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妖精国奇譚  作者: ほたる
第三話 フェイフォード
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ムンリット

 薄紫に染まった西の空で、夕陽の最後の光が消えていく。

 藍の深まる東の空の高みで、月がプラチナ色に輝く。


 野リンゴの花の、ほの甘い香りがいっそう強くなったのは、気のせいだろうか。

 フェイ川のせせらぎが、涼やかな和音を奏で始める。

 急速に藍色に染まっていく空の下、川面(かわも)はごく薄い(もや)に覆われ、俯いたスイセンの色も霞んで、膨らんでいくクロッカスの蕾だけが、白く光を放っているかのように、ぼんやりと浮き上がって見える。


 耳を傾けると、さらさらと駆けていく水音は、まるでさんざめく笑い声のようにも聞こえる──そう思った途端、それが紛れもない、重なり合う無数の笑い声であることに気がつく。

 川面に漂う靄と見えていたものは、よく見れば透き通った羽の群れで──そう気がついた時には、川面ばかりでなく、野辺にも野リンゴの枝にも、無数の妖精の姿があった。

 見渡せば、フェイ川の岸辺は、透き通った羽で飛び回る妖精の一群に覆われていた。


 妖精の大半は、手のひらに乗るほどの小さなものだったが、幾人かは、人と変わらない背丈のものもいた。彼らには羽はなく、代わりに立派な衣装を着て、男も女も、髪に見慣れぬ花を編みこんだ冠をかぶっている。


 大きな妖精たちは、それぞれに楽器を手にしていて奏でているが、人の耳にはどうしても、それらの音を聞き分けることができない。ただ、宵の空気を震わせるその(たえ)なる響きを、感じることができるだけだ。


 青い花冠をかぶった妖精の、ブドウの蔓を編んだタンバリンに合わせて、小さな妖精たちが、銀の針でスズランの花を打ち鳴らす。髪に白い花を編みこんだ妖精は、ユリによく似た縦笛を吹いている。紫檀と黒檀の双子のフィドル。不思議な形をした(ボーン)フルート。時おり響く角笛の声──

 野リンゴの枝に腰掛けて虹の七弦の竪琴を弾く、ひときわ美しい長身の妖精だけは、花冠をかぶっていない。月光を浴びて、癖のない長い髪がプラチナ色に輝いている。




 やがて、月が天の頂に達する頃──フェイ川の岸辺で、純白のクロッカスがいっせいに花開いた。小妖精たちが、人の耳には聞こえない歓声をあげる。


 花開いたクロッカスのうちの、七枚花弁の花の中から、一輪につき一人ずつ、小さな妖精が生まれ出てくる。

 妖精たちは、クモの糸で織り上げたような虹色に輝く衣装で新生児を包み、リンゴやスミレの花で飾ってやった。さっそく飛び回り始めた新生児の幾人かが、せっせと野リンゴの受粉をしている妖精にまとわりついて邪魔をして、怒られている。


 悪戯な幾人かの妖精が、数人がかりで岸辺のスイセンを引き抜いて、ラッパにしようとしている。大きな妖精の吹く角笛が、羨ましいのだろう。

 妖精たちが次々飛び込むので、フェイ川はまるで銀の粉を流したように輝いている。

 フナに手綱を付けて、乗り回している者もいる。妖精たちは手加減を知らないから、可哀相なフナは、朝までには疲れきって死んでしまうだろう。


 何人かの妖精が、丘の麓に座るヘーゼル王とムジカ嬢に気がついて、不愉快そうに顔をしかめて近寄ってきた。しかし二人の頭に乗ったシロツメクサの冠に気がつくと、途端に飛び退いて、岸辺へと逃げ去っていった。


 ブドウの蔓を編んだタンバリン。白ユリの縦笛。紫檀と黒檀のフィドル。(ボーン)フルート。打ち鳴らされるスズランと、時おり響く角笛。シャボン玉のように虹色の衣装を翻して踊り回る、小さな妖精たち。

 そして、虹の竪琴を爪弾く、無冠の妖精の姫──




 永遠に続くかに思われた妖精たちの宴は、しかし真夜中を過ぎて月がなかばまで傾くと、唐突に終りを告げた。


 楽器を置いた大きな妖精たちの合図を受けて、小さな妖精たちがいっせいに、フェイ川の銀の流れを渡り始める。

 楽の音は絶えて、たださんざめく笑い声だけが響いている。それもやがて、川のせせらぎと区別がつかなくなっていくのだろう。

 川面を薄く覆う靄を透かしてぼんやりと、銀の森へと消えていく妖精たちの姿が見える。

 今夜の鬼市(ゴブリン・マーケット)は、さぞかし賑やかなことだろう。それとも悪戯好きな妖精たちの襲来を恐れて、鬼たちは早々に店じまいしてしまったろうか。


 大方の妖精たちが川を渡ってしまってから、竪琴を弾いていた無冠の妖精が、野リンゴの枝から降りてきた。急かすように飛び回る小妖精たちをまとわりつかせながら、滑るような優雅な足取りで、岸辺へと下りていく。


 そのまま水面に足を踏み出そうとして、妖精の姫はふいに、振り返った。

 けぶるようなプラチナ色の髪が、華奢な肩を滑る。

 銀を宿して青く潤む瞳が、まっすぐにヘーゼル王を見つめ──そして、薄紅色の唇が、ふわりと微笑を刻む。


 束の間の、それは夢見る少女のような淡い笑みだった。


 再び背を向け、もう立ち止まろうともせずに水面を歩き、やがて銀の森へと消えていく白い後ろ姿を、ヘーゼル王はただじっと、見つめていた。


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