3 車窓
車両の揺れるのに合わせて、僕らも揺れる。
小刻みに、上下に、ときには左右に大きく、なされるがままに揺れる。
車内に響くジョイント音。吊り革のきしむ音。耳元では、黄ばんだガラス窓がガタガタ鳴っているのが聞こえる。
退屈に耐えかねて、僕は向かいの車窓を眺めた。
車窓にはめられたガラスは分厚くて、車両の内側と外の世界とを完全にへだてている。
僕たちが「白」に近づくにつれて、世界はその色彩をより薄く、よりやわらかなものに変えていった。夢の中にじんわりと浸透していくような、そんな感覚を覚える。それでも、車窓を眺めていると、かろうじて多くの色を認めることができた。
草木の緑に、連なる屋根の赤、空いっぱいに広がる青。すべてやわらかい色合いをしていて、少し白みがかっているが、どれもその色であることに違いなかった。
僕は、なんだか絵画を見てるみたいだと思った。
どこかの絵描きが、水彩絵の具で世界を描き出したのだ。白いパレットに色とりどりの絵の具を落として、それを水に優しく溶きながら、何度も筆を往復させたのだ。そして、最後に窓枠をはめた。額縁をはめるみたいに。
僕はふと、となりの少女に視線をおとした。
僕よりひとまわり背丈のちいさな少女は、可憐な膝を揃えて、白いワンピースの裾を電車に揺らしていた。
僕は、少女の名前を知らない。
少女とは、ここに来る途中の、小さな公園で知り合った。
人々の逃げ惑うなか、少女はひとり、公園の片隅でベンチに腰を掛けていた。
それ以外のことを、僕は知らない。
「きみは、どこからきたの」
僕は尋ねてみた。
少女は応えない。
「ねぇ、きみの名前は、なんていうの」
その声には反応せず、少女は斜め上のほうを見上げた。
その視線の先では、中吊りの車内広告が揺れていた。
広告は陽の光で色落ちしてしまっていて、何が書かれていたのかを確認することはできない。
それが不規則に揺れているのを、少女はひたすら眺めていた。いや、少女は、ただ虚空の見つめているだけなのかもしれなかった。
「僕の名前はね、」
「◼◼◼っていうんだ」
少女に、僕の声は届かなかった。
車内の時間は止まっているみたいで、ただ車窓の景色だけが留まることなく横へと流れ続けていた。
少女はやはり、揺れる中吊りの方を呆然と見ているのに変わりなかった。