筆休め【騎士の後悔】
誤字が多く大変申し訳ありません! 誤字報告ページからの報告に毎回本当に助けられております!(今回書いて出しなので大量に届いております感謝しかありません)
「リゼットが出ていっただって!?」
ジェシカに夜会のエスコートを頼まれ、シャルルはフェロー家を訪れた。
連日は勘弁してほしいと思いながらも、リゼットの様子が気になっての判断だった。代筆を引き受けてどうだったのか、それとなくでも聞いておきたい。
しかし子爵邸に着くなりジェシカから教えられたのは、昨日リゼットが家を出ていき、もう帰ってくることはなさそうだという衝撃の話だった。
「一体どうして! というか、出て行ったって、行き先は? あの子に僕以外の知り合いなんていないだろう?」
「だから、例のナントカ伯爵って女のとこよ!」
「それって、ハロウズ伯爵のこと? 代筆をすることになった女伯のところに行ったのか?」
素晴らしき能筆者である三蹟のひとり、スカーレット・ハロウズ。
何年も前に療養のため社交界から遠のいていたらしく、シャルルの世代にはあまり知られていないが、元王女、そして前公爵夫人という異例の経歴を持つ女性だ。
実際、シャルルも先日親に聞いて詳しく知ったばかりである。
「なぜ女伯のところにリゼットが行くんだ? 住みこみで働けと言われたのか?」
いくら元王女とはいえ、貴族の嫡子であるリゼットにそんな横暴な要求がまかり通っていいはずがない。
相手が王族だろうと抗議する気でいたシャルルだが、ジェシカは忌々しげに顔を歪めて否定した。
「あいつが自分で出ていくって言ったのよ」
「は……? リゼットが? なぜそんな」
「住みこみで働く代わりにダンスを習うんだって」
「いや、待ってくれ。リゼットはダンスを習うためだけに家を出ていったと?」
「そうだって言ってるでしょ! あたしがシャルルと舞踏会に行くのが羨ましかったんじゃないの? そうまでしてダンスが踊りたかったなんて……はっ。笑える」
笑える、などと言っているが、ジェシカはひどく不機嫌顔だ。
それはそうだろう。ジェシカやメリンダは、リゼットを社交界に出さず邸に閉じこめ、代筆として好きなだけこき使っていたかったのだ。
それが邸を出ていったうえに、女伯にダンスまで習うということは、何もかもジェシカたちの思いどおりにはいかなくなったということである。
「嘘だ……信じられない。リゼットが出ていくなんて……」
「なんか、一人前になりたいとか言ってたけど。自分のことは自分で決めたい、みたいな。意味わかんないし。とにかくデビュタントを迎えたかったんでしょ」
「デビュタント……。リゼットがそう言った? 子爵が許可したのか?」
「お父様ぁ? 知らなぁい。全然喋らなくなっちゃったし。……っていうか、シャルルもかわいそうね」
ジェシカはどろりとした甘い蜜のような声で「同情しちゃう」などと言ってきた。
それは同情というより、憐み、もしくは蔑みのほうが正しく思える表情だ。そんな感情をジェシカに向けられる謂われはないと、シャルルは眉を寄せる。
「どういう意味だ?」
「だって、リゼットって本当はシャルルのエスコートで社交デビューしたかったんでしょ? でももう代わりの男を見つけたみたいだから。シャルルは幼なじみなのに、捨てられちゃったみたいでかわいそうじゃない」
「は……?」
ジェシカの言葉に、シャルルは鈍器で頭を殴られたような衝撃を受けた。
代わりの男を見つけた? あのリゼットが?
にわかには信じがたいことを言われ、シャルルは「まさか」と引きつった顔で笑った。
「適当なことを言わないでくれ。リゼットには知り合いはもちろん、僕以外の男の知り合いなんて絶対にいない」
「だーかーらぁ、あんたが知らないところでとっくに知り合ってたんだっつーの!」
イライラと髪を掻き乱しながらジェシカが叫んだ。
ありえないほど下品な言葉使いにシャルルがぼう然としているうちに、ジェシカはベラベラと早口でまくし立てていく。
「その女伯の使いって言ってたけど、本人は子爵だって。アン……忘れたわ。なんか、軍服姿で剣持ってる、何人も人殺してそうな怖い人。でもすっごい美形だったから、リゼットはシャルルからあの軍人に乗りかえたんだわ。前に勝手に上がりこんで扉を壊したときなんか、お姫様みたいに抱き上げられてたし。おとなしそうな顔して男を手玉にとるのが上手いのよ」
色々と聞き捨てならないことが次々と出てくるので、シャルルは何から聞けばいいのかわからなくなった。
あまりにも知らないことが多すぎる。いつの間にそんな事態になってしまっていたのか。
だが、これだけは言えると、シャルルは混乱の中にありながらも口を開いた。
「リゼットは、そんな子じゃない……」
「はぁ? それマジで言ってる? だったら相当頭悪いわよ! いまごろ女伯の家で、あの軍人とよろしくやってるに決まってんだから!」
「やめろ……」
「ねぇショック? そんなことないよね? だってシャルルはとっくにあんな子見限ってたんだし。だからあたしのことばっかりエスコートしてたんだもんね?」
うなだれるシャルルの顔を、ジェシカはニヤニヤと笑いながらのぞきこんでくる。
吐き気がした。この腹立たしい顔を張り飛ばしたくて仕方がない。。
「違う。僕はリゼットが大事で、それで……」
「違わねぇんだよ! あんたがどう思ってようと周りはみんなそう思ってんだから! あんただってわかってたんじゃねーの⁉」
そうだろ!? とものすごい形相のジェシカに迫られ、壁際に追いこまれたシャルルは、反論の言葉を見つけることが出来なかった。
その通りだった。シャルルはわかっていた。わかっていながらその状況を、ジェシカを利用していた。
どうせ邸から出てこないリゼットにはわからないことだからと、高を括っていたのだ。
「それとも、惜しくなっちゃった? リゼットを連れ戻したい? だったら早くしないと、あの軍人と結婚しちゃうかも。ああ……想像しただけでムカつくわね」
どうする? 手伝ってあげようか?
