありがとうございます」
ララはひらりと手を振ると、ジーンに「また来ます」とだけ言って店を出ていった。
さっぱりとした気持ちの良い人だ。
リゼットは心からそう思って言ったのだが、それを聞いたジーンに「さっぱりした方は呪いの手紙は送らないかと」と言われてしまうのだった。
***
応接室に案内され、リゼットはそこでようやく折られてしまった万年筆をジーンに見せた。
改めて見ると、真ん中から力任せに折られたその姿に心が痛む。
どうしてジェシカの手に万年筆が渡ってしまったとき、もっと早く取り戻そうとしなかったのか。後悔ばかりが胸に押し寄せた。
「これはひどい……」
欠片をひとつひとつつまみ、光に当てて確認するジーンの顔は真剣だ。
モノクルの奥で厳しい目をした彼は、すべて確認し終えると固い顔のまま黙ってしまう。
握った手の中で、じわりと汗が浮かぶ。
ジーンに直すことが出来なければ、他に誰が直せるというのか。
「ジーン様。どうにか、直すことは出来ないでしょうか? 大切な……母の形見なのです。きっと妖精さんもこのペンを気に入ってくれているはずで。だから、だから……!」
「リゼット様……」
リゼットの必死な訴えに、ジーンは一度口を引き結んだあと「残念ながら」と本当に悲しそうに首を振った。
ちなみに、ラビヨンは女性です。




