訪問者
正確に何が起きたのかはテオも把握していない。
ことが起こったのは、テオがナラバ博士に呼び出されたあの日だった。
あんなに急かしたくせに、博士はあの日、残った時間を仮眠室でテオとツクモが一緒にいるのを眺めることだけに全部使ってしまった。
なにかしらの記録をつけるようなこともしなければ、思考力を試すペーパーテスト、質疑の類いも無かった。
『どうだい、ツクモは可愛いだろう?』と、テオに聞いてくるから、相づちを打ったら『そうだろう、そうだろう』と嬉しそうにしたり、『テオ君はどうだい? 前にも言ったとおり優しそうな子だろう?』とツクモに問いかけ、単調な返事を返されてはまた嬉しそうにしていた。
まるで、『おままごと』だと、テオは思っていた。
博士はテオにツクモと家族になれと言った。だから博士が自らそれを促そうとしたのかもしれない。その意図がうまくいったかは疑わしい。
だって、博士のレクリエーションから解放されたテオは、ツクモへの興味や親愛よりも、よっぽど『うんざり』の方が大きくなっていたから。
夕日はもうほとんど隠れてしまい、名残惜しむような天然の赤光が、発光塗料が塗布された縁石と道路と街灯に光る街の遙かに頼りなく一条あった。
テオは無心に努めて来た道を戻っていた。
降って湧いたツクモと言う負債のことを、とにかく今は考えたくなかった。
公園に足を踏み入れる。
くずかごの張り替えをしていたデブリはもういない。
その思考を認めて苦い顔になった。
デブリのことなど、どうでもいいはずなのに!
もちろん連鎖して、知り合ったばかりの最も印象深いデブリのことまで頭に浮かんでしまった。
「……なにが家族だよ」
施設に入ったときに、テオの両親は親権を国に委譲した。そうしなければ『国保枠』が空かないからだ。
現代の福祉サービスは充実している。
教育、病気、その他、健全、健康な生活を営みに必要なサービスが国に保証されている。
ただし、それは、一家族四人の枠内でのみの保証だ。
夫妻と子供二人。
もし、三人目の子供を生んだ場合、公共施設の利用にかかる費用を国は負担しない。よっぽどの金持ちでも無い限り、その莫大な費用払い続けることは不可能だ。
戸籍はつくるから、もちろんその子供も国の財産となるわけだけれども。
通常、親権の委譲には厳しい監査の通過が必要になるが、『自壊衝動精神疾患』の患者は特別保護法の制定により国への親権の委譲が任意で可能だ。
ちなみに、患者が症状から回復した場合、親権を取り戻すか通知が届くはずだが、テオの両親は迎えには来なかった。
そんなテオにとって家族なんて、『いまさら』なのだ。
博士の言うこともしっくりこない。
『愛情を根拠にした無償の関係』こそが家族の正しい形だというのならば、この世界に『正しい家族』がどれだけいるだろう。
テオの通っている学校には、三年以上、リモート以外で家族と会ってないと言う生徒が何人もいる。彼らはみんなトラブルは国が解決してくれるし、会う必要が無いと言っていた。彼らは両親と手を繋ぐことも同じテーブルに座ることも求めてはいない。
リアルの家族はそんな物だ。博士の言うそれはフィクションでしかない。
「はあ……」
肺が空っぽになるくらい深いため息。
億劫だ、明日の学校はリモート出席にしよう。どのみち懐古主義の博士のもとへはこの足で歩いていくことになるのだけれど。
せっかく吸ったそばから、空気を吐き出そうとして――
どどう
――息を呑んだ。
都市部からずっと昔に剥離されたはずの、乱暴的な重低音。
甲高い硬質が弾ける音が幾重にも響く。
絶対安全をこれまで脅かされることなく生活してきた人々は、誰一人声を上げることはなかった。
テオも漏れなくその木偶の一人だ。
まだ耳元になっているようにリフレインする音。バクバクと鳴る心臓の鼓動。不自然に静まりかえった街。
人生に突如として降りかかったそれを、『危険』と理解することも出来ず、テオはそろりと振り向く。
そこにあったのは、赫光に染まる空。
原始的で、破壊的で、極めて圧倒的な景色。
炎とは、こうであったか。
燵つ黒煙をもうもうと夜に捧げ、人工灯とは似ても似つかない光で煌々と主張する。
人に飼い慣らされない本来の赫奕とはかくも恐ろしい物だったのか。
魅せられたようにテオはその巨大な熱の元へと歩きだした。
リングデバイスが自動的に緊急モードへと切り替わり、その場から即座に離れるように誘導アナウンスが流れる。
テオは無視して誘導に逆走した。
すっかり覚えた順路を足が勝手に選んで歩いて行く。途中ですれ違った何人かが、流し目をくれたが、引き留められはしなかった。
(ああ、やっぱり)
いよいよ辿り着いたその場所で、テオは思う。
燃えていたのはテオが数分前まで居た施設だった。
呆然と眺める空から、プツンと夕日が残した一条が消えたのをテオは見た。




