14通目【巣立ちの時】
「お帰りなさい、お父さまたち」
階段を降りながらリゼットが声をかけると、ロビーにいた父たちが一斉にこちらを見上げた。リゼットの後ろにいるスカーレットと、彼女をエスコートするウィリアムの姿にギョッとした顔をする。
「リゼット! 何勝手に人を入れてるのよ⁉」
ダンと床を蹴りつけながら叫ぶジェシカに、スカーレットが「うるさいね」とうんざりしたようにため息をついた。
「ダニエル。お前は猿を養子にしたのか?」
「な……! さ、猿って誰のことよ!」
「猿は猿と言われると顔を真っ赤にするのか。知らなかったよ」
ジェシカは口をぱくぱくさせて、震えながら何か言い返そうとしたが、父に「黙りなさい」と命じられると、不満そうな顔をしながらも口を閉じた。
義姉のあまりの怖いもの知らずさに、リゼットもハラハラしてしまう。
「娘が申し訳ありません、伯爵。しかし、こんな夜中に我が邸に一体どうして?」
「こんな夜中じゃないと家にいない男に、一応挨拶しておこうと思ってね」
「挨拶……?」
リゼットは、まずは自分から話さなければと、階段を降り切ったところで前に出た。
反対されるだろう。どんなひどい言葉を浴びせられるかわからない。
けれど、それで心折れたりはしない。あきらめたり、くじけたりしない。
代筆令嬢リゼット・フェローとして、今夜自分はこの家から自立を果たすのだ。
「お父様。私、この邸を出てスカーレット様のところに住まわせていただくことにしました」
「は……?」
「バカじゃないの⁉ 何ひとりで勝手に決めちゃってるわけ!?」
「自分の仕事を放り出して、他人の家に逃げるなんて。あなた、こんなこと許すわけありませんよね」
ジェシカとメリンダがわぁわぁと騒いでいるが、父はぼう然としたまま固まっている。
本当に突然のことだし、昨日の今日でという思いはリゼットもある。だが、チャンスだと思ったのだ。
これは追い風だ。スカーレットが流してくれる、リゼットが大人になるための追い風なのだ。
「スカーレット様のお屋敷に代筆者として住みこみで働く代わりに、スカーレット様が私にダンス指導をすると約束してくださいました」
ダンス指導だけではない。継母に家庭教師を解雇され、中途半端なまま終わってしまった淑女教育。王城でも通用する茶会や宴での作法に優先順位。他にも貴族の関係とそれぞれの領地についてなど、デビュタントをを迎えるために必要なあらゆる知識とふるまいを叩きこんでくれると言ってくれたのだ。
元王女のスカーレットが教師として教えてくれるのだ。こんなに贅沢なことがあるだろうか。
「……はっ! なぁんだ。手紙にしか興味ないと思ってたけど、あんたも舞踏会に行きたかったんだ?」
「お義姉様。私は舞踏会に行きたいわけではありません。ただ、デビュタントをし、一人前になりたかったのです」
「意味わかんないわよ! 一人前? それで何が変わるっていうの? 私みたいに綺麗なドレスを着て、シャルルとダンスを踊りたかったって素直に言えばいいじゃない!」
「違います。私はそんなことの為にデビュタントを望んでいたわけではありません。私は、大人になって、自分の人生を自分で選択できるようになりたかったのです」
何をするにも継母の許可が必要で、何かをしようとしても義姉の邪魔が入り、実の父親にはそれを黙認されている。
籠の中の鳥は選べないのだ。飛ぶことができるのに、それを選択できない。
だからリゼットは外に出て、選択するという自由を手に入れたかった。飛ぶか飛ばないかを選ぶ権利がほしかったのだ。
「お前は、わかっていない」
「お父様……」
「自由が幸福であるとは限らないのだ。この環境はお前から自由を奪っていたかもしれないが、だからこそお前を守っていた面もある。お前を際限なく利用しようとする輩からな。それでもお前は出ていくというのか?」
父は、真っすぐにリゼットを見つめていた。
その姿は怒っているというより、傷ついているように見えた。いまにも泣きそうにさえ見える。
父のそんな姿を見るのは初めてで、リゼットは言葉が上手く出てこなくなってしまった。
「……リゼットを際限なく利用しようとする輩は、邸の中にもいるだろう」
リゼットに任せて下がっていてくれたスカーレットが、諭すように言った。
