求婚者たち
フェイフォード王国の第一王位継承者デジー王女は、今年十八歳になるヘーゼル王の一人娘である。
父親譲りの金の髪と明るい青い瞳に、母親譲りの白磁の肌と優しげな面差しの、親の贔屓目を抜きにしても美しい姫に、求婚しようとフェイフォードを訪れる貴公子は後を絶たない。中には、およそ貴公子とは呼びがたい人物も混じっている。それでも王女を幸せにしてくれるなら、この際、多少の身分の差には目をつぶってもいいと、王は考えている。
王がデジー王女の結婚相手に対して付けた条件は、三つだけだ。
第一に、ヘーゼル王よりも年若い、未婚の男子であること。
第二に、いかなる国の世継ぎでもないこと。
そして第三に、王女の出す課題に合格すること。
たった三つだ。これ以上の何も、王は望まない。
八年前に妻を亡くし、男手ひとつで一人娘を育て上げた父親が婿に出す条件としては──その父親が一国の王であることを鑑みれば──決して理不尽なものではないはずだ。
隣国のユピト王など、王子が三人に王女が六人もいるくせに、大広間の晩餐卓の端から端まで届く条件リストを作っている。
いっそテーブルクロスにでもしたらいい、と以前にヘーゼル王が厭味を言ったら、ユピト王は本当に、細長いリネンを特注してリストを刺繍させた──金銀の飾り文字をふんだんに入れて。
それを敷いたテーブルに求婚者たちを招いて催す晩餐会が、ユピト王の趣味の一つに加わったと聞いて、ヘーゼル王は自身の軽率な発言を悔いたものだった。
それともいっそ、ユピト王のように微に入り細に渡った条項を用意した方がいいのかもしれないと、思うこともある。
とりわけ、こんな日には。
この日の早朝、王女が先だってセイレンの竪琴を求めた若公爵の訃報が、フェイフォードにもたらされた。
*
この日の午後にお茶を運んできたのは、赤い巻毛のマロウだった。
エリカは休暇で里帰り中で、ローズマリーは王女と外出中だと、訊ねもしないのに説明するのは、押し付けられたこの役目が、気に入っていないせいかもしれない。マロウはとりわけバジル夫人に可愛がられているから、ムジカ嬢のことを快く思っていないのだろう。
そんなことを考えていたから、給仕を終えて退室するマロウの後ろ姿を、ムジカ嬢がじっと目で追っていることに気づいたとき、ヘーゼル王は少し慌てた。
確かに愛想はなかったが、無作法ではなかったと思うのだが……
しかし王の不安に反して、こちらへ向き直ったムジカ嬢が口にしたのは、全く別のことだった。
「セージ夫人やタイム嬢も、いらっしゃいますの?」
唐突な問いに、王は一瞬目を見開き、それから答えた。
「タイム夫人は、王女の乳母でしたが……」
だが今は宮勤めを引退して、田舎の農場で息子夫婦と暮らしている。
王の返答にムジカ嬢も一瞬目を見開き、それから可笑しそうにくすくすと笑い出した。それでようやく、王はなぜムジカ嬢がそんなことを言い出したのか理解した。
ローズマリーにエリカにバジル夫人にマロウ──ついでにマジョラムも──全てハーブの名前だ。
王は苦笑いしてカップを取り上げた。
「フェイフォードでは、ありふれた名前なんですよ」
ローズマリーなど、一時期王宮内だけで四人もいて、呼び分けに苦労したものだ。ちなみに王の名も、正式にはヘーゼル六世という。王族に好まれる名前なのだ。
納得したのか頷いて、ムジカ嬢もカップを取り上げた。
今日のお茶には、珍しい桜の花の砂糖漬けが浮かんでいる。薄紅色の花びらがカップの中で広がって美しい。淡いピンクの地にサクランボが描かれた茶器は、お茶に合わせたものだろう。
縁に葉の模様が描かれた皿には、フェンネルやラベンダーなどを混ぜ込んだクッキーが盛られている。今夜は満月なので、菓子にはハーブを入れるのだ。
