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二人の境界


 くぅおぉん くぅおぉん


 凍り付いた飛沫が舞う氷霧の世界に固い音が響く。

 厚手の手袋越しの感覚はとっくに寒さで鈍くなっていた。


「ふぅ、ふぅ」

 吐息がマフラーの縫い目を抜けて、白がたなびく。


 腕を上げて下ろす、上げて、下ろす。


 一面真っ白の世界で、ひたすら作業を繰り返す。

 甲板に張り付いた氷を剥がす作業に、没頭する。


 これが、大人になったテオが就いた仕事だった。




 テオが学業を修めてから十五年余り、博士が宣言した通り、組織はテオとツクモの周りから成りを潜め、接触してくることは一度も無かった。


 世界の様相は様変わりした。

 雪が年中どこでも観測されるようになり、空は常に灰色に濁っている。


 世界は凍り付いていた。


 都市空調の管理のために蒔かれる保温粒子が原因だ。

 理論上では散布後は分解するはずだった粒子は執拗な希望温度の調整により、大気に堆積した。


 太陽光を遮ったことで地表温度は低下し続けていたが、それに気づかず、粒子の散布量を増やしたことで、粒子は積層し続け、分厚くなっていった。

 現在、保温粒子の散布は禁止されているが、完全に層が分解されるには数百年以上の歳月が必要だと目されている。


 都市の許容できる人口は大きく減衰し、かねてから地球人口問題を解決するために研究されていたフロンティアプロジェクトが脚光を浴びることになる。


 そのなかでも実現が現実的と判断され、注力されたのが『自立完結型海中都市(アクアミッドポリス)』である。


 地球の陸地は三〇パーセントにも満たない。比べて海洋面積は広大だ、水深は一〇〇〇〇メートル以上が観測されている。

 このフロンティアに新たな人の居住区画を建築する。


 政府はさもこの新天地が素晴らしい物であると宣伝した。


 新築。

 地上と違い、凍えなくてもいい住居。

 衣食住を地上に一切依存しいないことで、全てが速やかに滞りなく行き届く生活、と。


 詭弁だ。

 これは、()()なのだ。


 政府は隠しているが、実験に振り回され、真実を覗いたことのあるテオにはすぐに分かった。かつて博士が言かけた言葉が、現実になりつつある。


 他者に対して不感になった、いまの人類に物理世界をどうにでも出来てしまう力を与えても――


 ――破壊にしか使えない。


 モニターのキャスターが不可解な現象ついて喋ることが増えた。

 完全に隠ぺい出来ないからゴシップにして誤魔化しているが、これらはツクモのサウンドによって自我を保ちながら高次知覚能力を獲得しつつある人類が引き起こしたものだろう。

 

 政府は進化の未熟な人間を選んで海中に隠すつもりなのだ。いずれ世界を滅ぼすであろう進化した人類が気付きにくい、光のない闇の底へ、深くへと。

 迷った末に、とある事件がテオに移住希望の応募を決心させた。


 何気なく見ていたモニターで、突然、コメンタリーが血を噴いた。


 放送はすぐに中断されたし、AIが検閲したが、タイムリーな書き込みまでは消せない。一時はその話題で持ちきりだった。


 間違いない、進化した人類(Lux Animus)の仕業だ。


 コメンタリーを視聴する不特定多数の中にいた進化した個体が、つまらないから、面白くないから、そんな、ありふれた感情でコメンタリーの情報に干渉したのだ。


 力を制御した意図的な干渉では無かったのかもしれない。だけれど、そんなことを仕出かす脅威が隣にいるかもしれない世界になった、それを認ざるを得ない体験だった。


 あっさりと申請は受理され、テオとツクモは海中都市を建造する人工島(メガフロート)へ移住した。

 敷地面積と耐久重量の関係で、人工島には必要不可欠な機器以外を持ち込む余裕は無い。本来ドローンを用いれば良いはずの簡単な仕事も、島に移住した人間の仕事として宛がわれた。

 テオが従事しているこの甲板に張り付いている氷の掘削作業もその一つだ。


 それは、学生だったテオが散々将来に憂鬱を感じていた機械でも出来る仕事であり、同時に、この島に住む人間だからこそ与えられる特別な仕事でもあった。


 安全な海中へ避難するためには、仕事に従事しなければならない。

 『自立完結型海中都市』は既に何棟か建造され、運用されているが、一般居住スペースはまだまだ限られている。

 順番を待って島に居住し続けるためには仕事を続けなければならない。


 この仕事によって、大切な家族を安全にしてやれる。だったらこの単調な仕事にも踏ん張る価値はある。


「ふう、ふっ!」

 腕を振り上げて、下ろす。

 寒さで震えそうになる身体を奮い立たせて、腕を振り上げ、氷を割り続ける。


 RUU-RU-RU-RU―


 終業のサイレンだ。

 このサイレンにも、やはりツクモの声が混じっているのだろう。

「はあぁ」

 披露で気怠く重い身体を引きずりながら、テオは汗を拭い、居住区画へと歩き出した。

 


