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妖精国奇譚  作者: ほたる
第三話 フェイフォード
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ヘーゼル王

 西の山並みの向こうに、月はとうに沈んでいた。


 フェイ川の水面からは銀の輝きが消え、せせらぎは、ただの涼やかな水音に戻っている。岸辺には一面、季節外れの白いクロッカスが咲いているが、七枚花弁の花は、どこにも見当たらない。

 辺りは何事もなかったかのように、静まり返っていた。


 ナナカマドの効力はもう消えているはずだったが、ムジカ嬢はそのまま動かず、王も黙ったまま、夜に沈んだ川向こうの森を見つめていた。

 そのままどれほど経ったのか──やがてぽつりと、ムジカ嬢が言った。


「なぜ、私を助けてくださいましたの?」


 振り返った王が首を傾げてみせると、ムジカ嬢は小さく肩をすくめた。


「妖精は、人に姿を見られることを好みません。シロツメクサの冠がなかったら、恐らく私は今、生きてここにはいないでしょう」


 少し考えて、王は答えた。


「目的がどうあれ、王女を救っていただきましたので」


 するとムジカ嬢は、薄い唇を引いて自嘲するように微笑んだ。


「お優しいんですのね」


 囁くように言って、シロツメクサの冠を外す。つい先刻までは瑞々しかった緑の葉も、今はもう(しお)れかかっているようだ。


「──王妃様の花冠が切れたのは、いつ頃でしたの?」


 穏やかな問いに、王も静かに答えた。


「十三年目の、ちょうど今時期でした……」


 頭から外して膝に置いたシロツメクサの花冠を、王は見下ろした。


 二人が出会ったあの夜、ヘーゼル王が差し出したシロツメクサの冠を、なぜムンリットが受け取って頭に乗せたのか、王には分からない。

 ただ、花冠をかぶったムンリットは、こちら側へやって来て王の妃となり、十三年目に花冠が切れると、あちら側へと帰っていった。


「花などではなく、もっと丈夫な冠をお贈りになったら、よろしかったんですわ。あの墓標にかけた、銅の花輪のような」

「そうかもしれません」


 あるいは、慣習通りに銀の指輪で誓えば良かったのだろう。そうすれば、ムンリット王妃を永遠にこちら側に繋ぎとめることができたはずだ。

 だが、王はそうしなかった。ただそれだけのことだ。


 黙り込んだ王を見つめて、ムジカ嬢は少しだけ顔をしかめてみせた。


「でも、いくら奥方様を守るためとはいえ、女性に毒を盛るなんて、あんまりじゃありませんか──私がここへ来ることまでは、お許しになっておきながら」


 言葉と表情ほどには、口調は怒っていない。

 そもそも、ナナカマドはそれほど強い毒ではないはずだ。ただ匂いが少々強いので、それを隠すためには、ジャムをキャラメルで包んでから、チョコレートでくるまなければならなかった。それにまんまと騙されたことが、少なからずムジカ嬢のプライドを傷つけたのかもしれない。

 王は小さく微笑んだ。


「実際にご覧にならないことには、気がお済みにならないと思いましたので。──それに、夢に入り込むというのも、あまり感心したやり方ではないように思われますが? ついでに、王女を懐柔なさろうとしたことも」


 王女を救ってくれたことでは感謝しているが、それとこれとは別問題だ。

 するとムジカ嬢は、呆れたようにため息をついた。


「前言は撤回いたしますわ。なんて意地悪なお方」


 しかし、細められたアーモンドの瞳には、面白がっているような色が見える。王は肩をすくめた。


「なんといってもここは、妖精国(フェイ・フォード)らしいですから──国王としては、保護に務めないわけにはいきますまい」


 一瞬目を見開き、それからムジカ嬢は、喉を震わせて涼やかな笑い声をたてた。




 やがて王が地面から立ち上がると、ムジカ嬢も倒木から腰を上げた。


「夏至祭は、見にいらっしゃいますか?」


 コートに付いた草を払いながら王が訊ねると、ドレスを払いながら、ムジカ嬢はにっこり笑って頷いた。


「もちろんですわ。金貨入りのクルミを、是非ともいただかなくては」


 思わず苦笑を返しながら、コートのポケットに手を入れて、王は火種を忘れてきたことに気がついた。月はとうに姿を消し、鈴ヶ丘は夜闇に黒々と沈んでいる。

 バジル夫人に見つかる前に、もと来たスミレの小道を見つけて王宮に帰り着くことができるだろうかと考えて、王はため息をついた。



 *



 夏至祭のあと間もなく。

 フェイフォードが本格的に暑くなる前にと言って、ムジカ嬢は再び鉄道に乗って去っていった。

 歓迎せざる客がいなくなって、バジル夫人は上機嫌だったが、水族館のノマタ館長はなぜか、それからしばらく寂しそうにしていたらしい。



 翌年の春に執り行われるデジー王女とウィロウとの結婚式の招待状を、王女のたっての希望でムジカ嬢にも送ったところ、線路脇にクロッカスが咲く頃になって、丁寧な欠席の詫び状を添えた祝いの品が、鉄道に乗って届けられた。

 漆塗りの箱に収められたそれは、ナナカマドのモチーフを見事な浮彫りにしたエミールのボンボン入れで、真っ赤な実を模した取っ手をつまんで蓋を開けてみると、中には、綺麗な水色の紙で包んだハッカ飴が、いっぱいに詰まっていた。


『妖精国奇譚』完


お読みいただき、ありがとうございました!

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