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9通目【彼方への手紙】

 

 あのあと、スカーレットは装飾の少ないブラックドレスに着替えて現れた。そしてウィリアムは開花が控えめな深い赤バラの鉢植えを持って、馬車に乗りこんだ。

 ふたりの様子にこれから行く先の検討がつく。

 すっかり忘れていたが、今日は春の死者の祝日だ。

 死んだ者が帰ってくる日とされている死者の祝日は、春夏秋冬に一日ずつあり、その人が亡くなった季節の祝日に墓参りをするのが習わしだ。


 リゼットの母は冬に天国へと旅立ったので、いつも冬の死者の祝日に墓地へ行く。継母たちに見つからないよう、こっそりとひとりで。

 母が亡くなったばかりの頃は父と連れ立って墓を参っていたが、再婚してからは継母に遠慮してか行かなくなった。父の心が自分から離れていく寂しさと、母が忘れられていく寂しさで、冬の死者の祝日は一年で一番気持ちが沈む日だ。


 やがて馬車が停まったのは予想通り墓地だった。しかし馬車を降りると、そこはリゼットが知っている寂しげな墓地とはまるで違う、楽園のように華やかな場所だった。

 敷地には色とりどりの花が咲き、鮮やかな羽根の蝶がひらひらと舞い踊っている。各家の墓に供えられた花も多種多様で、死者の戻りを祝うにふさわしい景色だ。


 リゼットが墓参りをするのはいつも冬の死者の祝日なので、庭園の花はほとんど枯れている。供える花の種類も少なく、大体の家がクリスマスローズかシクラメンの鉢を置いているくらいだ。

 雪が降る直前の祝日の景色は、寒々しく物悲しいものだった。



「春の死者の祝日は、こんなにも明るく華やかなのですね……」

「セリーヌは確か冬だったね。では冬の死者の祝日にも一緒に来よう。うちには温室があるから、あの子が好きだった緑のバラを用意しておくよ」

「スカーレット様……ありがとうございます。母もきっと喜びます!」



 本当に心から嬉しくて、声が震えそうになった。

 今年の冬の死者の祝日は、ひとりぼっちではない。それだけでも嬉しいのに、スカーレットは今日が終わってもこの先も、共にいてくれると約束してくれたのだ。


 熱いものがこみ上げてきて鼻をすすると、隣にウィリアムが来て「泣くな」とあきれたように言った。



「今日は君が泣く日じゃない」

「本当ですね! 私ったらもう……」

「君は感情が表に出すぎじゃないか? 戦場なら真っ先に死ぬぞ」

「……私は戦場に立つ予定はありません」



 軍人らしいあんまりなたとえに涙も引っこんだ。それどころか何だかおかしくて、我慢できずに吹き出してしまう。

 泣くかと思えば笑うリゼットに、ウィリアムは何やら引いた様子で、その顔がまた面白くて笑ってしまい「何がおかしい」と睨まれた。

 ウィリアムは体格の良さや言動に威圧感はあるが、怖くも冷たくもない、むしろ温かい人だということを、リゼットはとっくに感じ取っていた。 


 庭園の奥へと進み、スカーレットが立ち止まったのは真っ白な平たい墓の前。『イザーク・アンリ・ド・ハロウズ』と墓石には刻まれている。

 手紙の相手のイザークは、やはり彼女の亡くなった夫の名だろう。



「随分待たせてしまってごめんなさい、イザーク」



 ウィリアムがバラの鉢植えを墓に供えると、スカーレットは膝をつき、リゼットが代筆した手紙を墓石に置いた。その上に丸く艶のある小石を乗せる。

 故人への手紙はこうして墓の上に置いたままにしておく。次の墓参りに来たとき手紙の文字が消えていたり、手紙自体がなくなっていた場合、故人が読んで天国に持っていったと信じられているのだ。