「ただいま」

 この帰宅の合図を習慣にしたのはとあるヴィンテージビデオを二人並んで見てからだった。


「おかえり、テオ」

 キッチンで料理をしていた彼女が振り向く。

 真っ白い髪、赤い瞳、ツクモ。

 あいも変わらず、彼女は少女のままだ。


「今日は?」

「おにく、頑張ってるからって、大きいのくれた」

「でかした!」

 着がえながら我が家の台所の調達隊長を激励する。

「テオは?」

「変わらずさ、氷を割ったり、建設を手伝ったり、あといろいろ雑用」

「ご苦労さま」


 のびをするとバキリと腕と背骨が鳴った。

 姿見に映る自分はもう立派な大人だった。

 顎と頬には髭が生えているし、毎日の就労のおかげで筋肉質で大きな身体へと成長した。


「何見てるの?」

 ぴょんと、背中からツクモが飛び出る。

「イケメンになったなって」

「なにそれ?」

 ぱしんと、肩を叩いてツクモはキッチンに戻ってしまった。


 小さな、幼い背中。

「こっちばっかりだな」

 ため息を吐く。

 最近、ご近所さんに言われた言葉が耳から離れない。


 『豆に働いて、良い娘さんですね』


「そりゃ、そうだよな」

 テオばかりが大きくなって、彼女はずっと変わらない。気にしないようにしたって、もうその背丈の差は無視できないほどに開いてしまった。


 最近、よく考えるのだ、自分はいつまでツクモと居られるのだろう、と。

 そして、恐ろしくなる。

 テオが居なくなった後、ツクモはどうなる?

 叶うなら彼女と永遠に、なんて過ぎた願いだ。テオはただの人間だからこそ彼女と出会えたのだから。


「ご飯できたよ、モテモテさん」

 成人すると、デヴァイスにマッチング通知が届くようになる。

 こんな人があなたの同年代に居ます。

 こんな生活スタイルの人に興味はありませんか?

 返信を返すと相手にも通知が行って合意があれば二人は晴れて恋人関係というわけだ。

 テオは全部キャンセルした(蹴った)。そしたら通知は来なくなって、そのままになった。


「いらないから断ったんだ」

 強がりじゃ無い。

 これ以上のしがらみは十分だ。

 テオの両手は、この小生意気に育った小娘の面倒で塞がっている。


「わたしはいても良いと思うけどな。恋人」

 またこいつは何を言い出したのだろう。

「だって、テオはけっこうテキトウだから」

 食事が盛られたテーブルから彼女が指すのはテオが脱ぎ散らかした衣服だった。

「まとめてかたづけるんだ」

 一枚ずつ拾って、まとめてフックに投げた。

 それをツクモはイヤそうに見ていたが、そんなことよりも腹が減った。


 カトラリーを握って、肉にかぶりつく。

「あちちっ」

 垂れそうなった汁気を指で拭う。

「お行儀!」

「へいへい」

 自分は垂れ流しだったくせに、よくも言うようなったものだ。

 ツクモは納得いっていないようで、「もう!」と唇を尖らせていたが、テオががっつくのを見ると、諦めて自分のカトラリーを動かし始めた。


「ねえ、三つ隣の女の人覚えてる? お仕事で一緒に話してね、テオのこと気にしてたみたい、奥さんはどうしてるの? だって」

「まだ続いていたのか。いらないよ、だいたい、今からオーケーなんてしたら相手だって迷惑だ。付き合った次の日にサヨナラなんて、それこそあんまりだろう」


 かたり。

 ツクモがカトラリーを止めて、首を傾ぐ。


「どういうこと?」

「キャンセルが出た。繰り上がって明後日の便で下に降りれることになった」

「えっ……」

「準備は明日中だぞ。僕も明日は仕事を午前中で切り上げてさせてもらう」

「聞いてない!」

「僕だって今日聞かされた」

 テーブルを叩くから、意趣返しに「おぎょーぎ」と注意してやる。


「きいてないよ、そんな突然……」

「ごねてないで食えよ。だいたい変わらないさ、明日も三ヶ月先も、この部屋も家電も支給された物だ。私物なんて、鞄一つで纏まるさ、三十分も必要ない」

「だって……」

 まだごねようとするから、テオはシビれを切らして強く言った。


「喜べよ、安地へいけるんだぞ、それも予定より早く。地上はもうおしまいだ。いつどこで殺されるか分かった物じゃ無い。生きていくためにはもう下に行くしか無いんだぞ」

「でも……」

「でもだってばかりだ。昔のお前の方がまだ聞き分けが良かったよ!」


 しんと、空気が冷える。

 歳をとった分、テオも怒りやすくなったのかもしれない。

 カトラリーを弄びながら、テオは「あー」と言葉を探した。


「……悪かった。昔のが良かったなんて、そんなこと思ってないから」

「分かってるよ、それくらい」

 静かに返したツクモがカトラリーを動かし始めたのを見て、テオも食事を再開した。


 その日はそれきり口を利かなかった。

 翌日になって、テオは「準備をちゃんとしとけよ」とだけ言って家を出た。


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