30通目【揺れる心】
無意識にウィリアムの服を握る手に力をこめたリゼットだが、ウィリアムがほんの一瞬振り向いて、首を振った。
「耳を貸すな。過去のことなど、どうとでも取り繕える」
ウィリアムの言葉に泣きそうになった。
その通りだと思うのだ。なぜその選択をしたのか、どういう意図があったかなんて、きっといくらでも自分の都合の良いように説明できるだろう。
物語を作るように、嘘を真実かのように、自分の過去を美しく仕立てるのはそう難しいことではない。
だが、シャルルがそれをするとは思いたくなかった。
そんなリゼットを軽んじるようなことを、平気でする人だと信じたくはなかったのだ。
ずっと、長い間ひたすら孤独だったリゼットにとって、幼い頃シャルルと過ごした思い出は救いだった。
輝いていた日々を思い出すことは、手紙を書くのと同じくらい、リゼットの心の支えだったのだ。
「……泣くな。いまは慰められない」
ウィリアムの、そんな苦しげな声に、優しく抱きしめられた気がした。
やめてほしい。涙が溢れて止まらなくなってしまう。
「残念だが、貴殿はもうリゼットのナイトではないようだ。彼女は私が責任を持って守ると約束しよう。今日のところはこれ以上リゼットに負担をかけないでやってほしい」
「……僕が、リゼットに負担をかけていると? それではまるで、僕が彼女にとって有害な存在みたいじゃないか!」
「そう言っているのがわからないか?」
「ふざけるな! リゼットを守るのは僕の役目だ!」
とうとうシャルルは剣を抜き、ウィリアムに切りかかった。
ウィリアムは剣は抜かず鞘のままそれを受け止める。
リゼットは目の前でシャルルが人に切りかかったことが信じられず、その場にへたりこんでしまった。
「逃げろ、リゼット!」
「馬鹿を言うな! 僕はリゼットを傷つけたりしない!」
「落ち着け、デュシャン卿! ここは王宮だぞ!」
ウィリアムにシャルルを傷つけるつもりはないようで、剣を抜こうとはしない。
ただシャルルの剣を受け止めるばかりだが、実戦経験の差か逆にウィリアムが切りかかってきたシャルルを足払いし、肘で突き飛ばしたりと圧倒している。
ほっとすると、少し冷静さが戻ってきた。
(落ち着くのよ、リゼット。誰かを呼びに行かなきゃ)
王女宮の入口にいた兵士を呼びに戻ろう、と立ち上がりかけたとき、回廊の奥から複数駆けてくる人が見えた。
「そこで何をしている!」
駆けつけたのは、シャルルと同じ服を着た近衛騎士数名と、彼らに守られるようにして立つ煌びやかな装いの青年だ。
眩い金の髪に透けるような白い肌。目の前の麗しい青年に、リゼットは既視感を覚えた。
「王太子殿下……」
驚愕したようなシャルルの呟きにハッとする。
そうか、先ほどまで会っていた王女に、顔立ち、放つ高貴な雰囲気がそっくりなのだ。
ウィリアムがリゼットの横に来て膝をつく。
そのまま頭を下げたウィリアムに倣い、リゼットもガバリと頭を下げた。
先ほどまでの震えとは、また別の震えが全身を襲う。
まさか、デビュタントも迎えていないというのに、王女に続き王太子にまでお目にかかることになるとは想像もしていなかった。
「一体何の騒ぎだ! デュシャン卿、ここは王宮庭園だぞ! 剣を納めろ!」
上司らしき年配の騎士に言われ、シャルルは素早く剣を鞘に納め「申し訳ありません!」と跪いた。
良かった、理性を取り戻してくれたとリゼットは安堵する。
「そこにいるのはアンベール子爵か?」
涼やかで気品がありながら、どこか重々しさも感じる声がウィリアムを呼ぶ。
王太子の声だ、とリゼットは直感で思った。
「はい、王太子殿下。アンベール子爵、ウィリアム・ロンダリエでございます」
「珍しいな、子爵と王宮で会うのは。……私の近衛騎士と何かあったのか」
王太子の声の温度が一瞬で下がったように感じた。
ウィリアムが答える前に「恐れながら!」とシャルルが口を開く。
「発言をお許しください、王太子殿下!」
「デュシャン卿。控えよ」
「良い。デュシャン卿、続けてみろ」
「ありがとうございます! ……そこの令嬢、リゼット・フェローは、フェロー子爵の娘で私の幼なじみでもあります。彼女を守るために、禁止されているとわかっていながら剣を抜いてしまいました。誠に申し訳ございません」
違う、それではウィリアムに非があるように聞こえてしまう。
焦りが生まれたが、王太子が訝しげな声を出した。
「フェロー子爵の娘? ……確か、レオンティーヌの代筆者候補ではなかったか? リゼット・フェロー、発言を許す」
「は、はいっ! 王太子殿下のおっしゃる通り、私リゼット・フェローは王女殿下の代筆者候補として本日参殿いたしました!」
「そうか。顔を上げよ」
リゼットはちらりと横を見る。ウィリアムがうなずいたので、そろそろと顔を上げた。
王女によく似た面差しの王子が、リゼットを興味深そうに見下ろしている。
太陽のような眩い美貌に目が眩みそうになる経験を、まさか一日に二度も経験することになるとは。
「ふむ。リゼット嬢はハロウズ伯爵が後見人だったな。叔母上は元気か?」
「はい! スカーレット様はとてもお元気で、毎日お美しく輝いていらっしゃいます!」
若干パニックになっていたリゼットは、聞かれてもいないことまで言ってしまってから、ハッと口を押えた。
庭園が一瞬静まり返り、風の音だけが流れる。
「……くっ……あはははははは! そうか、叔母様は変わらず美しく輝いておられるか!」
「まぁ。王太子殿下も、王女殿下も、笑い方がスカーレット様とそっくり――」
またもや滑ってしまった口を押え、リゼットは冷や汗をかきながら再びがばりと頭を下げた。
王太子の笑い声がますます大きくなった。
ウィリアムがあきれたように横目で見てくる。申し訳なさで地面にめりこみたい気分だ。
「フェロー先生! 何があったのですか⁉」
王太子の笑いが止まらない中、今度は回廊から王女が侍女とヘンリーとともに駆けてきた。
一気に人が集まってきたことでリゼットは心からほっとしたが、逆にシャルルの顔色は悪くなっていく。
それでもシャルルは、騒がしくなっていく中で真っすぐにリゼットを見つめてきた。
そのあまりの切実な視線にリゼットも目をそらせずにいたが、ウィリアムがマントで隠すように立ち上がらせてくれたことで、ようやくシャルルの目から逃れることができたのだった。
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