王が皿を少し押すようにして勧めると、ムジカ嬢は少し考えてから、一枚だけクッキーを取り皿に移した。
「王女様は、息抜きに出かけられましたの?」
クッキーを少しかじって、お茶を一口飲んでから、ムジカ嬢は言った。
「ええ、まあ……」
「ご災難でしたね」
同情するでも非難するでもない、単なる感想を述べるような口調だった。
話を広めぬようにとは命じてあるものの、生きた人の口に蓋をすることは難しい。王女への求婚者が死亡した知らせは、恐らくはもう都中に広まっていることだろう。
ため息をひとつついて、王は口を開いた。止められない噂ならば、せめて真実であった方がいい。
くだんの公爵は、フェイフォードから旅立った後、南方のある港町へ辿り着き、そこで冒険用の船を買って船乗りを幾人か雇った。
実用本位の船は、公爵の目にはいささか殺風景に映ったようで、船首には虹の翼を持つ黄金の女神像を取り付け、甲板の手すりも黄金に塗り、仕上げに紋章を華々しく縫い取った紫紺の旗をマストに結びつけた。
運び込まれる上等の干し肉やチーズ、そして大量のワイン樽に、雇われた船乗りたちは大喜びしたという。
占いで船出の吉日を選び、猫のヒゲだの兎の足だの、あらゆる護符も身につけた。もちろん、最新流行の水夫服もあつらえた。もしかしたら船旅に備えて、自慢のブロンドもカットし直したかもしれない。
準備万端整えて、いざ出航の前夜、公爵は土地の船乗りの流儀に倣って酒場へ赴き、景気付けの地酒を飲んだ。
これが、熟成させたワインしか飲み慣れていなかった公爵の舌には、少しばかり強すぎたらしい。
あっという間に酩酊状態に陥った公爵は、ささいなきっかけで──普段の彼なら信じられないことだが──居合わせた客と諍いを起こした。止めようにも、公爵の従者も誰も皆、すでにしたたかに酔っ払っていた。
「相手は、屈強な船乗りだったそうで……」
「貴公子様では、相手になりませんわね」
おぼつかない手つきで公爵が振りかざした、宝石付きの短剣は呆気なく相手に奪い取られ、次の瞬間には、公爵の胸に突き刺さっていた。
せめてもの救いは、ひどい酔いのために、公爵にほとんど苦しんだ様子がなかったということだろう──その場に素面の者は一人もいなかったというから、いささか心もとない証言ではあるが。
話し終えた王の顔を見つめて、ムジカ嬢は、ほんの少し呆れたような表情をした。
「確かにお気の毒なお話ですけれど、でもそれは王女様の責任とは、言えないのじゃありませんこと?」
「ええ、それは確かに」
公爵の後見人からも、お騒がせして申し訳ないと、丁寧な詫び状が届いている。
それでもやはり、きっかけが王女の課題であることに変わりはない。王女が公爵の死の原因を作ったことに、変わりはないのだ。
ムジカ嬢は小さく首を傾げた。
「そもそもどうして、王女様は求婚者に難題をお与えになるようになりましたの?」
それから、ふと思い出したように微笑って、つけ加えた。
「まさか、月にお戻りになるつもりじゃ、ありませんでしょう?」
その言葉に、王は思わず眉をひそめた。
「ご冗談を」
絞りだした声が、喉で低く強張る。
実際には、冗談とも言いがたい言葉だ──「月へ行く」などと。縁起でもない。
「あら──まあ、違いますわ」
王の心中に気づいたのだろう。ムジカ嬢は慌てたように言って、それから少し困ったように眉を寄せた。
「そういう、お伽話がありますのよ──月から地上へ降りてきた姫君が、無理難題で求婚者たちを追い払って、やがて再び月へ戻って行ってしまう、という……」
「ああ──なるほど」
その物語が鉄道を伝ってフェイフォードにもたらされないことを、王は心から願った。