筆休め【騎士の思惑】
侯爵家主催の夜会の招待を受け、シャルル・デュシャンはいつも通りリゼットの義姉ジェシカを誘った。
自他共に認める美青年であるシャルルには、パートナーになりたいと手を挙げる令嬢が他にいくらでもいるが、ほとんどの場合ジェシカを誘う。それはジェシカに惹かれているからでも、ジェシカがパートナーとして自慢できる令嬢だからでもない。
どちらかというとジェシカは元平民ということもあり、教養も礼儀もなっておらず、由緒ある伯爵家の子息であるシャルルのパートナーとしては見劣りする相手だ。
それでもシャルルが毎回決まってジェシカを指名するのは、リゼットに会う口実を作るためだった。
年下の幼なじみリゼットは、とても愛らしい子だ。小さな頃からシャルルはリゼットが可愛くて可愛くて仕方なかった。
シャルルが寄宿学校に入るときには「行かないでシャル兄さま」と泣いて抱き着いてきたリゼットの愛らしさといったら。つい「わかった行かないよ」と言いかけて、両親に睨まれてしまったほどだ。
寄宿学校では家族や婚約者に手紙を書くと、からかわれたり勝手に回し読みされたりと嫌な目に遭うのであまりリゼットにかまってやれなかったが、リゼットからの手紙は楽しみにしていたし、誰かに見られないよう隠して大切にしていた。
リゼットの母親が亡くなったときは、リゼットには自分しかいない、自分がリゼットを守ってやらねばと心に決めた。リゼットの父親が再婚し、継母とジェシカがフェロー家に入ったことで余計にそう思うようになった。
「リゼットは? また部屋にこもってるのかな?」
夜会の前にジェシカを迎えに来たが、いつもなら見送りに出てくるリゼットが一向に現れない。
流行りのこんもりと盛りつけたようなヘアスタイルで派手に着飾ったジェシカが、面白くなさそうに顔を歪める。
「……あの子は出かけてるわ」
「出かけてる? ひとりで? もう日が沈むというのに、一体どこに?」
リゼットはほとんど邸から出ない。継母のメリンダや義妹のジェシカに、手紙の代筆を押し付けられて、出かける時間がないからだ。
おかげでまともに友人を作ることもできないリゼットが、どこに出かけるというのだろう。
「ナントカって伯爵のとこ! 私たちの手紙の代筆もしないで、ほんと生意気」
「ナントカ伯爵って? なぜリゼットが?」
「知らないわよ! あの子は手紙書くくらいしか能がないんだから、その伯爵も代筆させるんでしょ。私たちの言うことも聞かないで、何で他人の仕事を引き受けるわけ? 意味わかんない。帰ったらただじゃおかないんだから」
不機嫌さを隠しもせずにジェシカが言ったとき、エントランスにフェロー子爵が現れ「ジェシカ、まだわからないか」と義娘を窘めた。
「余計なことはするな。リゼットはハロウズ伯爵からの正式な依頼で出向いているんだ」
「だって、お義父様! 他家の手紙より、我が家の手紙を書くほうが大事でしょ?」
「自分の手紙は自分で書けばいい。いつまでリゼットに押し付けているつもりだ?」
子爵は冷たく言い放つと、夫人を置き去りにそのままシャルルたちの横を通り過ぎて玄関に向かう。
そんな義父をジェシカは不満げに睨んだ。いままでそんなこと言わなかったくせに、とでも言いたげに。
リゼットの継母である子爵夫人メリンダも苦虫を噛み潰したような顔をしているが、何も言わないところを見るとすでに夫から注意を受けたのだろう。
このリゼットの義理の母娘は、子爵の実の娘であるリゼットを蔑ろにし過ぎだ。まるで自分たちこそが、子爵家の正統な一員であるかのように振舞う。
どうせ、リゼットを押しのけジェシカがどこかの令息を夫に迎えれば、自分たちがフェロー家の後継者になれるとでも思っているのだろう。
あまりにも無知で、あまりにも愚かだ。後妻の連れ子は爵位を継ぐことは出来ないというのに。
「フェロー子爵。リゼットはなぜハロウズ伯爵の元に?」
「……伯爵の代筆を頼まれたからだ。聞いたことがあるだろう? スカーレット・ハロウズ。我が国の三蹟のひとりだ」
「ああ……亡くなった夫の爵位を継いで、女伯と呼ばれた方ですね」
「そうだ。病を患い社交界から退き領地で療養されていたが、王都に戻って来られたらしい。リゼットの実母と親しかった縁で、あの子に代筆をと希望された」
「なるほど……」
伯爵と言っても同性だったのかと、シャルルは内心ほっと胸を撫でおろした。
リゼットが自分の知らないところで社交界に引っ張り出されるのではないかと危惧したが、すでに引退した女伯が相手なら大丈夫か。
「何で死んだ女の知人なんかが今更出てくるわけ? シャルルもひどいと思わない? お母様がかわいそうだわ」
「そうだね。どうしていまになって、とは思うよね」
何がかわいそうなんだ。子爵家で好き勝手に振舞っているくせに。
内心シャルルはこの醜い母娘を目いっぱい蔑む。もちろん、そんなことはおくびにも出さない。シャルルがリゼットの味方だと知られてしまえば、シャルルの知らないところでリゼットがどんな目に遭うかわからない。
シャルルはリゼットが大切過ぎるあまり、彼女が社交界デビューを果たし、多くの男の目に留まることを心配していた。
あれだけ愛らしく、素直で聡明、そして才能に満ちあふれているのだ。デビュタントを迎えた途端、有象無象の求婚者が後を絶たなくなるだろう。
手紙のやり取りが重要な社交ツールである貴族社会において、筆跡の優美さや言葉選び・引用のセンスはそのままその人物の魅力に直結する。
リゼットがデビュタントを果たし、いま素晴らしいと持て囃されているジェシカたちの手紙が、すべてリゼットの代筆によるものだと知れ渡ったら、間違いなくリゼットは社交界で最も注目される華になるだろう。
(リゼットには僕だけがいればいいんだ)
だからシャルルは、子爵夫人がリゼットのデビュタントを認めずにいることに異議を唱えず黙っている。警戒されないよう、ジェシカの機嫌も取りながらをリゼットを見守っているのだ。
いずれ必ずリゼットがデビュタントを迎える日は訪れる。フェロー子爵が世間体を考え、メリンダを抑えデビュタントの許可を出すだろうその日を、シャルルは待っていた。
そのときはシャルルがエスコート役を務めるつもりだ。それまでに近衛で出来る限り出世をし、足場を固めておく必要がある。
シャルルは伯爵家の次男なので、家を継ぐことは出来ない。だからこそリゼットに求婚をし、フェロー家に婿入りすることが出来る。
シャルルよりも条件の良い貴族子弟はたくさんいるだろうが、譲るつもりはこれっぽっちもない。だからいまは静かに近衛として王家の信頼を勝ち取ることに邁進し、来る日に備えているのだ。
(まあ、夜会はいくらでもあるし、すぐに会えるだろう)
ジェシカに腕に絡みつかれ、作り笑顔でエスコートをしながら、シャルルはそう楽観視していた。
気持ちがとっくにすれ違っていることにも気づかないまま、子爵家を後にするのだった。