10通目【大人になれない】
不愉快だと言わんばかりのスカーレットの言葉に、人々から悲鳴にも似た批難の声が上がった。
「本当にひどいわ……! リゼットさん、私たちが力になりますからね。今度お手紙を書きますから、困ったことがあれば何でもおっしゃって」
「取り急ぎ、サロンの元メンバーに手紙を出そうじゃないか。皆セリーヌくんが好きだったからね。君の力になってくれるはずだよ」
「そうですよ。私もセリーヌさんからの素敵な手紙に、何度救われたことか」
「私も、セリーヌさんからのお手紙は全部大切にとっておいているの。お母様に返せなかった恩を、娘である貴女に返させてほしいわ」
次々にこんなことをしてもらった、こんな風に助けてもらったと、生前の母とのエピソードを口にする人々。
聞いているうちにリゼットは目頭が熱くなり、涙をこらえるのが大変だった。
「あ、ありがとうございます。皆さんのお気持ちだけで、とても嬉しいです……」
聞けば、彼らはいまも冬の死者の祝日には母の墓参りをしてくれているらしい。
リゼットより先に花や手紙が手向けられていることがあったが、あれは彼らだったようだ。
本当は、父がこっそり先に来ているのではないかと思っていたのだが、父ではなかったことがわかっても悲しくはなかった。
母はこんなに愛されていたのだと思うと、胸がいっぱいになる。
スカーレットにも積もる話があるだろうし、邪魔になってはいけないと、リゼットは不自然にならないタイミングでそっと輪から抜け出した。
笑顔の彼らと、咲き誇る花々の光景に、ここに母がいたらと想像していると「泣いたのか」とウィリアムが傍に来た。
「な、泣いてません! 泣きません!」
「目が赤いぞ」
「これは目に砂……ゴミ……む、虫! 虫が入っただけで!」
こう言えば気持ち悪がって離れてくれると思たのだが、逆にウィリアムは身をかがめて顔を覗きこんでくるではないか。
「虫? 見せてみろ」
「だ、だだ大丈夫です! 無害な虫なので!」
わからないだろう、と顔をつかまれそうになったので、リゼットは全力で抵抗した。そんなことをされたら心臓が止まってしまうかもしれない。ウィリアムの凛々しい美貌は心臓に悪いのだ。
参拝客の邪魔にならないよう、お互い無言で戦っていると「何してるんだ、ウィリアム」と軍服の青年が声をかけてきた。先ほどウィリアムと話しをしていた人物だ。
「珍しいな。ウィリアムがご令嬢と親しくしているなんて」
「……別に親しくはしていない」
「お前が自分から声をかけに行くだけでも珍しいのに? やあ、お嬢さん。はじめまして。ウィリアムの同期、モンシン男爵、ヘンリー・ユベールです。向こうにいるタルデュー侯爵の息子です」
人好きのする笑顔で挨拶をくれたヘンリーに、リゼットも慌てて「リゼット・フェローです」と会釈をした。
ちらりとウィリアムをうかがうと、何やら非常に不機嫌そうな顔をしている。同僚に挨拶されたのが迷惑だったのだろうか。
「何だ何だ、可愛らしいお嬢さんじゃないか! おかしいな。こんな可愛い子が夜会にいたら、絶対気づいてるはずなんだけどなぁ」
「おい、ヘンリー。こいつはまだデビュタント前だ。あまり近づくな」
「そうなの!? デビュタント前のエメラルドの原石に出会えるなんて幸運だなぁ。リゼット嬢、どうです? デビュタントの際はエスコート役に私めを……あだだだっ!?」
「ヘンリー、いい加減にしろ。この節操なしが」
ウィリアムがヘンリーの頭をわしづかみ、リゼットから引き離す。
冷ややかな目でヘンリーを見下ろすウィリアムはひどく不愉快そうで、蒼い炎で戦場を焼き尽くすという神話の軍神バランディールを彷彿とさせた。
「何するんだ⁉ 魅力的な女性がいたら口説くのが紳士のマナーだろ!」
「そんなマナーは存在するのはお前の頭の中だけだ」
