宣戦布告
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春が近いとはいえ、やはりまだ陽が伸びたとは言い難い。それほど長い滞在でもなかったはずだが、すでに空は夕暮れに染まりつつあった。
「チッ……!」
「あら……」
馬車の中でも僕の苛立ちと怒りが収まることは無かった。あの無礼な令嬢は一体なんなのだ。三番目とはいえ、僕は王子であり、彼女の婚約者であり、将来の夫だぞ。まさかあそこまで深く、辛辣な皮肉で返してくるとは思わなかった。
だが、それ以上に許せないのは、自分の失言だ。
『……世間では君を死体のようだと嘲笑っているようだが?』
『ええ、実に面白い例えですわ。笑えますわね』
「……くそっ」
頭に血が上ったとはいえ、あれはどう考えても僕が言い過ぎた。彼女が死体のようだって?僕があの屋敷に行った目的は顔合わせであって、世間一般の差別意識を再認識させるためではなかったはずだ。後でちゃんと謝らなければならないだろう。……それにしても。
「あれが死体なものか。あんな……」
あんな、昏くも強い眼力を持つ娘が、まるで死んでいるなどと。どこを見たらそのようなことが言えるのだ。彼女を揶揄する者たちは、そして昨日までの僕は、彼女の何を見てそんなことを言っていたのだ。
「殿下、本当に大丈夫ですか?お加減が優れないご様子ですが」
「いや、本当になんでもない。大丈夫だ」
「そうですか?それにしてもあのご令嬢、中々強烈でしたね。魔力が無くてあれだけの迫力と胆力を持ち併せているなら、もし彼女が一人娘で魔力があったなら、彼女が公爵家を継いでいてもおかしくなかったかもしれませんねえ」
側近の冗談は、もはや冗談の域を超えていた。だが僕も半分同感だ。
「石ころ以下の死体もどき……セーレ・カヴァンナ……か」
退屈で彩られた王城生活。学園生活もその延長だと思っていた僕の中に、期待にも似た不安な気持ちが燻っていた。
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入学式を滞りなく終えた私は、お手洗いを済ませた後で教室のドアを開けて中に入った。気品よく静かに開けたつもりだったが、私の姿を認めた瞬間教室に緊張が走る。理由は明白。教室で口喧しくおしゃべりしていたのは、かつて私に対して陰口を叩いた子供達だったからだ。
「ご機嫌麗しゅうございます、皆さん」
「………っ」
わかりやすい沈黙だわ。怖いのよね、死体もどきの私が動いているのが。でも公爵令嬢相手にその態度、学園で通用すると思っているのだとしたらお笑いだわ。
そう内心では鼻で笑いつつ、突き刺さる目線を無視して事前に指定されていた机に座ろうとした時。
「ご機嫌よう、セーレ嬢」
「うひっ!?」
あまりにも気安く、当たり前と言わんばかりに真後ろから声を掛けられた。ぎょっとして振り向くと、そこにはなんとファブリス第三王子殿下がいた。なんてこと、同じ教室だったのね……。
「一緒の教室なだけでなく、こうして席も近いとは。なんだか運命じみたものを感じますね」
まるで内心を読んでいるかのようだ。そんなに私は顔に出やすいのだろうか。……でも今回に関してはありありと出ていたかもしれない。完全に油断していたわ……。
「……え、っと、ご機嫌麗しゅうございます、殿下。今日から3年間、よろしくお願い申し上げます」
「ん?はははっ!固いですよ、セーレ嬢。確かに僕らは婚約者同士だけど、ここでは同級生に過ぎません。お互い気楽に過ごしましょう」
ニコニコと親し気にしつつ、婚約者同士という文面だけ強調する辺り流石と言うべきだわ。教室の中のどよめきが大きくなり、内緒話が始まった。今ので周囲の人間は、私に手を出しにくくなったに違いない。
私を護るため……というより王家の体面を守る為だろうけども、それでもありがたい。嫌われるのには慣れているが、面倒事を楽しむ趣味はない。
「ええ、良い学園生活にしましょうね、殿下」
「そうしましょう、セーレ」
殿下の目は笑っていない。もちろん私の目もそうでしょうね。
「お待たせいたしました。皆さん、席に着いてください」
ちょうど挨拶が一区切りというところで、この教室の担任が入ってきた。長身瘦躯の青年だが、くたびれた制服を着ている辺り、教師を始めてから結構長いのかもしれない。入学式の日にくたびれた服を着ているのもどうかと思うが。
「皆さま、ご入学おめでとうございます。皆さまの担任を務めるアシルと申します。今日から3年間、よろしくお願いいたします」
意外と丁寧な挨拶だ。学園の教師の中には生徒に対して「おい」とか「お前ら」と言った扱いをする者もいると聞いたが、どうやら腰の低い人に当たったらしい。こういう人ほど高位貴族の系譜だったりするのよね。
「さて、では簡単に自己紹介をして頂きましょうか。名前と地位、得意属性、得意な魔法を言ってください」
ああ、魔法。そうか、魔法を使えることが前提だったわね。さて、どうしたものか……。
「カ、カロリーヌと申します。オフレ子爵の娘、です。得意属性は水と地で……と、得意な魔法は、ありません……」
へえ、魔法第一主義と言ってもいいこの国の学園で、得意な魔法が無い娘なんているのね。よほど魔力量に恵まれているのかしら?
