幸福な王女
近頃のムジカ嬢は、以前にも増して熱心に図書館へ通っているようだ。
お茶の席に王が遅れて行くと、決まって何がしかの本を広げている。たまにゴシップ誌を熱心に読んでいることもあるが、ムジカ嬢に言わせれば、全て研究の一貫であるらしい。相変わらず、妖精の探索を諦める様子はない。
時には夢の中にまで現れて、妖精のことを訊ねられて、王もいささか困惑している。
先日ヘーゼル王の夢に現れたムジカ嬢は、まるで大学教授のように深緑色のローブをまとい、きっちりとまとめ上げた髪に金の房のついた角帽を乗せて眼鏡をかけ、お茶の席で王を前に、古い詩の朗読をしてみせた。
丘に住む貴婦人の館に招かれた吟遊詩人の半生を歌った、有名な長編詩だ。ムジカ嬢の弁にかかればもちろん、これも立派な妖精譚になる。
お茶が冷めていくのを気にしながら、王は涼やかな声で繰り広げられる講釈に、神妙に聞き入っていた。銀の皿に山と盛られたハッカ飴だけが茶菓子という、奇妙なお茶会だった。
この間の満月の夜以来、デジー王女の様子は落ち着いているようだ。しかし懲りもせず、求婚者が現れるたび「月」を要求している。
何かの喩えなのかと問い詰めてもみたが、言葉の通りだと答えるばかりでらちが明かない。いよいよ月の向こう側へ行く日も間近いに違いないと、王宮内でまで囁く者が出てくる始末だったのだが、ある日、誰もが驚いたことに、王女はあっさりと求婚を受け入れた。
求婚したのは誰あろう、文字もろくに書けない鼓笛隊副長、ウィロウだった。そしてウィロウのやったことといえば、日が沈んでから王女を中庭の泉へ連れていき、水面に映った月を指さして、これを差し上げようと言っただけだった。すると王女はにこりと微笑んで、お受けしますと言ったのだ。
「お気に召しませんの?」
ムジカ嬢の声には、明らかに面白がっているような響きがあった。
「気に入るも入るまいも、約束ですからな」
ウィロウはまだ若いし、もちろんどこの国の世継ぎでもない。そして王女の出した課題にみごと合格した。何より王女は満足そうだ。王には反対する理由など何もない。
「しかし、水に映った月を贈るなどと……」
過去の求婚者たちがこの結果を知ったら、何と思うことだろう。
困惑する王に、ムジカ嬢は肩をすくめてみせた。
「そんな簡単なことを、今まで誰も、思いつかなかったというだけの話ですわ。王女様がヒツジの卵が欲しいとおっしゃるなら、鶏でも鳩でもヘビでもカエルでも、適当な卵を取ってきて、差し上げればよろしかったんです。これがあなたがお求めのヒツジの卵です、と──なんなら、綺麗な箱に詰めて絹のリボンでもかけて」
王は驚いて、ムジカ嬢のアーモンド形の瞳を見つめた。
「……何でも構わなかった、ということですか?」
薄い唇を引いて、ムジカ嬢は微笑んだ。
「王女様が求めておられたのは、冒険を求める勇者ではなく、ただ純粋にご自分を求める求愛者だった、ということですわ」
そう言って、優雅な仕草でカップを唇に運ぶムジカ嬢を、王は呆然と見つめた。
確かに求婚した時も泉に月を映してみせた時も、ウィロウは真っ直ぐに王女だけを見つめていた。彼は優れた王にはならないかもしれないが、女王の良い夫にはなれるだろう。
いくらかの不安と不満には目をつぶって、王は夏至祭で二人の婚約を正式に発表する手筈を整えた。
町の人気者を王女が選んだことで、国民は大喜びしているらしいが、もちろん伝統と格式を重んじるバジル夫人は、あまり良い顔をしていない。遠からずタイム夫人からも、何か小言を言われることになるだろう。
彼女たち立派なご婦人方を納得させるためにも、近いうちにウィロウ副長には、何か適当な爵位を与える必要があるだろう。
爵位と、それに付随する諸々の権利や義務や責任を、せめて来春の結婚式までに、ウィロウがきちんと理解してくれるといいのだが。
一方で、バジル夫人やタイム夫人のような考え方は古いと言って、近頃、ローズマリーやエリカの態度が少々反抗的だ。赤い巻毛のマロウまでがローズマリーたちと意気投合して、夫人の目を盗んでは、仕事を放り出して油を売りに出かけてしまう。
おかげでこのところ、バジル夫人はいつも不機嫌だ。
あちらで侍女たちに口止めされ、こちらではバジル夫人に詰問されて、可哀相なマジョラムは、最近いつも困り顔をしている。
夫人のいない隙にこっそり呼び寄せてチョコレートをやろうと思ったら、エミールのボンボン入れにはもう、チョコレートは一つしか残っていなかった。




