対談 3
喉の渇きを覚えたが、手元のコーヒーは入っていきそうになかった。
博士の所属する組織に規模は異常だ。少なくとも社会、国が後ろ楯に控えていなければおかしいレベルである。そうでないと情報が国に掌握されている現代社会で、これほどの活動が可能な説明がつかない。
疑問だったのは、どうして国が人を殺しまくるイカレた研究を擁しているのかということだったが、なるほど、全人類規模の差し迫った課題を相手にしていたと思えば、理由には十分だ。
「組織はこの宿題をどうにかやっつけるために頭を捻りつづけた。そんな時に現れたのがツクモだった。彼女は都合が良すぎるほどに不完全だった。ほかの個体と同じように自失状態ではあったが、彼女は物理世界に僅かだが意思を向けていた。さらに、他者への興味を持ち、接触さえ求めていた。闇の中で手探りをするように、この物理世界から『声』を使い、揺らぎによる情報のさざ波を頼りにね」
博士は患者が情報の中で導も無しに自我を保つことは不可能だと言った。組織はツクモを『導』に使うことを考えついたのだ。
「どうして患者達は死ななくてはならなかったんですか。言ってることがやっぱり変だ。ツクモに患者達に呼びかける力があるのはボクだって分かっています。そして、ボクの見ている前で患者達はツクモに確かに応えようとしていた。これって、あなた達が望んだことでしょう? いけないことなんですか? それならどうしてツクモと患者達をわざと接触させることようなことをやり続けたんですか?」
「それが今回の件でもっともやっかいだったところだ」
博士がテーブル脇を操作してテーブルの上に一枚のフォトデータを提示した。
地面から生えた、ねじ曲がった数体のオブジェが映っていた。
趣味の悪い、前衛芸術。
「よく見たまえ」
促されて、眉をひそめながらもう一度見る。
「ッ! これ……」
「そう、これはフォトじゃない、監視映像だよ。リアルタイムのね」
テオがオブジェだと思っていたモノの一部が確かに動いている。
これは、いや、でも……。
ありえないと言いたいが、一度そうだと思えば、そうとしか思えない。
このねじ曲がったオブジェは、人間ではないのか。
頭も足も本来の位置にはない、粘土のように捏ねくり回して細く伸ばしたかのような有様。
動いたと思ったのは唇だ。何事かを、苦悶を叫んでいる。
「ツクモの呼びかけで覚醒しかけた患者によって、研究員だった彼と同僚はこうなった」
「ありえない!」
こんなことが出来るもんか!
悪趣味な作り物に決まっている。人間がこんな状態になって生きているのも、こんなことが起こるなんてことも、有り得るわけがない。
「この件があるまでは、私たちも進化を果たした人類を私たちの尺度でしか計れていなかった。だが、この事件は発生し、彼らは今も異形に身を落として研究のために生かされている」
博士が映像データを下げる。
「物理世界の情報は全てXYZ軸を基準に存在する。私たちが情報を操作するためには、意思を持ち、物体情報位置に接触する必要がある。それが私たちの観測する世界のルールであり、言い換えれば旧人類のルールでしかない。進化した思考する光である彼らの見る世界は全ての情報が平等に並んでいる。私たちが頼りにしている位置情報さえ平等に観測される情報の一つに過ぎないんだ」
ぞっとした。
ありとあらゆる情報が、たったの一人の手中にあり、観測される。
そしてその生物は情報を改変する力をも有しているのだ。
「いわば、擬似的なラプラスの悪魔だよ。さらに、彼らは意思の伝達さえも物理接触を必要としない。思考を直接情報へ伝達して操作、改変することが出来る。進化体がたったの一人、ツクモの呼びかけによって無数の情報群から意思を向けただけで、我々が直面したことのない未曾有の惨劇が引き起こされた」
だから、組織は執拗にツクモに接触した患者達を殺した。
納得は出来ない。だけど、テオは患者達に確かな恐怖を感じていた。
