19通目【リゼットの印章】
「リゼット、合わせるのが遅い! いい加減距離に慣れな!」
「はい! 申し訳ありません!」
「ウィリアム! リゼットを振り回すなと言っているだろう! 勢いを抑えな!」
「これでも抑えています」
「口ごたえするんじゃないよ!」
音楽に合わせるかのようにポンポンとスカーレットの檄が飛ぶ。
午後に伯爵邸にやってきたウィリアムをパートナーに、スカーレットの監視、もとい監督のもと、ワルツの練習の真っ最中だ。
侍女ソフィアのピアノに合わせて、何度も何度もくるくると回り続けている。
なぜかリゼットだけではなく、ウィリアムまで厳しく指導されていた。
どうやらウィリアムは、これまで軍の機密会議だなんだと理由を作り、舞踏会や夜会からいつも逃げていたらしい。
てっきり踊り慣れているのだろうと思っていたので、力加減に四苦八苦している姿が何だか嬉しかった。
だが最近はお互い少し慣れてきて、ダンスの形にはなっているなと自分でも思えるほどには上達した気がする。
「何とか見れる程度にはなってきたね」
これはスカーレット的には誉め言葉のうちに入るらしい。
最初は「あんたたちふざけてるのかい! カボチャを転がしたほうがまだマシに踊るよ!」などとめちゃくちゃなことを言われた。
「ありがとうございます! でもまだ、この高いヒールだと転びそうになることが多くて」
「転びそうになっても支えるから心配するな」
「ふふ。……ウィリアム様にいただいた、あの青い靴を素敵に履きこなせるように、がんばります」
これを言うには、少し勇気がいった。
靴のお礼はもう伝えていたが、あの靴が自分にとって特別だと改めて伝えるのは、心をさらけ出すことに似ていた。
「……ああ。楽しみにしている」
もじもじとするリゼットに、予想外に優しい声が降ってきた。
ウィリアムが楽しみにしていると言ってくれた。当日、間違っても足を踏んだりしないようにたくさん練習しようと改めて思うのだった。
***
ティータイムを挟み、来客があった。
事前にその予定は聞いていなかったので応接室に向ってみると、そこで待っていたのはモノクルをかけた若い紳士だった。
年齢はウィリアムと同じか、少し上だろうか。左右で長さの違うダークグリーンの髪が、絹のような光沢を放っている。
紳士は立ち上がり、胸に手を当て美しい礼を見せた。
「お久しぶりでございます、スカーレット様。こうしてまたお会いすることが叶い、このジーン・ワロキエ、歓喜に胸が震えております。アンベール子爵におかれましても、ご機嫌麗しく」
落ち着いた口調だが、丁寧過ぎるゆえかどこか温度のない、形式的な挨拶に思える。三日月の形に固定された目元も営業用といった風だ。
しかしガラス細工のように繊細な美貌のせいか嫌な感じがない。元々人形めいているからかもしれない。
「ああ、ジーン。息災で何より。しかし随分と早い代替わりだったね」
「はい。父は希少な素材の探索や、仕入れ先の開拓に注力したいと以前から申しておりまして。現在は国外におります。スカーレット様が王都に帰還された旨を報せましたところ、お会いできないことを非常に残念がっておりました」
「先代が生きているならそれでいい。今日は道具の注文と、私の新しい家族を紹介したくて呼んだんだ」
「新しい家族、ですか」
ジーンと呼ばれた紳士がちらりとこちらを見た。
手招きされてリゼットが近づくと、スカーレットに肩を抱かれ紳士の前に立たされる。
「私の新しい家族で代筆者の、リゼット・フェローだ。リゼットこっちは懇意にしているワロキエ商会の商会長、ジーン・ワロキエだよ」
「お初にお目にかかります、リゼット様。ワロキエ商会のジーン・ワロキエと申します。どうぞジーンとお呼びください」
「初めまして、ジーンさん。スカーレット様の代筆者になりました、リゼット・フェローです。どうぞよろしくお願いいたします」
新しい家族、と紹介されたことに感動し、声が妙に弾んでしまった。
見抜かれたのか、ジーンがくすりと笑ったことに気づき、頬が熱くなる。
「失礼ですが、リゼット様はフェロー子爵のご親族では?」
「はい。確かにフェロー子爵は私の父です」
「では、やはりセリーヌ様のご息女でしたか。通りで面差しがよく似ていらっしゃる」
「ジーン様は母をご存じなのですか?」
聞けば、ジーンは十代前半の頃から祖父や父の仕事を手伝い、スカーレットの商談に立ち会うこともあったらしい。そこで母とも面識を持ったのだという。
「セリーヌ様のご息女がスカーレット様の代筆者となられるとは、大変喜ばしいことです。私も万感胸に迫る思いです。そして当商会を呼ばれたということは、もしかしてリゼット様も……?」
