16通目【着せ替え人形】
「私は子どもではありません! もう十六歳の立派なレディです!」
リゼットはキッとウィリアムを睨みながら、ダンスはまだ踊れないけれど、と頭の中で付け加える。
睨まれたウィリアムは、ぎくりとしたように後ずさりした。
「は? いや、まだ――」
「ウィリアム様。私は、大人です」
自分が出せる一番低い声でリゼットは言った。
まるで小動物の威嚇のような姿に、ウィリアムが一瞬何かを堪えるような表情をしてうなずく。
「あ、ああ……そうだな、すまない。お前は大人だ。立派なレディだ。うん」
「その通りです。ですから素敵な大人のドレスを選びに来たのです!」
リゼットの宣言に、デイヴィットが嬉しそうに拍手する。
「いいじゃな~い! 素敵な大人のドレス! うちにはどんなお客様のご要望にも応えられる、素敵なドレスばっかりなんだからぁ」
「私にも似合うドレスはありますか⁉」
「あるに決まってるわ~! どれにしようか迷っちゃうくらいにね! 既製服に、オーダーメイドは後日でいいんだったかしら? じゃあまずはサイズを測っちゃいましょうねぇ」
ご機嫌な様子でデイヴィットがメジャーを取り出したが、それを見たウィリアムが慌てて「待て」と口を挟んできた。
「なぜお前がメジャーを出す?」
「ウィリアム様ったら、当たり前じゃなぁい。あたしが測るからですけど?」
「女性従業員もいるだろう。お前が測る必要はない」
何やらまた始まった言い合いに、リゼットはふたりの顔を交互に見た。
しかしふたりともとても背が高いので、首が疲れてくる。背が低いのも子どもに見られてしまう原因なのでは、とリゼットは少し悲しくなった。
「大丈夫よぅ。たくさんの女性のサイズを測ってきたあたしが変な気起こすわけないでしょう? リゼットちゃんも気にしないわよねぇ?」
「ええと……? サイズって、腕の長さなどを測るのですよね? 何か気にしなければならないようなことがあるのでしょうか……?」
無知で申し訳ない、とリゼットが尋ねると、なぜかデイヴィットは大変にっこりと良い笑顔を見せた。
「そうよねぇ、測るだけだものねぇ! やたら気にするほうがいやらしいわよねぇ?」
「い、いやらしい?」
「デイヴィット黙れ。それ以上くだらんことを口にしたら、物理的にお前の首が飛ぶと思え」
「おーこわっ! しょうがないわねぇ。男ってほんと狭量なんだから」
自身も男性だろうに、やれやれと首を振るデイヴィットは、控えていた女性従業員を呼ぶと、リゼットをカーテンで仕切られた奥の部屋に連れて行くよう指示を出した。
そこで女性とふたりきりになり、実際にサイズを測り始めてすぐリゼットはウィリアムが何を気にしていたのか理解した。
胸回りを測ったり、腰回りを測ったり、とにかくやたらと身体を密着させなければならないのだ。それでなくても、普段は人に触れさせないような場所を測るのだ。女性が相手でも少し緊張してしまった。
この相手がデイヴィットだったとしたら、きっと服の上からであっても緊張でまともに呼吸することもままならず、途中で倒れてしまっていただろう。
サイズを測り終え、リゼットはふたりの元に戻る。
デイヴィットが従業員からサイズを記入した表を受け取るのを横目に見ながら、ウィリアムに「ちょっと緊張しました」と感想を話していると突然デイヴィットに腰の辺りをわし掴みされた。
「やっだ~! リゼットちゃんのウェストどうなってるの⁉」
「ひょえっ!?」
「おい、デイヴィット!」
ウィリアムに抱き寄せるような形で助けられ、リゼットは顔が熱くなる。
胸がドキドキと鳴るのはデイヴィットに腰をつかまれ驚いたからなのか、それとも別の理由からなのかわからなかった。
「あらごめんなさい。だって測り間違いじゃないかと思ったんだもの! コルセットなしでこの細さ。リゼットちゃん、ちゃんとご飯食べてる? もうちょっとお肉つけたほうがいいわよぉ」
「あの。貧相だと、やっぱりドレスは似合いませんか……?」