誘うような目つきのジェシカに、優しく頬を撫でられぞわりと鳥肌が立つ。
気づけばシャルルはジェシカを突き飛ばしていた。
「待ちなさいよ!」
ジェシカのかなぎり声が響いていたが、構わず子爵邸から逃げ出した。
***
デュシャン伯爵邸に戻ってきたシャルルを迎えてくれたのは母だった。
肩で息をするシャルルに「随分と早かったわね」といぶかしげだ。
「母上、教えてください……。スカーレット・ハロウズとは、どんな人なのか」
「スカーレット様のことを?」
「元王女で、元公爵夫人で、三蹟で……それで? なぜ赤の他人の女伯がリゼットを自分の家に住まわせるなんてことになるんです? どうやってリゼットを見つけたんだ……」
すがりついてくる息子の弱った姿に、伯爵夫人は戸惑いながらも口を開いた。
「スカーレット様はセリーヌ……リゼットの母親と懇意にしていたのよ」
「……セリーヌ様と?」
「ええ。セリーヌの師とも言える方だったわ。セリーヌはスカーレット様に憧れて、あの方のサロンにも通っていた。スカーレット様の後継として次の三蹟にはセリーヌが選ばれるとも言われていたのよ」
リゼットの母親がそこまですごい人だとは知らなかったシャルルは、ぼう然とする。
つまり、女伯はリゼットの母親を知っていた。その母親の縁で、リゼットを見つけ出したということなのか。
「では……女伯の関係者で、軍に所属する、子爵の男がいるのはご存じですか」
「軍の? ……ああ。それはきっと、アンベール子爵のことね。スカーレット様の孫で、次期公爵のウィリアム・ロンダリエ様」
これ以上衝撃を受けることがまだあったのかと、シャルルは愕然とした。
シャルルの知らないところでリゼットが仲良くなった相手が、リゼットをあの不快でしかない家から救い出したのが、ロンダリエ公爵家の嫡男だった。
受け入れがたい現実にシャルルは言葉を失い、床を見つめることしかできなくなる。
「……ねぇ、シャルル。一体どうしたの? リゼットに何かあったの?」
母が何か言っている。だが、止まってしまった思考が母の言葉を理解することを拒んだ。
反応することすらできずにいるシャルルに、母は焦ったように話しかけてきた。
「フェロー子爵が後妻を迎えてから、私とは疎遠になってしまったじゃない? でもあなたはよくフェロー家に行っていたでしょう? リゼットのことは心配だったけれど、あなたが会いに行っているからと安心していた部分もあったのよ。リゼットは元気でいるのよね?」
シャルルは何も答えられない。
確かにリゼットには会っていたが、それはジェシカと会うついで、という体でしかなかった。本来の目的はリゼットの様子をうかがうことでも、周りは、リゼットを含めそうは思っていなかっただろう。
リゼットはどう思っていただろう。
自分を蔑ろにする義姉をエスコートするシャルルの姿を、どう思っていたのだろう。
こんなことになるのなら、伝えておけば良かった。リゼットのことを大切にしたいのだと。いずれデビュタントのときには必ずエスコートをすると。
そうしていたら、きっとリゼットは子爵家から逃げ出すことはなかっただろう。健気にシャルルがエスコートする日を待っていたはずだ。
「リゼットを……迎えに行かないと」
「何ですって? シャルル、いま何て?」
そうだ、迎えに行けばいい。スカーレットなどという他人の家ではなく、幼なじみである自分の家に一緒に住むほうがリゼットにとっていいに決まっている。
(まずは手紙を出そう。待っていてくれ、リゼット)
うっすらと笑みを浮かべる息子の姿に、デュシャン伯爵夫人は言いようのない不安を覚えるのだった。




