25通目【見つめる先】
「どうして……」
誰かの呟きが聞こえたが、リゼットはそれどころではなかった。
三通の手紙の中から王女が選んだのは、ミモザの手紙。
つまりリゼットの書いた手紙だった。その事実を前にすっかり頭も体も固まってしまっていた。
これは誰が書いたものかと誰かが聞いているが、それに答えることも出来ない。
「リゼット・フェローさん」
「ぅはい!?」
なぜ? 夢? どういうこと? と頭の中が疑問符で埋め尽くされていたリゼットは、突然名前を呼ばれ勢いよく返事をしてしまう。
王女にはくすくす笑われ、反省会の議題がまたひとつ増えた。
「この手紙。あなたが書かれたもので間違いありませんか?」
「は、え、はひ! ま、間違いございませんっ」
「リゼットさん。あなたに私の先生になっていただきたいの。引き受けていただけますか?」
むしろ王女様はそれでいいのですか? と聞きそうになったとき「お待ちください!」とララが立ち上がった。
またか、と侍女たちの顔が気色ばむが、ララは切実な様子で真っすぐ王女を見つめている。
「なぜその手紙を選ばれたのか、お聞かせ願えませんか」
「おい、ラビヨンの弟子……」
「カヴェニャークの弟子だって気になるでしょ! 私は私が書いた手紙に自信を持っているわ。選ばれるのは私しかいないと思っていた。あなただってそうじゃないの?」
「それは……」
「なのに、まだ子どもなのにハロウズの弟子だからって――」
「あら」
ララの言葉を遮るように、王女が驚いたようなわざとらしい声を上げた。
ララを流し見たあと、にこりと大きな目を細める仕草からは、圧倒的な支配階級の凄みを感じた。
「もしかしてあなたは、まだ叔母様の存在を勘ぐっていらっしゃるの?」
「いえ、私は……」
「あなたの希望通り、手紙には個人を特定するサインや文章は入っていません。印章も使用されていない。もしかして、侍女にどれが誰のものか合図を送るよう私が指示をしたとでもおっしゃりたいのかしら?」
王女は笑顔で、口調も怒りを帯びたものではない。
まるで世間話をするような気軽さなのに、息がしづらくなる何かがある。
ララは顔色を悪くして、やがて力が抜けたようにぽすんとソファーに腰を戻した。
「私は……王女殿下を疑ったわけではなく、なぜ彼女が選ばれたのかが疑問で……それだけです」
「そうですか。基準を明示していたわけではありませんから、納得いかないお気持ちも理解できます。では私がリゼット・フェローさんを選んだ理由を説明いたしましょうか」
王女はまるで最初からこの説明をすることを決めていたかのように話し始めました。
いや、もしかしたら本当に決めていたのかもしれない。
「まずこちら。ルーク・ペシオさんのお手紙でしたね。ペシオさんのお手紙は、私の婚約を祝う言葉から始まりました。それからヘルツデンの情勢と、王太子殿下の置かれた状況の分析が記され、その上でペシオさんが手紙を書くことでどのような良い影響があるか。あとは王太子殿下への手紙ということで、男性目線のアドバイスが出来るということが書かれていました」
まさかヘルツデンの情勢についてを書くなんて、とリゼットは驚いた。
国内のことですらまだ勉強中であるリゼットは、国際情勢に詳しいというルークの知識に慄くしかない。
しかも王女がヘルツデンの王太子と婚約したことはまだ非公開。ルークは王女の婚約者の国だからと調べていたわけではないのだ。
他国とのやり取りが多いだろう王族の代筆や指南をするのなら、ルークの知識はかなりの武器になる。
「ご自身の性別についての明言ではありませんが、これは際どい記述でしたね。元々他のおふたりよりわかりやすいので問題ではないかもしれませんが。確かに男性目線の意見というのは、私も考えていたことです。代筆としては男性の字はどうしても固いものになりがちなので不利ですが、ペシオさんだけの強みがあることのほうが印象に残ります」
次に王女はララの手紙をとった。
その瞬間ララは表情を引き締め、前のめりになる。
「モニエさんのお手紙も同じく、婚約の言祝ぎから始まりました。それからいずれ私が国を出ていく際の影響、そして輿入れ先のヘルツデンでの環境に関しての不安要素をいくつか挙げられていました。そのことでモニエさんが代筆した際にどのような改善効果があるか。それからモニエさんが大人の女性のイメージを与える、流麗な筆跡が得意であることが書かれていましたね」
こちらもまたリゼットにはさっぱりで、ララもかなり自国や他国のことを勉強しているのだと知り、リゼットは自分の無知さを改めて感じ気を引き締めた。
王女が国を出ると何があるのか。他国の環境の不安要素とは。考えても何も思いつかない。
こうなってくると、リゼットに決めたという王女の判断が不可解でしかない。
「モニエさんの筆跡は、確かに女性である私の憧れる理想の文字でした。きっとこんな筆跡の手紙が届いたら、どんな男性も一瞬で虜になってしまうでしょうね」
感嘆の息をもらす王女に、リゼットも『わかる』と思わず大きくうなずいた。
サインでしか見ていないが、モニエの筆跡は本当にしっとりと艶めく淑女のような美字だった。
王女の説明を聞くと、ルークとララ、どちらかが選ばれていておかしくないと思えた。ふたりも恐らくそう考えているだろう。
王女もわかっているのか、にこりと笑って「優劣はつけられないお手紙でした」と言う。
「ですが、フェローさんのお手紙は、おふたりとはまったく違うものでした。優劣とは別の、そもそも在り方そのものが違うとでも言いましょうか」
王女の言葉に、ふたりがそろって『どういう意味だ』とばかりにリゼットを見てくる。
が、リゼットも何を言われているのかよくわからない。在り方、とはどういうことだろう。本人にもわからない在り方とは謎めいている。
「抽象的に聞こえるかもしれませんね。でも本当にその通りなのです。まず、フェローさん。あなたはなぜこのレターセットを選びましたか?」
「レターセット、ですか? それは、王女殿下がミモザがとても大好きでいらっしゃるのだろうと思ったからで……」
「待って。どうして王女殿下がミモザが大好きだと? 確かに王女宮には他の宮よりも花は多いけれど、ルマニフィカ王家の花と言えばエーデルワイスじゃない」
ララの疑問はもっともだ。ルマニフィカの国花はエーデルワイスで、王宮のいたるところにエーデルワイスが咲き乱れている。王女宮の傍の庭園にもエーデルワイスが咲いているし、宮内にも飾られていた。
「それはそうなのですが、王女宮のどの花瓶にもミモザが活けられていたので、きっとお好きなのだろうと」
「……それ、本当? たくさんあったけれど、全部見ていたの?」
「はい、とても綺麗でしたので! それに、王女殿下のドレスにもミモザの刺繡がありますよね」
リゼットが言うと、ふたりはまさかと王女を振り向いた。
王女は淡いレモンイエローのドレスに、オフホワイトのチュールが重ねられた柔らかな色合いのものを着ていた。よく見ると、チュールの下にミモザの細かな刺繍がドレープの中心から裾にかけて入っているのがわかる。