「ドロテ・バルテル、平民です!得意属性は光と火で、得意魔法は治癒魔法です!」
教室内にざわめきが起こった。実際、私もちょっと驚いた。この学園は確かに平民も入学できるが、授業料がかなりの額なので平民には結構敷居が高い。授業料免除の特待生がいるとは聞いていたが、彼女がそうか。
いや、それよりも。たしかその得意属性は――。
「……ファブリス・フォン・アンスランです。第三王子ですが、ここでは王族ではなく貴族子息として扱ってください。得意属性は光と火、得意魔法は……破壊と治癒です」
そう、思いっきり第三王子と丸かぶりだ。伝説の勇者と、その伴侶であった賢者が得意としていた光魔法と火魔法、それを両方継承するのは勇者か賢者の血を引く者のみとされているが。
ドロテ……あの子もその血縁、ということか?だとすれば、王族の血を引いていてもおかしくないけども、果たして。
「次はあなたですよ、セーレ」
……あ、そうだった。はてさて、どう自己紹介したものか。
「セーレ君?」
うーん……取り繕っても仕方ないか。ありのまま言おう。
「セーレ・カヴァンナ。魔法戦士の名家と名高い、カヴァンナ公爵の長女です。得意属性は無し。得意魔法も無し。そもそも魔力が一切無いので魔法は全く使えません。体が金属で出来ているのかもしれませんね?」
事情を知らない者の困惑と、死体もどきの自傷行為に対する嘲笑が広がった。クスクスと不快な息遣いが聞こえてくる。だが私は入学する前に決めていた事があるのだ。今のうちに嗤っているがいい。
「――ただし、魔法と魔力の知識であれば、この場にいる誰よりも詳しいと断言できます。そして卒業までには先生よりも詳しくなるつもりでいます。なにせ自分が持っていない物や、知らない事に興味を惹かれる性格ですので。皆さま、よろしくお願いいたします」
嘲笑の中に憎悪が混じり、驚愕の中に関心が宿る。私に対して良くも悪くも注目が集まったわね。これで敵意にしても善意にしても分かりやすくなるだろう。
そう、これは死体もどきからあなた達への宣戦布告だ。魔法が使えない死体もどきよりも成績で劣ればどう見られるか、よく思い知ることね。
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セーレの挑発によって締めくくられた自己紹介。今日は入学式と自己紹介、そして教科書の配布といった手続きだけで一日が終わった。本格的な授業の開始は明日からとなる。
王城と学園との往復は、馬車を使うことにしていた。本来なら僕の仮眠時間に充てたいところなのだが、ちょっと予定を変える必要があるだろう。
「……あの、どうして私を屋敷まで乗せてくださるのですか?」
「僕の婚約者に悪い虫が付かないようにするためですよ。可能な限り、送り迎えは僕がやります」
今日のセーレの自己紹介を見て、この娘が何を考えているのか益々分からなくなってしまった。別に何も知らなくてもいずれ結婚するのだが、学園でも3年間一緒に過ごすというのに動向が読めなさすぎるのも困る。登下校の時間を使って、少しずつ探る必要があるだろう。
特に今日の自己紹介はその極地だ。
「ところで、どうしてあの自己紹介の場で、魔力が一切無いことを明かしてしまったのですか?適当に誤魔化してもよかったのでは?」
ただでさえ第一、第二を飛ばした第三王子との婚約ということで、あらぬ噂が立ちそうなのだ。王族の中に魔法不能者がいるとは何事だ、という政治的な批判を浴びることにもなりかねない。あまり多くの人間に魔法不能者であることを明かされるのは困る。
「王族の婚約者が魔法不能者では体裁が悪い。そうお考えなのですね」
「っ!」
……っ、本当にハッキリと言う娘だな。
「尤もな心配ではありますが、同時に無用な心配でもあります。あの教室の中の半数は、幼少期に私のことを魔法不能者だと嗤っていた連中です。ならば彼らの口から、残り半数の生徒に悪し様な印象を植え付けられる前に、自ら明かしてしまった方がマシな印象となるでしょう?」
つまりは政治的な判断をしたというのか?入学式初日の、しかも自己紹介の場で瞬時に判断したと?
「……それはまあ、その通りかもしれませんが。しかしその後の、魔法の知識については――」
「あれは事実ですから。学生と研究者を同列に並べてはいけません」
僕の目の前でぴしゃりと言ってのける豪胆さに思わず鼻白んだ。この娘、怖いものはないのか?一応僕も、その学生の一人に入るわけだが。
「研究者と来ましたか……では、魔法教練でもさぞ良い成績を出してくれるのでしょうね」
「ええ。流石に魔力を必要とする演習では見学になると思いますが……実戦形式での演習では、殿下も含めて全員を倒せる自信がありますわよ」
「魔法抜きで、ですか?」
「ええ。私には魔法など必要ありませんから」
……中々言ってくれる。面白いじゃないか。
「言ったからには実行してもらいますよ。セーレ・カヴァンナ公爵令嬢殿」
「もちろんです。お楽しみに、殿下」
不敵に笑う公爵令嬢からは、魔力が無いにも関わらず何かしらの圧が感じられた。
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この馬車には絶対に同乗したくない。