悲しい気持ちで尋ねると、デイヴィットはぶんぶんと両手を振って「まさか!」と否定した。
「やっだ、そういう意味じゃないわ! ただアタシがリゼットちゃんの身体が心配ってだけ! 不安にさせちゃってごめんなさいねぇ」
「いえ、安心しました! ありがとうございます」
デイヴィットは「んまぁイイ子!」とリゼットの頭を撫でると、早速従業員に指示を出し、ドレスを次々と持ってきた。
移動式のラックに、色とりどりのドレスがどんどん並べられていくのは圧巻だ。
「リゼットちゃんにぴったりのサイズは、うちの店でも一番細身のドレスね。もうひとサイズ大きくてもお直しは出来るからそれも試せるわ」
「け、結構ありますね……」
「逆よぅ。全然少ないわ」
悔しそうに言うデイヴィットに、リゼットはギョッとする。
リゼットが家で使っていたクローゼットには入りきらない量なのに、これで少ないというのか。
この店に来るのは生粋の貴族だろうから、貴族の感覚はそういうものなのかもしれない。
一生わからない感覚だなと思った次の瞬間、ウィリアムがとんでもないことを言い出した。
「普段使い用もオーダーメイドにすればいい。まずはすぐに必要な分だけ既製服でそろえよう」
「ウィリアム様⁉」
「気に入るものがあればすべて買う。デイヴィット。オーダーメイドのカタログをくれ」
貴族買い宣言にリゼットが震えている横で、デイヴィットが目を丸くする。
「あら、ウィリアム様が決めるの? 意外ねぇ~」
「いいから黙って持ってこい」
「はいはい。何だか楽しくなってきたわ~!」
腕が鳴るわね、とうきうきしながらデイヴィットが従業員に指示を出す。
そして動き出す前にリゼットにそっと耳打ちをしてきた。
「リゼットちゃん、ウィリアム様にとっても大切にされてるのねぇ」
妬けちゃうわ、と冗談ぽく笑いながらデイヴィットが奥に歩いていく。
リゼットは囁かれた耳元を抑えながら、頬が熱くなるのを感じた。
大切にされている? ウィリアムに?
第三者からはそんな風に見えているのだろうか。確かにとてもよくしてもらってはいるけれど、それはスカーレットの指示があったからで――。
「何をしているリゼット? こっちで好きなものを選べ」
「好きとかではありません!」
「は……?」
カタログから顔を上げ、ウィリアムがいぶかしげに眉を寄せる。
リゼットはハッと我に返り、顔を手で覆った。いま一体自分は何を考えていたのか。
「も、申し訳ありません。ドレス、ドレスですよね。好きなドレス……」
「どうした。具合でも悪いのか」
「いえ、すこぶる健康です!」
ラックにかけられたドレスを慌てて眺める。
オーダーメイドより既製服のほうが安価なのだろうが、ふんだんにレースが使われ、上質な生地をこれでもかというくらいたっぷり使ったドレスは、きっとリゼットの目が飛び出るほどの値段なのだろう。うかつに触れることもできない。
ただ角度を変えて眺めるだけのリゼットに、ウィリアムがため息をついて一着ラックから外して広げて見せてくれた。
「ちゃんと手にとって見てみろ。これはどうだ? 君が好きな緑だが」
「あ、ありがとうございます! 生地がすごくキラキラして見えますね」
「そうだな。リゼットにはもっと深く品のある色味が似合いそうだ。こっちはどうだ?」
「わ……素敵です! レースは少な目で、ドレープが美しいですね」
「ではこれをまず着てみろ。あとはこれと、こっちも」
そうやって、ウィリアムは次々と従業員にドレスを渡し、リゼットに試着するよう促した。
こんなに着ていたらものすごく時間がかかってしまうのでは、とデイヴィットをちらりとうかがうと、こちらを見たデイヴィットがパチンとウィンクで返してきた。
問題ないということだろうか。しかしこれほど高価なドレスを大量に着て、自分の精神が持つだろうか。
リゼットは不安になりながら、まずはウィリアムが勧めてくれた緑のドレスを試着するのだった。