11通目【星空の手紙】
墓参りのあと、伯爵邸に戻り三人で夕食をとった。
自室で食事をとることが多く、ほとんど家族で食事をする機会がないリゼットは、嬉しくて嬉しくて温かな仔牛のフリカッセに涙した。肉がほろりと崩れるほどに柔らかい。
「こ、こんなに美味しいフリカッセを食べたのは初めてです~っ」
「大げさだねぇ。うちのシェフに言っておくよ」
「お祖母様のシェフは、元々王城の料理長だった男だからな。ほら、こっちの白ワイン蒸しの貝も美味いぞ」
「うう……美味しすぎて涙が止まりません~。ひとりじゃないから、美味しさも二倍、いえ、三倍です!」
ぽろりとこぼれたリゼットの、家での置かれた状況を想像させる言葉に、スカーレットたちは顔を見合わせた。
「……そうか。ほら、もっとお食べ」
「食べなければ育たないぞ。君は軽すぎる」
「むっ。……ウィリアム様から見れば子どもかもしれませんが、私はデビュタントできる年齢の大人の女です」
レディーに対して失礼ではありませんか、と仔牛肉をもぐもぐして言ったリゼットに、ウィリアムは目を瞬かせた。そしてそっと目をそらす。
「それは、悪かった。他意はない。君を家から連れ出すのに抱き上げたとき、あまりに軽すぎて驚いたんだ」
ウィリアムに横抱きにされたことを思い出し、リゼットは顔が熱くなる。
忘れようとしていたのに、とウィリアムを恨めしげに見てしまう。
「私は平均的体型です。たぶん。少し背が低いだけで、まだ伸びていますし!」
「そうだな。悪かった。もう言わない」
子どもっぽく言い重ねるリゼットに、ウィリアムが平謝りしていると、スカーレットが喉の奥で笑いながら「いつの間に仲良くなったんだ?」とからかってきた。
「お似合いだよ」
「お祖母様」
「いけません、スカーレット様。さすがにウィリアム様に迷惑です」
ウィリアムにとって、自分はそういう対象ではないのだからと、リゼットがきっぱり言うと、なぜかそのウィリアムに微妙な顔をされてしまった。
何か間違えただろうかと思っていると、またスカーレットが笑う。
「冗談ではなく、悪くない組み合わせだ。リゼットは人慣れしていないし、ウィリアムは少々排他的だ。お前たちが仲良くしていれば、お互いに良い影響があるだろう」
今度はからかうのではなく、本心を言っているようなスカーレットの様子に、リゼットはウィリアムと顔を見合わせた。
だが、すぐに気恥ずかしくなってそらしてしまう。
スカーレットは何を考えているのだろう。変に意識してしまうのでやめてほしい。
そのあとは、リゼットもウィリアムも無言で食事を続けていた。
***
食事のあと、スカーレットにもう一通手紙を代筆してほしいと頼まれた。
どうせ今日も家族は夜会で帰りは夜中だ。リゼットの帰りが遅くなったからと言って心配する者もいない。
リゼットはぜひ書かせてほしいと引き受けて、書斎へと移動する。
送る相手はスカーレットの古い友人だそうだ。
スカーレットが王都から領地に移ったあと、その友人もしばらくして社交界を引退し、領地にこもるようになったらしい。
「どうやら病を患ったようなんだ。治療が上手くいっていないようでね。励ますというより、元気が出るような手紙を書いてやりたいんだが、何か良い案はあるだろうか?」
「それはぜひ、元気づけて差し上げたいですね。その方はどんな方でしょう? 特別に好きなものや趣味はありましたか?」
スカーレットは書斎のソファに座りながら、高い天井を見上げた。
そこには宝石が連なったようなシャンデリアが、ガス灯の光を反射させキラキラと輝いている。
「……そういえば、星が好きな奴だった」
「星、ですか? 夜の空に浮かぶ?」
「ああ。よく夜会を抜け出して、星空を見に行くのに付き合わされた。元王女という私の身分を気にしない奴でね。明るいと星が見えないからと、わざわざ建物から離れた森の中に連れて行かれたこともある」
「まあ、夜の森に?」
スカーレットは当時を思い出すように「変わった奴でね」と笑う。
「用意周到にグラスとワインをくすねてきて、フクロウが鳴く森で月見酒をしたのは、昨日のことのように覚えている」
「それは素敵な思い出ですね!」
「狼か野犬の遠吠えが聞こえたときは焦ったものだ」
「それは……とっても刺激的な思い出ですね」
