死体と呼ばれた少女
短期連載の予定です。
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「きゃあー!」
学園の食堂でランチを持ち運んでいた女子生徒の一人が私の横で転倒した。助け起こそうとしたが、それは即座に払われてしまう。
「いやあ!ごめんなさい!許してください!私を叩かないでえ!!」
恐怖に震える女子生徒に対する同情と、私に対する非難の目が集中する。しかし、私が"セーレ"であることを認識した瞬間、その目線の意味するものは急変した。非難だけではなく、嫌悪と、恐怖の色に染まっていく。少なくとも公爵令嬢に向けられるものではない。得体の知れない怪物を見る目だ。
「なんの騒ぎだい?」
その有象無象が割れたかと思えば、一人の美男子が現れた。金髪碧眼にして、完璧な容姿を持つ若き第三王子だ。
「セーレ。これは一体どういう事かな?」
「殿下……」
「ファブリス様!私、ずっとセーレ様に虐められていたんです!私がファブリス様と同じ、光と火の属性を得意とするのは生意気だと!」
「……説明してもらえるか、セーレ。彼女の言っていることは本当か」
そして、目の前で私を射抜く力強い目に込められたものは――。
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「おお……!生まれたか!よく頑張ったな、ジネット!」
「ええ、あなた……かわいいかわいい女の子よ……」
私が生まれた時、両親は確かに私の誕生を祝福してくれたらしい。既に跡取り候補となる兄が生まれていたから、私は男でも女でも、どっちでも良かったのだとか。
私はきっと幸運だったに違いない。公爵家の令嬢として生まれた時点で、私が不幸であるはずがないのだから。
「おお……!ジネットに似て美人ではないか!」
「ふふっ、きっとあなたが父だからですわ。ねえ、この子のお名前は……?」
「ああ、決めてあるとも!お前の名前は、セレスティーヌ!セレスティーヌ・カヴァンナだ!」
セレスティーヌ。それは公爵家の歴史上、最も魔法の扱いに長けていた女傑の名前だった。
でも……その名前が公爵家にとって、最大の皮肉になってしまうなんて。
「ローラ・サンジェ。さあ、その水晶に手をかざしなさい」
「はいっ!……わあ、きれい!」
水晶が赤く光り輝き、周囲の大人たちが拍手をもって祝福している。ローラ・サンジェという名の童女が、火属性に対して潜在的に高い適性を持っていることが判明したからだ。
転機は私が5歳になった頃に訪れた。魔宝珠ミロワールクリスタルによる洗礼の儀式……このアンスラン王国における、子供の魔力属性を診断する儀式だ。全国民の属性は、ほぼ例外なくこの魔宝珠によって明かされてきた。
その会場である城内が、今はざわめきで満たされている。何故なら一人、また一人と魔宝珠に触れていく中、最後の一人となった私がいつまでも魔宝珠を輝かせなかったから。
「どうした、セレスティーヌ。魔力を込めろ。手に全身の熱を集めるイメージで触ればいいだけだぞ……!?」
力を込めて水晶に触る。体温が奪われて手が冷たくなっていく。でも、輝かない。全く光らなかった。魔宝珠は魔力が無いものに触れても反応しない。
「そんな……!?」
「こんなこと、ありえるのか……!?ま、まさか……!?」
魔力は石ころや葉っぱにさえ宿っている。例外的に魔力が一切無いもので、一番代表的なものは金属。そして他に考えられるものがあるとしたら――
――死体くらいだ。
「きゃああああーー!!!」
魔力無き者は命なき者。世の常識が目の前で打ち破られたことで、城内は貴婦人と子供達による絶叫と泣き声に支配された。警備していた騎士達は銀の剣を抜き、私を取り囲んだ。
その後のことは覚えていない。びっくりして、ただ恐怖のあまりに泣き叫んでいた私は、気が付けば屋敷に帰ってきていた。
「魔力が無いとはどういう事だ!!主治医は一言もそのようなことは言ってなかったではないか!!」
「落ち着いてください閣下」
「これが落ち着いてなどいられるか!!では……ではあの子は魔法が使えぬということか!?偉大なる魔術師を輩出してきた我がカヴァンナ家に魔法不能者が出たなどと、そのようなことがあって良いものか!!」
「……閣下、事はもっと重大です。セレスティーヌ様は、魔法が使えるだけの魔力が無いのではありません。魔力が一切、欠片も無いのです。生物が水を飲まねば生きられないように、四肢も、心臓も、魔力無しで動くなどありえません。それはアンデッドでさえ例外では無いのです」