「常識とは行動に制限を掛ける。例えば、壊れやすい物を持ち上げるときには君だって自然と握力の加減をするだろう。彼らは物理世界を観測したことがないがために、その制限を知らないんだ。彼らが自傷行為に躊躇を持たないことに対しても、これは一つの要素と言える。彼らと私たちの間で、破壊という概念には大きなギャップがある。我々が常識的に恐れる破壊とは、彼らにとって無数にある情報の一部が変動する程度のことでしかない。だから物理世界の整然と確立している状態を認識させる必要がある。そのためには、ツクモには物理世界側から呼び掛けて貰う必要がある。中途半端な呼びかけではダメだ。振り向いたときに偶然手が当たる程度の感覚で、彼らはこの物理世界に災害を引き起こせるのだから」
「そこで、」と言葉を切り、博士を指を組んで、前のめりになった。
「そこで、私はテオ君に注目した」
「ボクが?」
「そう、ツクモの同調性を利用した疑似死体験のリフレインによるトラウマ構築実験。あれには福次効果としてツクモが自分の肉体を認識することによって、彼女の精神を物理世界側へ寄らせることが期待されていた。結果は君も知っての通り、ツクモが自身の情報が欠落することに恐怖し、不変な存在へと自身の情報を変異させた。期待していた福次効果については全く兆候無しだ。私たちの心無い行いで彼女の心を呼べるはずが無い。当然の帰結だ」
大声で泣き叫いていたツクモ。
この物理世界で彼女が最初に発露した感情は『恐怖』なのだ。そんな負の感情を覚えた場所にどうして近づきたがるだろう。
「必要なのは、純粋な感情だった。私たちが忘れた他者への思いやりとこの世界への期待を備えた優しい精神。高次情報世界と物理世界の境界からこちら側へと自分の意思で選んで歩いた強い心の持ち主。テオ君、君なら恐怖してもなお他者を求めて手を伸ばさずにはいられないツクモの手を引いてあげられると私は確信した」
そして、その考えは正しかった、と。
博士が細めた目でテオを覗く。
「組織の方針に相反し、ツクモを利用して進化を助長しようと考えた愚か者が私を訪ねてきたのはまさに行幸だった、ツクモの暴発について書いたレポートを読んだ管理部が私を左遷したことを恨んでいると決めてかかっていたらしい。千載一遇だった。君とツクモを接触させることを組織に納得させるためには時間が必要なはずだったからね。だが始めることさえ出来れば組織は必ず状況の静観へ移行する、理屈詰めの彼らがツクモを持て余しているのは分かりきっていた。そして私の企画した実験はスタートし、テオ君は成果を出してくれた」
不快だった。
じゃあ、ぜんぶがぜんぶ、博士の思い通りだったということじゃあないか。
テオがツクモを大事に思った心さえ、博士が意図的に作り出したのだ、と。
「博士がボクの面倒を見ていたのは、いつかボクを実験に利用するつもりだったからなんですね」
「それは違う! いや、だがしかし、そう言う側面は確かにあるのか……」
後ろ髪を掻く姿は、困り果てていた。
「なんと言うべきか、君たちはもう一度出会うべきだと思ったんだ。ツクモが目覚めるためにも、テオ君がこの世界に疲れ切って貴重なその多感な心を擦れてしまわないためにも。君に答えたあの言葉にウソは無い、私にとって最も重要なのは君たち二人だ」
暫くテオは博士を睨め付けたままだった。
博士はテオの視線から逃れようとはしなかった。誠実を返そうと、じぃっと見つめ返してきた。
結局、根負けして視線を逃がしたのはテオの方だった。
「もう、いいです。全部終わった後なんですから。それに博士のシナリオだとしても、ツクモはボクにとって大事な存在だ。その感情を掴んだのは間違いなくボクです」
例えソレが提示された引棒だったとしても。
ツクモの涙も苦しみも、それに共感し、寄り添うことを選んだ感情はウソにはならない。
「ボクは、ツクモが許す限り、一緒に居続けますから」
理由など必要なく、心でテオはツクモと歩むことを求めている。
「ありがとう」
博士は染みるような声音で礼を言ったのだ。
「良かったと思う。君たちが出会ってくれて、君たちを見つけることが出来て、まだ少しだけ、私はこんな世界を諦めきらないでいられそうだ」
博士が小さな微笑みを浮かべた時だった。
RU-RURU RU-RURU
施設内に音が響いた。