「そりゃあ、女嫌いのウィリアムの頭の中にはないマナーだろうけど。別にいいだろ? エスコート役に立候補するくらい」
「ダメだ。特にお前みたいなのは絶対にな」
リゼットとの間に立ってそう言い放ったウィリアムに、ヘンリーがいぶかしげな顔をする。
「何だよ。お前がそんな反応するなんて、リゼット嬢とはどういう関係だ? まさか……とうとうお前にも婚約者が⁉」
「やめろ。デビュタント前の子どもだぞ」
鬱陶しそうなウィリアムの言葉が、リゼットの胸に突き刺さった。
リゼットがデビュタント前なのは事実だし、ウィリアムのような軍で大佐を務める立派な大人の男性から見れば、自分など子どもにしか見えないだろう。当然だ。
(それなのに、どうして私はこんなに傷ついているのかしら)
チクチクと、尖った何かに刺されるように痛む胸を押さえて考える。
デビュタントを迎えていないことを、引け目に感じているからだろうか。それともスカーレットに代筆を任されたことで、一人前のつもりになっていたか。
でもどれも違う気がして、リゼットは胸を押さえながらひとり首を傾げた。
「いいか、よく聞け。リゼットはお祖母様の代筆者だ」
「えっ⁉ ハロウズ伯爵の⁉」
ウィリアムがそう言った途端、ヘンリーは顔を青ざめさせ、リゼットから一歩飛びのいた。
随分と過剰な態度にリゼットのほうが驚いてしまう。
「あっぶねぇ……手を出したら女伯に殺されるところだった」
「そう考えると、止めなければ良かったか。惜しいことをした」
「ちょっとちょっと、ウィリアムくーん? 俺の扱いひどくない? 数少ないお前の友だちだっていうのに」
気安くウィリアムと肩を組もうとしたヘンリーは、しかしウィリアムに鬱陶しげに手を払われる。
ひどいひどいと繰り返すヘンリーに、ウィリアムはあきれ顔だ。
こんなに遠慮なく言い合えるなんて、仲が良いんだなとリゼットはふたりを見て思う。親友というのも間違いではないのだろう。恐らくウィリアムが素直ではないだけで。
でも、出会ったばかりの自分はきっと、ウィリアムにとっては名前を知っている他人でしかない。彼の祖母であるスカーレットの代筆者。それ以上でも以下でもないのだろう。
(当たり前のことなのに、さっきから私は一体何に傷ついているの……?)
この気持ちは、家族や幼なじみに置いていかれ、部屋にひとりぼっちになったときの寂しさに、少し似ている気がする。似ているけど、どこか違う。その正体は何なのか。
胸のあたりがもやもやとする。何だか少し息ぐるしいような、おかしな気分だ。
「ねぇ、リゼット嬢もそう思いません?」
めそめそと泣きまねをしながらヘンリーが話を振ってくれたが、リゼットはそれに上手く笑い返せた気がしなかった。
***
帰りの馬車の中で、スカーレットに不思議なことを言われた。
「リゼットに宿る力は、汎用性が高いね」
突然そんなことを言われ、宿る力とは? とリゼットは首を傾げる。
ちらりとスカーレットの隣を見たが、ウィリアムは目をつむっていて会話に参加する気はないようだ。
「私の力……ですか?」
「墓に行く前に、絵本渡しただろう?」
「“妖精のペン”ですね。母のお気に入りで、私も大好きな絵本です!」
私も好きだ、とスカーレットは笑う。
「リゼット、お前は妖精を見たことがないかい?」
「え……」
「背中に透きとおる羽を持つ、小さな愛らしい隣人だ」
まるで見たことがあるかのような言い方だ。
まさか、本当に? リゼットは胸がドクドクと強く鳴るのを感じた。
「スカーレット様は、妖精を見たことがあるのですか……?」
スカーレットは「さて」と笑い、こう言った。
「知っているかい? 妖精はね、選り好みが激しいんだ」
妖精の好み? 絵本にそんなことが書いていただろうか。
リゼットは首を傾げたが、スカーレットはそれ以上話すことなく、黙って馬車の窓から小さな空を見上げていた。
本日は夜も更新予定です!