引きこもりに近い生活を送っていたリゼットにとって、スカーレットの思い出話はスリリングな冒険譚だ。羨ましいような、恐ろしいような。
ただ、スカーレットがその冒険をとても楽しんでいたのは伝わってくる。付き合わされたとか、連れて行かれたという言い方をしているが、それを語る彼女の瞳は輝いていた。
「そいつはアンナというんだが、アンナが婚約者とケンカをしたときは、王都からふたりで別の領地へと旅行という名の家出をしたこともある。そこは湖畔で見る星空が格別でね。結婚する前にどうしても見に来たかったと言っていた。それなら婚約者と行けばいいのに、本当におかしな奴だ」
悪友のような関係だったのだろうか。少しウィリアムとヘンリーの関係に似ているような気もする。
ウィリアムは全力で否定しそうだけれど。
「星空がおふたりの思い出なのですね。それなら……」
リゼットは家から持ってきた母の形見の鞄から、レターセットを取り出した。
選んだのは黒に近い濃紺のレターセットだ。所々、濃い紫がにじんだグラデーションになっている部分もある。
文字を書くには便せんの色が強すぎるので、綺麗なのに使いどころがなかったものだった。これを初めて見たとき、真夜中の空の色だと思ったのだ。
「こちらのレターセットに、スカーレット様の金のインクで書いてみるのはいかがでしょう? 字体に点のようなアクセントをつけて、その点をなるべく直線で繋ぐように書くのです」
「それは……もしかして、星座に見立てるのかい?」
「はい! 普通の文体より少し読みにくくなるかもしれませんが、夜空に星座を探すみたいに、文字を読み解く作業もきっと楽しいと思いませんか?」
スカーレットは夜空のレターセットを手に取ると「なるほどね」と目を輝かせた。
「確かにそれは楽しそうだ。私が手紙を送ってもらいたいくらいだよ」
「本当ですか? 良かった~!」
「よし、それなら金のインクよりももっといいものがある」
そう言うと、スカーレットはマホガニーの机の引き出しを開けると、奥のほうから真っ黒な瓶を取り出した。
瓶には老舗文具店『ラパラ』の刻印がある。ラパラは少し癖のある商品がそろう素晴らしい店だ。
スカーレットに瓶を渡され、蓋を開けて中を確認してみる。
中身は真っ白なインクで、ひんやりとした夜の匂いのような香りがした。
「白いインクのほうが、金よりも星に見えますか?」
「これはただの白いインクじゃないんだ。夜光石の粉末を混ぜたインクで、暗いところでぼんやりと青白く光るんだよ」
「そ、そんな素敵なインクが存在したのですか⁉ すごい、それなら確かに金のインクよりもずっと星のように見えそうですね!」
「だろう? このインクにこんなにぴったりな使い道が見つかるとは思わなかった。ぜひこれでアンナの為の手紙を代筆しておくれ」
嬉しそうなスカーレットに、リゼットも嬉しくなって力強くうなずいた。
普段は流れるような字体を書くので、星座を模した角ばった文字を書くのは難しかった。
だが新たな挑戦はやはり楽しいもので、最終的には二度書き直し、なんとか満足いく手紙を完成させることができた。
「ウィリアム。二階のカーテンを閉めてきておくれ」
別室にいたウィリアムを呼び、書斎を暗くすることになった。
ガス灯を消し、リゼットも一階のカーテンを閉めると、重厚なカーテンに月光が遮られ、書斎に暗闇が訪れる。
「ああ……見事な星空だ」
スカーレットが広げた便せんの上では、小さな星座たちがいくつも列を成していた。
ぼんやりと青白く輝く星座の文字は、まるで魔法のように暗い部屋に浮かび上がって見える。
「どうだい、ウィリアム。リゼットの手紙は美しく優しいだろう?」
「私に手紙の良しあしはわかりません。……が、この手紙はいくら眺めても飽きない気がします」
「まったく。我が孫ながら、もう少し真っすぐ褒められないものかね」
スカーレットはあきれたようにそう言うが、リゼットはウィリアムのその飾りけのない言葉が嬉しかった。
ウィリアムに多分、褒められた。そのことが少し自信になる。
「きっとこの手紙が届いたらアンナも喜ぶ。気分も前向きになることだろう」
リゼットが私の代筆になってくれてよかった。
スカーレットのその温かな言葉にリゼットは胸がいっぱいになり、上手く言葉を返すことができなかった。