「ああ。この子にも妖精の力が宿っている」
「素晴らしい!」
突然ジーンが両腕を天井に向けて開き叫んだので、リゼットは驚いて肩が跳ねてしまった。
ウィリアムを見ると、また始まったというような顔をしている。
「また素晴らしい才能をお持ちの方に出会えたことを、神に感謝いたします!」
「か、神に……?」
「リゼット、気にするな。こいつはこういう奴だ」
ウィリアムのあきれたような声に、いつもこうなのかと驚きつつうなずいた。
「ご紹介いただき、心より御礼申し上げます、スカーレット様」
「落ち着きな、ジーン。リゼットが怖がっているだろう」
「これは失礼いたしました。リゼット様という新たなお得意様に出会えたこと、ワロキエ商会は神に感謝し、誠心誠意お取引きすることをここに誓います」
にこにこと笑顔を向けてくるジーンに、リゼットはお得意様とは? と頭を疑問符でいっぱいにする。いつ自分がお得意様になることが決まったのだろう。
まずは座ろうとスカーレットが着席を促し、ようやく落ち着いた会話が始まった。
聞けば、商会は三蹟御用達の、知る人ぞ知る変わった文具類を扱う店なのだそうだ。
しかし三蹟御用達ともなれば、箔がつき名も知れ渡りそうなものだが、そうはならない事情があった。
「ワロキエ商会は妖精の好む素材を使った商品を扱う、少々特殊な店なんだ」
「まあ、妖精の……!」
だから知る人ぞ知る、なのか。
妖精の力を知らない、宿ってもいない人が使っても、意味を成さない道具を扱っているのだ。
「妖精がまだ人と交流していた時代から、今日まで細々と運営いたしております」
「何が細々だよ。ワロキエの商品はどれも宝石並みに高額だろう」
「宝石以上に希少な素材を取り扱っておりますので」
宝石並みの価値の文具とは……と、リゼットは気が遠くなった。
しかし興味はとてつもなくある。お得意様になれるとは思わないが、いまも自分のそばにいてくれているのだろう妖精のことを考えると、彼にとって好ましいものを使うのはきっと良いことなのだろう。
「それで、本日はリゼット様が何かご入用で?」
「ああ。この子の印章を作りたい」
「えっ⁉ わ、私の印章ですか?」
「なるほど、印章ですか」
リゼットとジーンの声がかぶった。
印章とは、家門や個人を証明するための道具のことだ。スカーレットは薔薇が刻印されたシグネットリングを使用している。
リゼットも継母たちの代筆をするにあたり、フェロー家の印章を使っていた。それとは別に、母の形見の印章もある。
印章は、一人前の大人だけが持てる特別な証であり、リゼットの憧れのひとつでもあった。
その個人を象徴するリゼットだけの印章を作ってもいいというのか。
「デザインはもうお決まりでしょうか?」
「いや。見本の型を見せてから、リゼットに決めてもらおうと思ってね」
「スカーレット様……よろしいのですか? 私の印章なんて、そんな」
スカーレットは「まだ言うか」と少し怒ったような声を出した。
「お前は私の代筆者だ。そして王女の指南役を目指しているんだよ。印章のひとつなくてどうする」
「……はい。ありがとうございます!」
つい涙ぐんでしまったリゼットの前に、サッと差し出されたのはハンカチだった。
反射で受け取ったものの、使うのをためらうほど白く柔らかなシルクで出来ている。
「どうぞ涙をお拭きください。そして私どもの商品をじっくりご覧いただきたい」
「ふふ……ありがとうございます」
ジーンのハンカチで涙を拭おうとしたが、なぜかウィリアムに素早く奪われた。
かと思えば、代わりのハンカチを差し出され、戸惑いながらそれを受け取る。
「これは返すぞ、ワロキエ」
シルクのハンカチをジーンに投げ返したウィリアムに、ジーンは気にした様子もなくにこにこと微笑んでいた。
そのあとは様々な形の印章見本を見せてもらい、スカーレットとも相談した結果、リゼットは羽ペンを自分の印章とすることに決めた。
ただの羽ペンではなく、妖精の羽のペンだ。
母セリーヌが羽ペンの印章を使用していたので、それに似せたデザインにしてある。母と妖精のふたりへの感謝を込めたデザインだ。
皆、良いデザインだと褒めてくれて、リゼットは大満足で注文書にサインをした。
ちなみに注文書の金額は、ゼロが見たこともないほど並んでいた。途中で数えるのが怖くなったので、正しい金額はわからない。
スカーレットは必要経費だと言うので、出世払いでとお願いしたのだが……どれくらい出世すればいいのか、リゼットには見当もつかなかった。




