第6話 eインターハイ
「響姫さん、どこにいらっしゃるのですかー!」
奈々子の声が聞こえる。響姫はゲームセンターの外、壁の陰に隠れながらやり過ごす。他のお茶会メンバーはどこかに去ったが、奈々子はまだ氷の女王を探しているようだ。
惨めな気分だった。自分を尊敬する者たちを集めた『お茶会』は響姫の唯一の居場所だったのに、鳴海という少女のおかげで崩壊した。みんなの前で、最も得意な曲で、響姫は真正面から敗北してしまったのだ。
それにーー。
「なんでこんな場所に、日本ナンバーワン……海桜高校の山本さくらがいるのよ」
ため息をつきながら、ひとりごちた。
敗北した上、あんなプレイヤーに出てこられたら、ますます自分の立場などない。響姫はお茶会メンバーに合わせる顔がなかった。奈々子たちにどう思われているかよりも、自分自身が自分を誇れなくなったのが問題だった。
探すのを諦めたのか、奈々子の声も聞こえなくなった。やり過ごすために隠れたはずなのに、虚しい気持ちになる。
どうしてこんなことになってしまったのだろう。
最初は、音ゲーを楽しくやりたいだけだったはずなのに――。
NARUMI 98764
HIBIKI 100000
HIBIKI Win!
「信じられない。鳴海がリトフラで負けるなんて」
唄江はスコア画面を見て唖然とした。響姫のクレジットの残り曲でプレイした『リトル・バタフライ』で、さくらはなんと100000点、つまりパーフェクトを取った。当たり前だが、全てのノーツが、最も正確なS判定だった、ということになる。ビギナー譜面やアマチュア譜面ならまだしも、最上級難易度であるマエストロ譜面でパフェなんて信じられない。
「さくらは、馴れ馴れしくて図々しいバカだけど」
明日花は、どこか誇らしげだった。
「音ゲーだけはめちゃくちゃ上手いんだ」
「す、すごい!」
鳴海は、目を輝かせてさくらを見ていた。彼女が、誰にも見せたことないような、尊敬の眼差しだ。
「まさか、全国音ゲー行脚最後の県で、君みたいなプレイヤーに出会えるなんて」
さくらは、再び鳴海の手を取った。
「ねえ、鳴海。出会っていきなりだけど、お願いがあるんだ」
「お願い?」
両手を強く握る。
「『eインターハイ』に出てほしい!」
「eインターハイ……なんですか、それ?」
「企業が合同で開催してる全国規模の大会だよ。その中の、ファンタジック・オーケストラの女子部門に私たちは出場してるんだ」
「全国の女子高生が出るんですか?」
「そう。私は、東京の海桜高校。明日花は広島の呉工業大学付属高校。高校から三人一組で参加して、チームセッションで競うんだ。八つの地方ブロックで予選をやって、その優勝者八チームが東京のプレイアイランド本社で決勝トーナメントに参加できる。上手い子ばっかりだから、めちゃくちゃ試合はハイレベルだよ」
鳴海はいきなり大海に放り出されたカエルのような気分になった。大会のことなど考えたこともない。
「えと、大会、全国……さくらさんは、東京から来たんですか?」
「うん、私はいろんなとこで音ゲーするのが好きで、全国の都道府県のゲーセンを回ってたんだ。その中でいろんなプレイヤーと出会った。明日花とかね」
連れの、金髪の方を見た。
「でも、最後の県で、君みたいなすごいプレイヤーに会えるなんて、本当に嬉しいよ」
「そんな、私すごくないです」
鳴海は首を横に大きく振るが、さくらはもっと大きく振った。
「いいや、さっきの『Empress on Ice』、びっくりしたよ! あのお邪魔ノーツを取り切れる人は全国でもほとんどいない。それにリトフラ、高スコアは出しやすいけど、難しいイントロとアウトロまでしっかり押せてた。間違いなく、全国クラスのプッシュプレイヤーだ。鳴海はすごい逸材だよ」
「鳴海、めちゃくちゃ褒められてるね!」
唄江が自分のことのように喜んでいる。
鳴海は、はずかしくなった。こんなに褒められることは、人生で初めてかもしれないと思った。
「だから、ぜひともeインターハイに出てほしいんだ」
「私は、家からゲーセンまで一時間半もあります。ゲーセンに来られるのも週一だし、うたちゃんとしかやったことないし、大会があることも今知ったくらいで……そんな私が出ても……」
「だったらなおさらだよ」
さくらは、さらに熱を込めて語る。
「そんな遠くから毎週ゲーセンに来て、ファンオケやるなんて熱意がすごい。それで全国レベルの力を身につけたなんてもっとすごいよ。私は君のプレイを、いろんな人に見せたいと思った。そして君も、いろんな人とプレイして欲しいと思った!」
紙を取り出した。『eインターハイ・ファンタジックオーケストラ女子部門・参加申込書』とある。学校と、三人の名前を書く欄があるだけのシンプルな書類だった。
「ここに参加届けがある。書いてほしい。実は、参加締め切りが今日なんだ!」
どうしても、鳴海を大会に出場させたいらしい。
清々しいくらい押しの強いさくらを前に、鳴海は迷った。
参加届けを、割り込んだ唄江が訝しげに見つめる。
「これ、借金のホショーニンの書類じゃないよね」
「あはは、不安がらなくても、参加取り消しなら後でもできるよ。参加者も後で変えられる。でも参加するとしたら今日だけだ!」
唄江は書類とさくらの顔を、殺人事件の容疑者でもあるが如く、ジロジロ舐め回す。
「三人必要なのかあ」
胸を撫で下ろすさくらをよそに、真面目な顔で唄江は聞いた。
「鳴海、どうする? 出たい?」
「うたちゃんは?」
「鳴海が出るなら一緒に出たい」
唄江ははっきりと言った。
「うたは鳴海に誘われてファンオケ始めたもん。鳴海についてくよ」
「陸上部の練習は」
「気にしなくていいの! 鳴海が出たいかどうかだよ」
鳴海は考えた。
今日、鳴海の日常は大きく揺り動かされた。いつも通りゲーセンに行くだけのつもりが、響姫との対決があり、さくらとの出会いがあり、今こうして大会への出場を進められている。
これは一クレジット目の、一曲目にすぎない。
もしここで出場することを選べば、もっと目まぐるしく動き出すことになるだろう。今よりもっと音ゲーのことを考えるようになるだろうし、多くの出会いや勝負が待っているだろう。
確かに大会に出るのは楽しそうだ。明日花やさくら以外にもたくさんのプレイヤーがいるなら会ってみたい。
でも、ここで出ることを選べば、今までのような唄江と二人で音ゲーをやっているだけの日々には帰れなくなる。それに、メンバーとか、試合の勝敗とか、悩むべきことも多そうだ。
鳴海は、考えた。こんなふうに何かを自分で決めることは、今までになかった気がする。親や先生の言うことに従うだけで、部活もやっていない。高校も家に近いからと言う理由で選んだ。将来の夢も目標も特にない。
こういうとき、どうやって決めたらいいんだろう。
鳴海にはわからなかった。
母の言葉が頭をかすめる。
――ゲームばっかしてたら、ろくな大人になんないわよ。
――あの子みたいになんなさい。もっとちゃんと目標とかをもって、未来のことを考えて。
鳴海はうつむいた。
「私、ろくな大人になれないのかなあ」
「え?」
「わかんない」
ぽつりと唄江にこぼした。
「出たいか、出たくないか、わかんないよ」