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妖精国奇譚  作者: ほたる
第二話 月へいく道
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トロール退治

 美しいデジー王女に最初の求婚者が現れたのは、王女が十五歳の誕生日を迎えた直後のことだった。それ以前にも幾つか縁組の打診はあったが、フェイフォードまでやって来て王女に直接求婚したのは、その二人の貴公子が最初だった。


 一人は東国の第三王子、もう一人は隣国の公子で、家柄といい年齢といい容姿といい、文句の付けようもない立派な若者たちだった。王の見たところ、王女もまんざらではない様子だった。

 しかしこうも立派な貴公子に並ばれては、そうそう気軽に選べるものではない。さてどうしたものかと、王が悩んでいる間に貴公子たちの方が痺れを切らしてしまった。

 どちらが王女に相応しいか決闘で決めるから場を設けて欲しいと、迫られて王は慌てて断った。フェイフォードでは四百年前から、決闘は法律で禁じられているのだ。


 ちょうどその頃、東の国境付近にたびたび出没するトロールに、王は手を焼いていた。近隣の住民たちは怯えて逃げ出し、鉄道工事にも深刻な影響が出始めている。

 大切な客人に害が及ばないよう、求婚者たちとその一行には、近づくべきではない危険な地域を明確に示してあった。

 それが仇になるなどと、どうして予想できただろう。


 痺れを切らした貴公子たちが、王女に捧げるためのトロールを狩りに出かけた、と──知らせが届いたのは、出立から半日もたってからだった。




 結果を言えば、トロールは退治された。

 しかしその戦いで、隣国の公子は片脚を失い、自ら求婚を取り下げてうなだれて帰っていった。

 東の王子の方は、外傷は軽く済んだものの、トロールの断末魔の毒気に当てられて気が触れてしまった。

 しばらくは都の療養所で治療していたのだが、ある夜部屋から抜け出したきり姿を消した。それ以来、彼がどこでどうしているかは誰も知らないが、月夜に鈴ヶ丘へ行くと、笑いながら辺りを駆け回る王子らしき人影を見かけることがあるという。


 このことがあってしばらくは、さすがに王女に求婚者は現れなかった。

 そして数ヵ月後、再び現れた求婚者は、美しい王女に向かってこう言った。


「残念ながら、もはや殿下にトロールを差し上げることはできません。いったい何をお持ちすれば、私をお認めくださいますか?」




「王女様は、何とお答えになりましたの?」

「ヒツジの卵をいただきたい、と」

「それで、その求婚者の方は、何と?」

「命に替えてもお持ちしましょう、と……」


 王の瞳をじっと見つめて、それからムジカ嬢は小さく笑った。


「なんてお気の毒な王女様」


 王は驚いてムジカ嬢を見返した。

 無理難題を突きつけられて振り回される求婚者に同情する声は多いが、王女を気の毒だと言う意見は聞いたことがない。


「それは、どういう……」


 王の戸惑った声に、ムジカ嬢は意味ありげにアーモンドの瞳を細めて笑ってみせた。


「言葉の通りですわ。──そういえば、今夜は満月でしたわね」


 どうやら、まともに答えるつもりはないらしい。


「先月の満月の夜に、傘を持たずに外出しようとしたら、下宿のミュゼット夫人が血相を変えて追いかけてきましたわ」


 言って、いかにも可笑しそうに笑う。


「フェイフォードのご出身者は、外国にいても夜に傘を差して歩くことで、有名ですのよ」


 からかう口調に、王は苦笑した。


「実際、満月の夜に狂気に陥ったり、行方知れずになったりする者がいるのですよ」


 フェイフォードで、神隠しに遭うことを「月の向こう側へ行く」と言うのは、そのためだ。

 肉体を残して魂だけが連れ去られると、傍目には気が触れてしまったように見える。満月の光を長く浴びると、それだけ月の向こう側へ連れ去られやすくなるので、晴れた満月の夜に出歩く時には必ず、傘を差すか鍔広(つばひろ)の帽子をかぶるかしなければならない。


「古い慣習とお笑いになるでしょうが……」


 しかしムジカ嬢は、にっこり笑って首を振った。


「とんでもない──妖精の連れ去られたりしては、たいへんですものね」


 言って、食べかけのクッキーを一口かじってお茶を飲む。苦笑を返して、王は新しいクッキーに手を伸ばした。

 そのとき、ふいにノックの音がして、赤い巻毛のマロウが入ってきた。


「どうかしたかのね?」


 来客中に、呼びもしないのに侍女が入って来ることは滅多にない。とりわけ、ムジカ嬢が訪れている時には。

 扉を開いた姿勢のまま、王の問いかけにも答えずにぐるりと室内を見渡したマロウは、それから気づいたように慌てて膝を曲げた。


「失礼いたします、陛下」


 所作は作法通りだが、順番があべこべだ。バジル夫人お気に入りのマロウらしくもない。


「何かあったのかね?」

「ええ、その……」


 言いにくそうに口ごもって、マロウはちらりとムジカ嬢を見た。その態度に軽い苛立ちを覚えてさらに促すと、マロウはらしくもなく困った表情になって、おずおずと口を開いた。


「もしやこちらに、王女様がおいでではないかと……」


 躊躇いがちな言葉に、王は眉をひそめた。王女の行動は、王よりも侍女たちの方がよほど把握しているはずだ。


「王女がどうかしたのかね?」

「ええ……ローズマリーとマジョラムをお供に、お出かけになったのですが……」

「それはさっきも聞いた」


 少しきつい調子で口をはさむと、マロウはいっそう困ったふうで、真っ白いエプロンの端を、両手で握ったり伸ばしたりし始めた。


「途中でローズマリーが、知人とばったり会って、お二人と別れたそうなんです」

「……それで?」

「それで……つい先ほど、ローズマリーだけが、戻ってまいりまして……」


 とっさに、王は窓の外に目をやった。日暮れが近付いている。


 とりあえず、日没にはまだ時間があるのだから様子を見るようにと命じて、マロウは下がらせた。

 それから王はポットのコゼーを外して、自分とムジカ嬢のカップにお茶を注いだ。


「きっと、すぐに戻られますわ」


 穏やかなムジカ嬢の声に、王は肩をすくめてみせた。


「おおかた、新しい小間物屋でも見つけて、時間を忘れているんでしょう」


 年頃の娘には、よくあることだ。そう言って王が甘やかすから、王女はいつまで経ってもあんなふうなのだと、またバジル夫人から小言をもらうことになりそうだ。

 そんなことを思って笑ったつもりだったのだが、あまりうまくいかなかったようだ。


 注ぎ直した桜茶を半分も飲まずに、ムジカ嬢は(いとま)を告げた。

 少しずつかじっていたクッキーは、結局一枚しか食べていない。そういえば以前にも、ウイキョウ入りのタルトにほとんど手を付けなかったことがあった。ハーブ入りの菓子は、あまり好きではないのかもしれない。


 せめて、と思ってエミールのボンボン入れを開けてみると、中にチョコレートは一つしか入っていなかった。

 苦笑しつつ勧めると、ムジカ嬢はにっこり笑ってチョコレートを口に放り込み、代わりに、可愛らしいハンドバックからハッカ飴を取り出して王にくれた。


 立ち去り際、ムジカ嬢はふいに振り返ってこう言った。


「王女様のことは心配いりませんわ──もちろん、陛下が一番よくご存知でしょうけれど」


 微笑んで立ち去るムジカ嬢の背中を見送って、王はハッカ飴を口に放り込んだ。


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