その言葉にまたジェシカが顔を赤くして怒り出す。
「それは私たちのことを言ってるのかしら!?」
「代筆のことなら、リゼットがぜひやりたいと言ったのです。無理やりやらせたわけではないのに、勘違いされては困ります」
メリンダが意外にも落ち着いて反論したことで、ジェシカも我に返ったらしい。
慌てた様子で「その通りですわ!」となぜかウィリアムに向かって言い訳を始める。
「昼間のことは、誤解ですの! あれはリゼットが家のことを放り出して、私たちに黙って勝手な約束を取りつけたせいで、悪いのはリゼットなんです!」
自分たちは悪くないのだと早口で説明しながら、ジェシカがそっとウィリアムに手を伸ばしたとき、スカーレットが扇でピシャリとその手を払いのけた。
「まったく、口を開けばやかましいばかりか」
「いったぁ……何すんのよ⁉」
「二度と私の前で口を開くな」
「はぁ⁉ 何様なの、このババァ!」
とんでもない暴言に、リゼットと父が同時に「ジェシカ!」と彼女を止めたがもう遅い。
元平民にババァ呼ばわりされた元王女様は、扇をゆっくり開くと、にんまりと笑った。
魔女で女王のフィオレンツィアそのもののような、美しくも毒々しい、凄味のある微笑だった。
「ウィリアム」
「はい」
「この猿はおしゃべりが好きでたまらないらしい。口を閉じなくて済むように、切っておしまい」
スカーレットの命令で、ウィリアムが腰に差した剣に手をかけた。
ジェシカは「は……?」と顔色を変え、ウィリアムが剣を抜くのを見て悲鳴を上げて父の背中に逃げこんだ。
「やれやれ。こんな家にリゼットを置いておけるものか。可愛いリゼットは私が後見人になり、しっかり教育するから安心するといい。それから……」
そこでスカーレットは一度口を閉じ、リゼットを見た。
どうしたのだろうとリゼットもじっと見返すと、女王はひとつうなずき微笑んだ。
「ダニエル。いま王女が手習いの指南役を探しているのは知っているね」
「王女様の? 知っていますが……まさか」
「その指南役に、リゼットを推薦しようと思う」
「……え?」
予想外の方向への急展開に、当の本人であるはずのリゼットはどんぐりが頭に直撃したリスのような顔で固まってしまった。
指南役? しかも王女様の? ということは王城で?
デビュタントすらまだなのに、誰が予想できたというのか。
「あのリゼットが……」
「王女様の……?」
ジェシカと継母も、リゼットと同じように驚愕の表情を浮かべているが、父だけは予想がついていたかのように落ち着いて見えた。
いや、見えるだけで、握りしめた両手は小刻みに震えていた。
「貴女のせいで妻は死んだというのに……貴女は私から娘まで奪うのか⁉」
「はっ。親の責任を放棄した奴に言われたくはないね。大事なのはリゼットの意志だ」
父とスカーレットのふたりから、お前はどうしたいかと視線で問われ、リゼットは途方に暮れた。
社交すら未経験なのに王城に行くなど、ましてや王女様に指南するなど、出来るわけがない。
そもそも自分は人に教えられるような立派な何かを持つ人間でもない。
きっと家にも、推薦してくれたスカーレットにも迷惑をかけることになるに違いない。
「断る方が身のためよ! あんたなんかに出来るわけないんだから!」
父の後ろから叫ぶジェシカの声が頭に響く。
部屋に閉じこめられ、ひとりぼっちで泣く幼い自分の姿が浮かんだ。
だがその瞬間、膝を抱えるリゼットの隣に寄り添う、小さな友だちの姿が見えた。
くじけかけたとき、姿を現して傍にいてくれた淡い羽の友だちが。
「……やりたいです」
リゼットは震えそうになるのをぐっと堪え、圧し潰そうとしてくる悪意ある言葉を跳ねのけ、顔を上げた。
「どうか、挑戦させてください!」
リゼットの答えにスカーレットは満足そうに笑い、父はあきらめたように項垂れた。
ちらりとウィリアムをうかがうと、微かに口の端を上げながら、抜きかけた剣を鞘に戻していた。
帰りの馬車の中で、本当に義姉を切るのかと思いハラハラしたと告げると、ウィリアムは演技に決まっていると笑った。
しかしそのあとぼそりと「少しくらい切っても良かったが」と言っていたが、聞こえなかったことにした。
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