「では……あれは死体も同然でありながら、動いているとでも……!?」
その日から……私はセレスティーヌと呼ばれなくなった。
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『セーレよ。お前は魔法不能者なのだから無理をするな』
『ごめんなさい、セーレ……私が、あなたをまともに産まなかったから……!』
『魔力が無いことを言い訳にするな!立て、セーレ!あいつらを見返してやるんだろう!?』
あの忌まわしい洗礼の儀式から10年の時が経とうとしている。
魔法不能者。
無能。
石ころ以下の死体もどき。
お茶会では陰でそう呼ばれ、表面上は私に話題を振られることすらなかった。公爵家の令嬢でありながら、私は幼少期を苛められて育ったのだ。幸い家族からは何も嫌がらせを受けなかったが、魔法不能者扱いであることに変わりはなく、それが却って私を惨めにさせた。
「ああ、そこにいたか。セーレ、父上が呼んでいるぞ」
長兄エクトルからお声が掛かった。あの日から、私は家族からはセーレと呼ばれている。本名であるはずのセレスティーヌと呼ぶのに相応しくないからだろう。
「あら、珍しいこともありますわね」
「もうすぐ学園生活が始まるだろう。その前に話しておくことがあるんじゃないのか」
お小言かしら?まあ、言われることと言えば、「精々死体と間違えられるな」とかその辺でしょうね。名門カヴァンナ一家の恥部ですから、私は。
「わかりましたわ。すぐに向かいます」
「急げよ」
兄上はそれだけ言うと、忙しそうに自室へ入っていった。跡取り候補の筆頭ですし、実際に忙しいのでしょうね。私もお手伝いできたら良かったのだけど、誰かに手伝ってもらう類の仕事ではないのだとか。残念だわ。
私は一人肩をすくめると、父上の執務室をノックした。
「父上。セーレです」
「入れ」
ドアを開ければ、広々とした執務室の壁を覆うように、高い本棚がずらりと並んでいるのが見えた。本当、いつみても壮観だわ。
本に囲まれたこの部屋が、私は好きだった。今でも好きだ。幼い頃は何を読んでも全くわからず、その全然わからないのが面白かったものだ。自分にはわからない、知らない物があることが知れるのはとても楽しいものだ。
「セーレ、来週から学園生活が始まるだろう。その前にお前に対する誤解を解いておきたくてな」
「誤解?なんの話でございましょう」
「自分に価値が無いと、そう考えていないか?」
……この家にとって価値があるとでも?
「愛されるに値しないとは思っていますわ」
銀の剣を向けられ、路地裏から石を投げつけられるのには値するだろうけども。
「やはりな。いいかセーレ、私達はお前を特別扱いしなかった。魔法が使えないお前を、魔法不能者として平等に接したつもりだ。だが学園ではもっと苛烈な環境に置かれることになるだろう。味方を作り、隙を見せぬようにな」
……失笑すらも浮かばないわ。私は魔法不能者として扱ってほしいだなんて一言も言ってない。ただ家族として、魔力の有無なんて関係なく、一人の女の子として育ちたかった。いじめられた事を相談できるだけの、家族との距離が欲しかっただけなのに。まあ、兄上だけはそうしてくれていたけれど。
父上はあれで今まで愛してたと言うの?だとしたら随分と不器用で、大人向けの愛情だったのでしょうね。
「お話はそれだけですか?」
「いや、もう一つ。お前の婚約者についてだ」
え、それは初耳だわ。
「私、結婚するんですか?」
「当たり前だ。お相手はファブリス・フォン・アンスラン第三王子殿下となる。王家には王女がおらず、エクトルとユベールが婚姻による結び付きを得られないからな。お前が選ばれたのだ」
これは……流石に笑うしかないわ。名家とはいえ魔法不能者を充てがわれた第三王子殿下が実に不憫ね。きっと内心、面白くないことでしょう。しかも第三王子ということは、第一、第二は拒否したってことでしょうし。
「学園が始まる前に顔合わせをする。失礼の無いようにな」
失礼の無いように、ねぇ……。私の存在自体が失礼そのものとしか思えないのだけど、流石にそれを言うのは親不孝過ぎるわね。
「承知しました。カヴァンナ家の栄名を損なわぬよう、最大の努力を致します」
父上の表情が固まったのは、私の言葉を皮肉と受け取ったからか、それとも魔力も無いのに動く私が気味悪かったからか。どちらなのかしら。
どうして私は、どちらなのかわからないのかしらね、父上?
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