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対談 4

 

 RU-RURU RU-RURU

 

 聞き心地が良いトーンに調律された、旋律。


「始まったようだ」

 博士が時計を見ながら頷く。


「これは?」

「表向きにとはいえ、進化を病気と評したのなら、さながら、この音はワクチンと言ったところかな。この旋律にはテオ君との接触で物理世界に自我を目覚めさせたツクモの声が織り込まれている。今後、世界中のデヴァイスを始めとした全ての機器は、このワクチンサウンドを放送する。この音に導かれて高次情報世界を漂う精神は物理世界へと辿り着く。『自壊衝動精神疾患』と診断された者たちも物理世界を自覚して目覚めていくことだろう」

「それじゃあ、人の進化は中断されるんですか?」

「それは無理だよ。生命の進化は超自然的なものだ。人の手で止められる物ではない。環境が大きく変わらない限り、今後の世代の精神の依り代は光へと移行していくことだろう。このサウンドは延命措置だ。彼らの興味を惹くことで、知覚する情報をより物理側のものにピックアップさせる。空いた演算の余地に自我を充てさせて肉体を認識すれば、自傷衝動は抑制されるだろう。もう暫くの間、人類は生物を続けられる」


 博士の傾けたカップがテーブルに戻ると、もう、そこに中身は入っていなかった。

 やりきったと言わんばかりに、博士は背もたれに深く身体を預けたのだ。


 テオは釈然としなかった。

 博士ほどの人が取りかかってそれまでが、いっぱいいっぱいだったのなら、きっと本当にそこまでが限界なのだろう。


 だけれども……。

 ぶすっとしているテオを見つけ、博士は深く息を吐くと、再び口を開いた。


「……私はね、この進化は遅すぎたと思っている。いや、人類の急速な躍進が摂理を追いてけぼりにしてしまったと言う方が適切かもしれない。あともう何世代か早くに今の段階に到達していれば面倒にはならなかった。世界中がテオくんとツクモのようにお互いに心を通い会わせて、新たに拓かれる高次情報世界との擦り合わせが出来ただろう。今の人類にそんな力を与えたとしても、きっと……」

 言いかけて、博士は「いや」と首を振った。


「本当に出来ないんでしょうか。いまからじゃあ、本当に間に合わないんでしょうか」


 これから先に目覚めていく人たちが、ツクモのように他者を求めることが出来たら、またその後の世代に生まれてくる者たちが伸ばす手を取ってやることが出来たなら、人と人とは円環となり、荒波のように莫大な情報の中にだってコミュニティを作ることが出来るかもしれない。

 だって、ツクモがテオの中の光に触れてきた様に、彼らの能力は、より深く相手の心に触れることが出来るのだから。


「おにいちゃん」

 振り向く。

 そこには久方に見る、真白い髪と肌の少女が立っていた。

 ああ、やっぱり彼女の姿は変わらない。


「……ツクモ」

 呼んでやると、彼女はその容姿のなかで際立つ赤い瞳を絞るようにくしゃりとして、次にはテオに飛びついてきた。


「お、わわ……」

 彼女はこんな感情表現をする娘だったか? 久しぶりすぎてテオの感覚がズレているだけなのだろうか。


「あいたいって、おもってた」

 そんなことを言われて、今度こそ面食らった。

 そっか、そうか、時間は経っているんだ。その間にも彼女は心を育てていたんだ。


「ありがとう、ボクもだよ」

 あの日々でやって上げてたように、梳くように髪を撫でつける。


「やっぱり君たちを会わせて間違いなかった」

 博士が眩しそうに二人が触れ合う景色を眺めて言う。


「テオ君、ツクモ、何度でも言おう。君たち二人が私にとって、最も重要だよ。だから、行くと良い。実験は終わった、これからも監視は続くと思うが組織に付き合わされることはないだろう。これから目まぐるしく変遷していく世界を見守ることに手がいっぱいになるだろうから。なにより、私がさせない。生活はこれまで通りに行くようにしてある。マンションの部屋も使えるし、毎月の支給もテオくんが成人するまで滞りなく振り込まれる。研究はもう、終わったんだ」

 椅子から立ち上がらないまま、博士は出口を指した。


 もしかして、博士が研究を終わらせたかったのは……、


「あのっ! 博士は?」

「……ありがとう、テオ君。だけど私もね、組織の人間だよ」

 眉根を寄せて、照れくさそうに博士は言う。


「余興は終わり。演者の妖精は空気に霞んできえていく。薄く寒い空気に、なんてね」

 満足そうに、博士は言うのだ。


 初めて見る、清々しい、好々爺とした笑顔で、博士はテオ達を見送る。

 これから先、もう二度と博士に会うことは無いのだろう。

 だから、テオは、最後の最後まで胸の奥で出し渋っていた言葉を伝えた。


「博士、ありがとうございました」


 ツクモの手を握り、博士に背を向けて、テオは部屋を出た。



 

 外にいた案内に従って乗り込んだ窓の無い輸送車の中でツクモと一緒に揺られること長らく、博士の言うとおり、本当にあっさりとマンションの前に戻ってこれた。


 どこで見たのだったか、ふと思い出す。

 子供とは、車の後部座席で眠ることが出来ることだ、と。

 苦労事は前でハンドルを握る人が引き受けてくれて、自分はそれに気づこうともしない権利が無条件で手に入る。


 どんなに大きな敵を相手にしても、無条件で助けてくれる存在が、テオにも確かにいたのだ。


「……」

 呼びそうになって、テオは口を噤む。

 上を見た。


「おにいちゃん」

「……うん、帰ろうツクモ」

 家へ、帰ろう。

 

 二人は手を繋いだまま、揃って歩みを進めだした。


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