 リゼットも冬の死者の祝日には毎回母に手紙を書く。一方通行の手紙でも、亡くなった母が読んでくれたと思えばいつも心が慰められた。



「やっとここに来られた……。リゼットのおかげだ。ありがとう」

「スカーレット様……。お役に立てたのなら何よりです。私の代筆でご満足いただけるといいのですが」

「大丈夫、お前の祈りは届くさ。イザークもなかなか目の肥えた男だから、美しくも温かなお前の筆跡()を見てきっと喜んでいるよ」



 まぁ、本人はかなり癖の強い悪筆家だったんだが。

 そう言って笑ったスカーレットの横顔は、晴ればれとしていた。本当に今日という日を心待ちにしていたのだろう。

 彼女をそんなすっきりとした表情に出来たことを、リゼットは誇らしく思えた。



 ***



「まぁ、スカーレット様! 戻ってこられたのですね!」

「お久しぶりです、スカーレット様。いまはハロウズ伯爵でしたか」



 他の参拝客が、スカーレットの姿を見て集まってきた。

 喪服姿の人が多いが、リゼットのように普段着の人もいる。墓参りは一親等の家族に喪服を着用するマナーがあるが、それ以外の家族や友人の参拝は比較的自由だ。


 ウィリアムに声をかけているのは白い軍服姿の青年だ。軍の同僚だろうか。

 だがあの白い軍服は、幼なじみのシャルルが着ていたものと似ているような気がする。ということは、彼は近衛騎士かもしれない。

 シャルルが言っていたことだが、軍の兵と近衛の騎士は明確に分けられているらしい。国の為に戦うのが軍人で、王族を守るのが近衛騎士の仕事だと。

 そして軍人と騎士は大層仲が悪いのだとか。


(でもこの方たちは仲が良さそう。シャル兄さまが大げさに話していただけなのかしら?)


 自分の世間知らずさを唐突に感じたリゼットが所在なさげに立っていると、スカーレットに最初に声をかけたふくよかな婦人が気付いて「こちらのお嬢さんは?」と聞いてくれた。



「ああ、すまないリゼット。こちらにおいで。皆に紹介しておくよ。この子はリゼット・フェロー。才能あふれる私の代筆者だ」

「は、初めまして! リゼット・フェローと申します!」



 代筆者と紹介されるとは思わず、喜びに震えながら頭を下げると、にこやかな彼らにあっという間に囲まれた。

 次々に自己紹介を受けたが、こんなに一気に大勢の人と接する機会のないリゼットはあたふたしてしまった。



「あらまぁ、なんて可愛らしいの。こんなにお若いのにスカーレット様の代筆を?」

「それは素晴らしい筆跡()をお持ちなんだろう。気になるねぇ。早急に伯爵に手紙を送らねば」

「お待ちになって。いま、フェローとおっしゃいました? もしかして……」



 集まった貴族たちに囲むようにじっと見つめられ、リゼットは緊張のあまりすすすとスカーレットの背に隠れるように動いてしまう。



「そう。この子はセリーヌの忘れ形見さ。中身も筆跡もあの子によく似ているよ」

「やっぱり! あの小さかった子がこんなに大きく……」

「それなら伯爵の代筆を務められるのも納得ですな」



 なぜか涙ぐんで握手を求めてくる彼らを、サロンのメンバーだった仲間たちだとスカーレットは紹介してくれた。

 リゼットの母のことをよく知る人たちは、リゼットが母のセリーヌにそっくりだと懐かしみながら口をそろえて言う。母を知る人たちとの思いも寄らなかった出会いに心が温かくなり、リゼットはここに連れてきてくれたスカーレットに感謝した。



「そういえば、いま社交界で現フェロー夫人と連れ子の娘の手紙が素晴らしいと話題ですけれど、もしかして……?」

「ああ。すべてこのリゼットが代筆したものだ。子爵家の跡継ぎになるリゼットを社交界に出すこともせず、代筆ばかりさせていたらしい」

「まあ!? 何てことでしょう!」





フランスのお墓参りをちょっぴり参考にしました!

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